夫との出会い

夫と出会ったのは2年前の夏だった。
働いていたカフェは床が白いタイルで敷き詰められ、夏の太陽が差し込むと、その白いタイルに反射して
顔が下から煽るように照らされ怖い話をする人の顔になっていないか心配になるぐらい明るくなった。
そんなかんかん照りのお昼のこと!!
1人の男友だちが来店した。

彼はあの名作”男はつらいよ”の大ファンで、愛犬にも”寅さん”と名付けている。
以前、彼を含めた数人でご飯を食べに行ったことがある。
集合場所の五反田駅に着くと、イヤホンを付けた彼を見つけた。
どうやら彼が一番乗りで駅に着いており、その次に着いたのが私だった。
「お疲れ!何聴いてたの?」
「音楽じゃなくて、男はつらいよ観てたんだよ。」
友だちを待つたった数分の間でも、その少しの間でも観たいという気持ち。
彼の寅さん熱が伝わった瞬間だった。
私なら続きが気になってこれからのご飯にあまり集中できないので、この状況では観たくないけどなと思った。
最近、夫と二人で彼の車に乗せてもらったときも、渥美清の”遠くへ行きたい”が流れてきた。正確に”遠くへ行きたい”という曲だったかは分からないけど、始まり方がセリフの曲だったので多分そうじゃないかなと思う。
「好きねぇ。」と言うと、全く冗談のない本気の顔で「いや、たまたまよ。」と言っていた。
渥美清がたまたま流れる車がこの令和にあるだろうか?

「アイスコーヒー。今日ちょっと友だちが後から来るわ。」
彼は珍しく友だちを連れてくると言う。
「オッケー」
私は寅マニアのアイスコーヒーを作りはじめた。
しばらくすると、寅マニアの友だちとやらが来店した。
梨泰院クラスのパク・セロイと髪型だけ同じの、眉毛の薄い髭面の男だった。
眉毛は薄いが髭は濃い。おまけに健康的な小麦肌に海パンのような短パン。
男性ホルモンのような方だなと思った。
「こんにちは。いらっしゃいませ。」
「こんにちはー。レモンサワーください。」
暑過ぎて喉が渇ききっている汗だくの小学生が、帰ってくるなりただいまも言わず
「お母さん麦茶ちょうだい」と言うようなリズムだった。
寅マニアと男性ホルモンはテラス席に座った。
レモンサワーを作り、テラス席に運ぶと
「こいつ、もう結構酔っ払ってるから、変だけどごめんね。」
寅マニアが言った。
なるほど、あの汗ビシャ小学生のような感じは、酔っ払ってたからか。
平日の真昼間から羨ましい限りだこと・・・と思った。
その後も何回か男性ホルモンはレモンサワーを頼みに来て、さすがに初見で明らかに酔っ払いだなと分かる目つきになってきた。
「何回もすいません。レモンサワーください。あと、お姉さん入れ墨痛くないんですか?」
レモンサワーを頼まれる以外で初めて会話を投げかけられた。

私の体には複数の入れ墨が入っている。
アイドルを辞める直前で1つ入れ、辞めてからはぽんぽんと増えていった。
今思えば、アイドルを辞める直前の1つは反抗心。
1つ入れたからには後に引き下がるわけにはいかないとか、もう二度と芸能界に戻れないようにとか、よく分からない”意地”が沸いてきて、2つ3つ、4つ5つと増えていった。
何者かになりたかったんだと思う。
当時は気付いてなかったが私は人の目をすごく気にするほうなのに、何者かにならなきゃいけない焦りに任せてぽんぽんと彫っていったもんだから、今では少しだけ後悔もしている。
消してしまいたいほどの激しい後悔はないし、
デザインだったり、彫ってくださった彫り師さんの技術はとても好きで、とても尊敬しているので、そういうのとは別で、当時の自分と今の自分の心の話。
アイドル時代のファンの方の中には、当然悲しんだ人もいたと思う。
アイドルを辞めた当時の私は、焦りから、誰も触れないほど尖りに尖っており、ファンの方たちを晒し上げては悪態をついて自己主張をしていた。
たまにその頃のツイートやストーリーを振り返ると、すごく怖いのですぐ閉じる。
『どこを目指しているんですか?』という声が、あの頃は頭の中にガンガン響いて、こびりついて、仕方なかった。
人間、一番いらっとするのは図星を言われたときだっていう名言の漫画を思い出したりしていた。(セリフ正確じゃない。漫画はNYバードかダンシングゼネレーションのどちらか!)
何者かにならなきゃいけないのに、なれない自分。
”何者か”って、そもそもなんだ。
自分の中では自分の”ファッション”、”これが私!”を掲げて突き進んでいるつもりなのに、なんせそういう行動をする人にはとても大事な”自信”というものを持っていなかった。
今も相変わらず持っていないけど、そういう自分を理解しているというところがあの頃とは違う。

入れ墨のことを聞かれた私は、少し照れ臭かったが、照れ臭さは一生懸命に隠して、したり顔でこう答えた。
「少し痛いですけど、全然我慢できる痛さですよ。」
「ヘェ〜、そうなんですネ。」
聞いといて全く興味がないといった様子でホルモンはすたすたテラスに戻っていった。
私は少し、なんだよアイツ。と思ってきていた。
レモンサワーを作りテラスに運びに行くと、たった今したり顔で答えたことに、顔が一気に赤くなった。
なんとホルモンは何故かTシャツを脱いで上裸になっており、さらに背中の左上に、はごろもフーズを楕円じゃなくて円にしたような入れ墨が入っていたのだ。
背中も男性ホルモンにより相当毛深かったため、一瞬そこだけ毛が密集しているのかなとも思えなくなかったが、やっぱり円形のはごろもフーズがしっかりと彫られていた。
えっっっ!!!この人、入れ墨、入ってるじゃん!!!入れ墨の痛み、知ってるじゃん!!!!!
衝撃だった。
なぜ入れ墨が痛いかどうか、私に聞いてきたのか?
まさか私の返答によって、私が入れ墨初級者か上級者か見極めている?!!?!?
私のこの、深く深く彫られた”自信の無さ”は、いつだってわけの分からないマイナス思考だったり被害妄想へと導いてくれる。
やがてはごろもフーズは酔いに酔い切って上裸のまま目を瞑り、ヨガ上級者のようになっていた。
一緒に居た寅マニアはそんなの見慣れた様子で、相手にすることなくスマホを眺めていた。そんなときでも男はつらいよを観ていたに違いない。

この、普通の店なら出禁の男性ホルモンはごろもヨガ男が、私の夫である。
付き合った頃にこの話をしてみたら、全く覚えていないと言っていた。
そして、「パク・セロイより先に俺がこの髪型だった」とも言っていた。




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