特別から普通へ

僕は徐々に、特別な人間から普通の人間へと変われているのかもしれない。
特別な人間、かつて僕はその特別を良いものに捉えていた。
人と違って自分は、自分をちゃんと持っていて、一人でも生きていける、そういう強い人間なのだと。

しかし最近、自分がそういう強い人間でないことを知り始めている。
孤独は怖いものだと、最近になって思うのだ。

あまりに遅い気付きである。
つまり殆どの人が人生の早い段階で気付いているものに気付いておらず、そこを飛ばして、より高次の話ばかりするようになっていた。
高次と自分でいうのも変だが、きっとそうなのだ。
しかしこの順序はきっと思った以上に大切なのである。なぜなら、高次を扱うのには低次を満たす必要があることに気付けないからだ。
正しくは、自分自身で満たせるよう努力する必要があることを気付かない。

低次のものは当然のように満たされるものだと思っていた。しかしそれは年齢を重ねて、色んな助けが無くなって物の分別が付き始めると、勝手には満たされないものだと気付く。
その気付きが自分の場合は極端に遅かったのだと思う。

だから表層皮滑りになっていた。

いざ低次をなんとかしようと思っても、素直にそれを認めることがすら出来ない。自分はそんな次元に居ないという自負があるから。
そうなってはもう終わりだ。

気付いたら低次の土台がすっぽ抜けた人生になっているのだ。
土台がなければその上には何も建たない。

空中戦をしていたのは自分なのだ。

僕はようやくそれに気づき始めている、と思う。
普通の人がとっくに気付いていることに、ようやく気付き始めている。
間に合うかな、僕の人生。

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