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私たちは、少しだけはみ出している

このnote, 最近は「少しだけマジョリティからはみ出した人の逃げ場」なのかなって思うようになりました。

今日は2021年の所信表明です。

育児雑誌が苦手でした

子どもがまだいなかった頃、「子ども産むのってどんな感じだろう」と思って、育児雑誌を手に取ったんです。


カラフルなキャラクターがたくさんいて、
ハートや星マークがついてて、
「じぃじやばぁば」みたいな赤ちゃん言葉が出てきます。

でですね。
私は「こんな世界に行くくらいなら子供産むの嫌だな」「ここに閉じ込められたら怖いな」って思ったんです。

OLになったときも、ファッション雑誌の「いまどき女子の愛されコーデ❤️」みたいな見出しが苦手でした。

子ども産んだからいきなり「ママ」って生物になるわけでも、ディズニーが好きになるわけでもない。

サラリーマンになって、いきなり接待やゴルフが好きになったり、愛読紙が「日経新聞」になる人ばかりじゃないように。

けど日本では、「母親」になるだけで使う語彙が変わる。
求められる役割が、それぞれ割と決まってる(ように見える)。

そんなどうでもいい細かいことに常に違和感を感じてしまい、周囲といつも話が合わないーーいつもその繰り返しでした。

日本語世界を出るとみるものが変わる

ところが、実際に私の周りにいたマレーシア人。
彼らは少し違ってた。

一緒に旅行しても、子どもに合わせない。
大人が行きたいところをフツーに見にいく。
韓国やアメリカにも連れていく。
子どもは預けて夫婦だけでもいく。

仕事もするし、趣味でジムにもいく。
日常会話が子ども中心にならない。
料理は基本しない。

子どもがいじめられないかとか、心配しない。
「ハッピーじゃない」って理由で転校させる。
低い声で話す。

こんなスタイルもアリなんだなぁ、と。

彼らの存在が、大きな風穴というか、希望になったんです。

嫌ならマレーシアにくればいい。
それで子どもを産もうと決めました。

少しだけはみだしてしまってる人に

しかし現実はもっと違ってて。
産んでみたら、東京下町にも、実はいろんなタイプの親がいました。

そして驚いたことに、私自身が、かつてあれだけ嫌がってた幼児の世界にハマりました。

子どもを溺愛し、とことん合わせる私に対し、マレーシアの友人からは何度も「甘やかしすぎ!」「ケーンで(!)叩いて育てなさい」「大人の都合で動きなさい」って怒られました。

ともあれ、少しだけ日本語世界から出ると、だいぶ、見える風景が変わる。
その思いは、マレーシアにきて8年経っていよいよ強くなりました。

世界がせまーく見えているときに、そんな外の風が、「ちょっとした救い」になることもあります。

少なくとも、かつての私にはそうだったんです。

私はずっと、自分の文章が読まれることに違和感がありました。

けれど、最近は、

同調圧力の高い日本社会から少しはみ出してしまった人
溢れる「日本語」情報で息が詰まってる人
日本の学校に合わなくて絶望してる人

が、けっこういるんだなと知りました。

私の書くものは、主流ではないと思う。
けど、誰かの救いにはなるのかも。

そんな人たちに対し、風穴を開けるような、外の世界と繋ぐような役割ができたらいいかな。
そして私自身も、他の人の風を受けて変わっていきたいと思います。

そんなわけで、今年もよろしくお願いします。


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