わたしのにおいが一番安心する

昨日、祖父が亡くなった、という知らせを父から聞いた。祖父は老衰による大大往生だったので、「すごい。安らかにいてほしい。」以外の感情は今のところない。

一週間の有給休暇を終えた私は、なんとか昨日職場復帰した。祖父が危ないという知らせは耳にしていたので、また私がいなくなってもいいように仕事の引き継ぎをして帰ってきた。「じいちゃんがもう少し休みくれたと思ってゆっくりしなよ」とある人に言われて、確かにそうだなと思った。

少し前、煙草仲間の先輩に心身の不調を打ち明けた。部署も違うし日頃からワイワイ話す間柄ではないけど信頼しているその人。職場に戻ってきた私に気づいて「頑張ったじゃん。無理すんなよ。」と何かと気にかけ声をかけてくれたことが死ぬほどありがたかった。


そんな昨日の夜は、遠方にいる祖父の葬儀諸々に行く打ち合わせをかねて実家に帰った。実家と言っても、歩いて10分そこらだし、今住んでいるのは妹と猫だけだ。夜遅いこともありお風呂にも入れてもらい、泊まっていけばと言われたのに、なんだか全然そこで寝る気になれなくて、結局歩いて自分のアパートに戻ってきてしまった。

帰ると「わたしの家」に心底ホッとした。なんなら実家より寒くて不便だし、床暖房もないし、車の音がうるさいし、猫もいない。借りて半年そこらの私の家。だけど一番安心して私が私でいられる場所はここ。この半年で「わたしの家」は、実家ではなく、この家になったんだなと思った。

なにより、寝室が「わたしのにおい」で満ちていることにホッとした。ああ、ここが私の寝床だ、と思った。実家の私の部屋および布団は、もう、ただの部屋と布団だった。ビジネスホテルのそれと変わりなかった。私は「わたしのにおい」の中で眠った。どんな眠剤より必要だと分かった。

実家が「わたしの家」でなくなってから、実家は空気のにおいしかしない。大好きな猫のにおいとか、妹のちょっといい化粧品のにおいとかはするけれど、スンとしていてそれ以上でもそれ以下でもない。私が寝て起きて生活していた時は、確かに「わたしのにおい」があったのに。

私の家は「わたしの家」のにおいがする。玄関を開けた途端に「わたし」の空気がある。ああ、帰ってきた、と思う。


明日から、祖母の家に泊まるのが、苦手な親族の中で「いい子で優秀な〇〇ちゃん」で居続けるのが、考えただけで胃が痛い。誰も悪気なく、寧ろ善良な人達であることは分かっている。ただ、「本当にいいこやわ〜」「えらいね〜」とそれだけを繰り返されるあの場所に行くと息がつまる。祖母は本当にそれしか話さないので「私をいい子だと褒めてくれる」以外に何者であるかを全く知らない。あと知っているのは、私の父のことが目に入れても痛くないほど可愛くて大好きなことくらいだ。じいちゃんは好きだった。戦時中の話をたくさん聞かせてくれる、囲碁と将棋と書が好きな、硬派で優しい祖父だった。孫も対等にひとりの人間としてみてくれる人だった。

そうだ。私はじいちゃんが好きだった。さいごにちゃんと、じいちゃんに会ってこよう。だけど、あの場所で窒息してしまわないように、もう少しだけ、わたしのにおいに包まれていたい。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?