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好きな言葉を思い出した
時折聞かれます。「好きな言葉は?」って。で、その都度「いいこと言わなきゃ」って考えすぎて結局大したことを言えない。
よくよく考えてみた。
わたしの好きな言葉。
「ありがとう」だった。
偉人の名言でもなんでもない。とってもシンプルな身近で普段の中にある言葉。
中学生の時、作文にそう書いたことを思い出した。
「ありがとう」という言葉はそれを伝える側も嬉しくなる。
「ありがとう」ともらえた側も嬉しくなる。人間関係をスムーズにかつ柔らかくするものだから。
そんなようなことを書いたことを覚えている。テストの中の論文?かなにかだった。それでわたしはクラスで1人満点をもらった。つまり、とても嬉しかった!のです。
だからよく覚えている。
なのにすっきりと忘れていた。
「ありがとう」って言葉は大切なものだって幼稚園の子だってわかっている。誰もがわかっている。でも、だからこそ「ありがとう」っていう言葉が好き。なんて言えなかった。
いいと思うことを真っ向からイイ!と言うこと、それは拒絶されることもあるんだ。そんな思い込みを10代後半に学んでしまったのです。
わたしが良いと思うこと、良かれと思って発言したこと。
それを受け入れてもらえなかった。聞いてもらえなかった。無視された。誰もが経験したことのあること。特に気にしたこともなかったんだけど小さく傷ついていたんだなと、今振り返って思う。
そこから先の人生で、行動や発言を無意識に制限してしまうくらいには、チクッと傷ついていたんだなって。
傷ついていないフリをやめたら
多かれ少なかれ、大人たちは傷ついてきている。
わたしはそれをなかなか認められなかった。わたしは幸せだから(たぶん)わたしよりしんどい人はたくさんいる。だから我慢して当たり前。可哀想だねって思われるのは嫌だから。可哀想だねって思われることで愛してもらいたいんでしょって思われるのが嫌だから。
だから全部大丈夫なフリ。傷ついていないふりをしてきた。
そして、本音で誰とも話せなくなっていった。それは本音がわからなくなってしまったから。自分が何を考え、何を感じ、何をしたいと思っているのか。そんなことが全くわからなくなっていった。
「わからなくなっている」ことさえ、わからなくなっていった。
自分しか自分を生きられないのに、自分のことがわからないって辛いんです。
それはツライことなんです。
「ツライ」「悲しい」「苦しい」
そんなこと言っちゃダメだと思ってましたから。大人なんだから、みんな忙しいんだからそんな弱音吐いちゃダメ。時間を奪っちゃダメ。人に頼っちゃダメ。愚痴っちゃダメ。
そっと吐露してみた。
信頼できる人に、今までだったら言えなかったような自分を見せていった。
信頼できる人には「自分」も含まれる。自分で自分に「つらかったよね」『うん、つらかったよね。頑張ったよね』そうやって弱音を吐く自分に寄り添った。
すると、なぜか涙が出た。
それだけ頑張ってきたし、傷ついてきたんだなってことを涙が教えてくれたんだな〜って思った。ずっと誰かに頼りたかったし、甘えたかったんだね。
小さい時のわたしの写真を、娘6歳が実家から持ち帰ってきていて。そんな自分を見ながらがんばったねって言ってあげると、とてつもなく涙が出た。(子ども関連はすぐ涙が出る!)
涙は、ほんとの気持ちを教えてくれる。そう思っている。
面倒だけどだんだん楽しくなってきた。
自分の過去を振り返ることは時に面倒。わたしは面倒でしかなかった。
でもそれをすることが、自分らしく生きていくことや、周りの目を気にし過ぎること、自分のことがわからないこと、なぜかモヤモヤしてしまうこと。人と繋がりたいのになぜかつながるのがこわいこと。
具体的な事象として、とてつもなく「不幸」というわけじゃないけれど、自分の人生を生きれていない感覚や、このまま歳を重ねていくこと、そしてそのままのわたしで死んでいくことへの不安を解消してくれる。
そう思えてからは、過去を見ていくこと、自分の感情を細やかに見ていくことはたのしい。むしろ今の関心事はそれしかないと言っていいほど。
わたしが目指すものは、生きててよかったと毎日、毎時間、毎秒感じながらこの命が尽きるまで過ごしていくこと。
うん、きょうも生きててよかったネ。
だってこうやってまたnoteを書けたもんね。
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