「めばちこ」を「ものもらい」って言うのは頭ではわかってるんだけども

どうやらめばちこができたみたいなんですよね。
標準語ではものもらいと言うらしい。

我ながらそこそこ関西弁独特のイントネーションを隠蔽するのは得意なんじゃないかと自負してきる。

そんな私にもどうしても難しいことがある。
それがこういう言い回しの違いだ。

標準語のイントネーションにはだいたい法則がある。
例えば「箸」と「橋」のイントネーションは標準語と関西弁では全くの逆になる。

これにさらに関西弁には独特の抑揚がつく。

関西出身の私が言うのもなんだが、たぶん関西弁を習得する方が標準語を習得するよりも全然難しい。
大学で少々中国語を勉強した経験から言うと、関西弁のこの抑揚のあるイントネーションとアクセントの付け方は中国語にも近い気がする。

少し話が逸れてしまったが、
こういうイントネーションの違いは数こなせば覚えていくものだと思っていて、
しかしそれをそうとしか呼んだことのないものを、違う言葉で認識するのだけはなかなかむずかしく、ついつい高頻度で関西の人になってしまう。

私がいまだにうっかりして関西弁で言ってしまう表現第一位はもう絶対これ

「なおす」

「片付ける」っていう意味での「なおす」

「あ、それなおしておいてくれる?」

これはいくら標準語イントネーションで言えたとしても、その表現自体が関西弁なので意味不明なことになる。

例えて言うなら、英語で話してるのに「つまらないものですが」って言ってプレゼントを渡すみたいな、
日本語で話しているのにくしゃみをしたときに「幸運がありますように!」って声かけるみたいな、そういう違和感。


「いける?」

これは「大丈夫?」の意味で使うのだが、これもまた高頻度で使ってしまう関西表現だ。

明日友達と遊ぶ約束していて、今から雨が降りそうなとき、「明日いけるかなぁ」って言うならまだ理解してもらえる気がする。

ただこちらの本来の意図としては「明日の約束は予定通り大丈夫かなぁ?」のつもりなのだが、
「明日(雨だとしても)行けるかなぁ?」みたいな認識で捉えられる気がする。

「今電話いける?」
「え、骨折したん!?いける?」

これはたぶん違う。通じるかもしれないけどこれは標準語ではない。
そしてこれを標準語のイントネーションで言ってしまうとなんとなく滑稽な気がする。

こんなに気にしてる人はそんなにいない気もするけど、それでもなんとなく私が気にしてしまうのは、相手が標準語を話す場合は私もそれに合わせた方が相手の意図をしっかり汲み取ることができる気がしているからで、
これはある種の私のサービス精神である。

と言い始めると、私はやっぱり関西弁ネイティブであり、自分の言いたいことや気持ちは関西弁じゃないと100%は伝わらない気がしているというのが本音ではある。

アイラブユーの意味を知っていても日本語の好きの方が言われて嬉しいと思うものだ。少なくとも私はそうだ。

だから本気で怒ったり泣いたりすると、方言が出る人が多いのかもしれないなと思ったりする。

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