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どうにもならないことから学ぶ。


自分の力ではどうにもならないことから学ぶのだなあと、つくづく思う。

ひとつとして同じ経験はないから、人間は初めての経験からひとつひとつ学んで発見して生きていくのだろう。

今自分が愛犬の死と向き合っているのも、この感情はどこから来るんだ?と初めての体験に右往左往しながらも、それを解明しようとしているからだ。

生きていればどうにもならないことなど山ほどあるけれど、そのなかでも最も大きなものが身近な存在との別れだ。

わたしは夫と高校生の時に知り合った。その後結婚して今に至るのだけれど、知り合ったとき夫は母親を病気で亡くしたばかりだった。

クラスメイトであった夫の気丈な態度に、普段から感情に左右されやすいタイプだった高校生の自分は驚いたのだった。母親を亡くしたばかりなのに、理性的に振る舞っているクラスメイトの行動に。

今思えば夫は、理性的に考え振る舞うことで自分を守っていたのかもしれない。感情に埋もれるというのは、ある意味がっつりと自分と向き合うことであって、それは出口を見出すことのむずかしい、とてもしんどいことだ。

その後わたしたちは結婚し、生まれて2ヶ月の子どもを亡くすという体験をする。そしてその体験を見守り支えてくれた夫の家族とわたしの家族をすべて昨年の春に見送り終えた。

別れのたびに、その存在との関係や交わした言葉、答えの出ていなかった感情を、ひとつひとつ確認する作業がもたらされ、長い時間をかけてそれらに向き合い、悲しみ、納得できることとわからないままのことを両方抱きながら、振り返り学びながら、生きていくのが人間なのだろう。

いつか来る自分自身との別れの日まで。


永別の春は我が身に染みゆきて心を満たす水となりたり    未来穂



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