御堂狂四郎のトイレアレコレ
トイレはすごい。
人間の汚い部分を一手に引き受けている。ヤバい時に助けてくれる頼もしいやつだ。
実際、僕は危機を人間よりトイレに救われた回数の方が多い。人間はどちらかと言うと危害を運んでくるけど、トイレはいつ行っても助けてくれる。高額なお金も取ろうとしない。本当に優しいやつだ。
そんなトイレにも、たまに良くないのがいる。もちろん、トイレに人格は無いので、良くないようにしているのは作った人間か所有している人間なのだが。刃物や金やロボットと同じで、悪い人が持つと良さが失せる。純白のボディも淀んでくる。
例えば、汲み取り式トイレ。
汲み取り式の何がイヤかというと、必ず窓が有るからだ。メタンガスを逃すために、換気をしなければならない。メタンガスは危険だ。火を付けると爆発するし、吸い過ぎると意識を失う事もある。だから、汲み取りトイレには窓や換気口が必ず付いている。
この窓による開放感、あれがイヤだ。トイレを楽しむ醍醐味は、あの狭い空間に自分だけが閉じこもっているという、真のプライベート感を味わう事。
カッコ悪い姿を誰にも見られていないという安心感。もう出しても良いという安心感。ここまで持ってきた緊張感を水に流せる安心感。これらは全て、あの密室であるから感じられるのだ。
汲み取りトイレは、主に屋外の、それもトタン屋根の下に有る。それもイヤだ。夏はうだるような暑さの中で、ミンミン鳴く蝉の声を聞かなきゃならない。冬は凍て付くような寒さに白い息を吐きながら、クレバスと化した暗黒空間に急所を晒さなければならない。おまけに、誰かが薄壁一枚の向こう側で、聞き耳を立てていないとも限らない。なんなら割れた壁の隙間から、誰かがこっちを覗いている可能性も有る。
『静けさを・ポチャンと破り・ため息や』なんて風流な俳句が詠めるのは、寒くも暑くもない空調の効いた屋内で、誰も居ない水洗トイレに閉じこもっている安心感が有ってこそだ。
汲み取り式トイレで何も感じない人は『暑臭や・尻から噴き出す・ビビビビビ』なんて、不粋な句を詠むに違いない。
トイレは明るくなくてはいけない。なぜなら、トイレの友である短編小説や漫画を読まなければいけないからだ。トイレでの時間はどこよりも平和で、どこよりも楽しい。そんな精神状態なら、読書も捗るし、良い教養を得られる事は言うまでもない。
薄暗い照明では文字が読みづらいし、何より、その陰鬱な雰囲気から、今の自分は孤独な上にとてもカッコ悪い姿だという事に気づいてしまう。それではせっかくのトイレが台無しになる。ムードを演出する照明は不可欠なのだ。
便座が温かいというのも大切だが、ウォシュレットの射出位置や水圧の強さも重要だ。たまに、あれが全く見当違いの位置に発射されて、残念な気持ちになる事がある。
ウォシュレットはお食事で例えるなら、デザートなのだ。最後にさっぱりとクールダウン、爽やかな気分にさせてもらいたいものだ。
トイレを語る上で、避けては通れないのが和式の問題点についてだ。
和式はそもそも落ち着く体勢を目指しているとはとても思えない作りになっているが、僕はなぜか、本当にヤバい時は和式に助けてもらう事が多かった。
屋外で催し、探せど探せどトイレが無く、ようやく見つけて駆け込んだトイレがなぜかいつも和式なのだ。
なので、洋式の優れている点を述べるだけに留め、和式を批判する事はやめておく。散々助けてもらっておいて、安全な時にだけ批判するなんてバチが当たる。トイレ運が下がって、トイレの加護を得られなくなると、ヤバい時にトイレが使用中になる恐れが有る。そんな事になったらどうなるか、改めて言う必要もないだろう。
トイレと仲良くしたいなら、陰で悪口は言わない方が良い。なぜなら、トイレは人間の暮らしている領域には必ず居る。文明社会に身を置いている限り、紙に耳あり便器に目ありだ。
…
ところで、僕は仕事でトイレを分解したり、汚水管や人孔(マンホールの中のこと)の撤去や修理をした事もある。
故障した彼らの体内はとても汚くて、身の毛もよだつ酷い物がギッシリ詰まっている。もしトイレや下水が居なかったら、僕が目撃した量の何億倍もの酷い物、全てがこの地上に存在していた事になる。何もかも埋め尽くす酷い物。考えるだけで恐ろしい事だ。
それを全て流してしまうのだから、やはりトイレはすごい。
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