「人生の勝算」

第3章 外資系投資銀行でも、求められたのは「思いやり」

プライドはコミュニケーションの邪魔になる。まず、お客さんとコミュニケーションの接点を増やせ。そうしないと、俺たちの仕事は始まらない。あいつバカだねと思ってくれたら、成功だ。バカを演じきった次の日に、お客さんに電話してみろ。俺の言っていることがわかるはずだ。

それから僕は藤井さんの教えに従い、嬉々としてバカ騒ぎに加わりました。苦手なコールも、ほとんど裸でアイドルソングを踊ることも、プライドを捨てて、すべてやり切りました。藤井さんとタッグを組んで芸人の域を超えた裸芸をしてお客さんが爆笑していたときのことを、今でも鮮明に覚えています。我々の鉄板芸でした。藤井さんがやっていることを真似して、お客さんを楽しませて、コミュニケーションを取ることに徹しました。

あの憧れの投資銀行に入ったのに。そう思うことも時々ありました。でも、藤井さんの「ゲームのルール」という言葉を思い出して、とにかく、バカに徹しました。そして次の日、店で一緒だったお客さんたちに、すかさず電話をかけました。すると、それまで無視続きだったのがウソのように、出てくれるのです。「前田くん、昨夜はすごかったねぇ」「変なもの食べてたけど、お腹こわしてない?」「昨日大丈夫だった?」と、飲みの席でバカをやり切れるようになって以来、営業の電話を取ってもらえる確率が飛躍的に向上しました。

一見すると社会的ステータスの高そうな株ビジネスの世界も、結局は、浪花節が通用します。「誰に仕事を頼みたいか?」という判断の場では、人情や愛嬌といった人間的な要素が最後の決め手になると学びました。

第4章 ニューヨーク奮闘記

就活では、「自己分析」という作業をします。自分はどんな性格か。今までどんな人生を送ってきたのか。人生で何を成し遂げたいのか。どういった仕事に就きたいのか。ひたすら自分を見つめて、こういったことを考えます。大方の就活生は、自己分析の際に、ノート1冊分も書き出したら十分だと考えるでしょう。しかし、自分という人生のストーリーが、ノート1冊に収まるわけがない。そう思って、自分は、自己分析ノートを30冊以上書きました。積み上げたら30cmぐらいあったと思います。それでも、自分の人生をすべて書き出すには、十分ではなかったと思います。自分に関して、具体的なことも抽象的なことも、何を聞かれても即答できると自信を持てるまで、あらゆる方向から自分というものを洗い直し、とにかく自己分析をやり尽くしました。就活生が50万人いるとしたら、トップ1%の5000人には入るくらいの勢いで自己内省を深めてやる、と。

自己分析の目的は、人生のコンパスを持つことだと思っています。コンパスの重要性は、前述した通りですが、自分が何をしたいのかを示すコンパスがないと、人生という荒波の中で、すぐに迷ってしまいます。それは、あらゆる物事を決める指針となります。就職活動に限らず、実りある人生を生きる上で、コンパス、つまり、自分は何を幸せと定義し、どこへ向かっているのかという価値観の言語化は、必要不可欠です。

学生時代、僕は自分から見て明らかに優れているな、と感じる人たちのモチベーションの根源を探り続けました。この人たちは、なぜここまで輝いているのか(あるいは、なぜ僕自身から輝いて見えるのか)。何が彼らを突き動かしているのか。自分自身、誰にも負けない情熱はあるけれど、価値観の輪郭をもっとはっきりさせたい、という思いがありました。その際、自分の琴線に触れる方々の価値観を物差しとして自分に当てて、何が一緒で、何が違っているかを、考える材料にしました。

ということで、早速ノートを買った。毎日日記は書いているけど、自己分析はできていないなと。以前読んだことのある「メモの魔力」ももう1度読み直したくなった。読み直す。

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