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多摩川に鮭を放流すべきだったのか?(呑川の会)

 6月15日(土曜)の呑川の会定例会において、大森清陵会は議事録書記を務めましたが、そこで私が、かつて中学校科学部で参加していた「多摩川サケの会」の思い出を語ったのを気に、多摩川に鮭を放流する事の是非が話題になりました。この記事では、多摩川に鮭が放流された経緯と、それに対する意見の一部を紹介します。


多摩川における鮭の放流・溯上に関する補足

 1970年代後半の「カムバックサーモン運動」を背景に、1981(昭和五十六)年「東京にサケを呼ぶ会」が放流を開始。高橋恒夫「多摩川(東京)におけるサケの飼育と回帰について」(文教大学女子短期大学部研究紀要1990)は「多摩川や江戸川周辺の漁業をしていた古老に訊いてみると迷い鮭を生け捕った事があるという」「有史以来多摩川に鮭が組織的に溯上した事は無いが、迷い鮭が数年に一度ぐらい発見される事がある」「過去9回の放流で回帰した鮭の数は微々たるものであるが、放流すれば溯上しない事は無いと実証した事になる。また学説的にも、鮭の南限は多摩川である」と主張。鮭の一般的な溯上南限は利根川(千葉県 銚子市)であり「酒(鮭)は銚子まで」と言われてきたが、房総半島での成功事例を踏まえ、多摩川への放流が開始された。1994(平成六)年「多摩川サケの会」に改称。中流域の日野市でも「多摩川にサケを放流する会」が活動。

 しかし、自然状態では鮭が棲息しておらず、江戸時代まで溯上(回帰)記録が無い多摩川に鮭を放流する事は、国内外来種による生態系への悪影響を及ぼしかねないとして、教育委員会(大田区)への申し入れが行われた。

 カムバックサーモン運動については「サーモンミュージアム」も参照。多摩川サケの会は2010(平成二十二)年まで活動したが、現在では、多摩川の在来種であるアユなどのほうが放流に望ましいと考えられている。

 当時、中学生だった私は、科学部員でありながら「鮭は本来、多摩川には棲んでいない外来種である」という事を考えないまま大人になってしまいましたが、今回の呑川定例会で、本件を再考する機会を得る事ができました。

 また、呑川会の旧ウェブサイトにアップロードされていた『のみがわ』バックナンバーを拝読し、改めて呑川会代表の見識の深さを窺えました。私も地理学・地学を修めてきたつもりですが、まだまだ勉強し続けなければ…と思いました。ありがとう御座いました。


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