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あなたが受けてるアドバイス、全部間違っているかもしれません

こんにちは。

Podcastを聴いてたら、米国のある作家が「自分の本の低評価がどうしても気になってしまう」って話をしてました。

3分の2の人々がいい評価をしても、残りの3分の1の人たちが気になる。少しでも悪い評価があると気になってしまうーーって言うんです。


今は全員が批評家になる時代

今やみんなが評価する時代です。

レストランに行ったら食べログで星をつけて、アマゾンでものを買ったら星をつける。観光地だろうが、家電製品だろうが、教師だろうが、サービス業だろうが、Youtuberだろうが、作家だろうが、なんだって素人が評価をつける時代なんです。

もはや生きている限り、誰かの評価から逃げる事は難しくなりました。

いろんな人がいます。当然全員が5つ星をつけるなんてことはありえないわけです。

プロのアドバイスも間違える

では、長年の経験を持つ「プロ」からのアドバイスは聞くべきでしょうか?

実は私はこれも限界がある、って思います。

有名なプロや批評家からのアドバイスがズレてることなんて、いくらでもあります。

「ハリー・ポッター」の最初の原稿は、多くの出版社から送り返されました。編集の「プロ」たちは「これは売れない」と判断したのです。

似たような例、作家の伝記で嫌ってほど出てきます。100の出版社に送って、100人の編集者から断られたけど、101人目が拾ってくれて作家になったーーそんな話、聞いたことないでしょうか。

実は本や雑誌の世界って、編集者の数だけ正解がある。

雑誌メディアでも「デスクを複数人おく」ことがあります。デスクの仕事って原稿見て、あれこれサジェスチョンしたり「こうしたらいいのでは」などと構成を変えたりする。

要するに、人によってやり方が違うので、多様性を持たせるために、構成や方向性を決める人間を複数にするのです。

同時代の人に評価できない作品もある

クラシック音楽の名作の中には、同世代の人にはまったく理解できず、後世になってようやく評価される例がいっぱいいます。

評価って本当にあてにならない。
批評家に潰された芸術家がたくさんいる事実です。

マーラーも、シューベルトも、ゴッホも死後に評価が上がりました。

ストラヴィンスキー「春の祭典」初演は散々でした。
ラフマニノフみたいに、低い批評に苦しんだ人もいます。
ブラームスの最初のピアノ協奏曲はブーイングの嵐の中初演されました。

でも、何百年も経ってみると、「やっぱり良い曲を書いてきたな」「いい絵だった」って言われたりするわけです。当時、その人が受けてきたであろうアドバイスや批評は割とどうでも良かったってコトもある。

同世代の人にまるで理解されない人もいるのです。それがその人の可能性を狭めてしまうのは恐ろしいことです。

アドバイスをあてにしすぎない

じゃあどうしたらいいの? って思われるかもですが、アドバイスは半々に聞いた方がいいと思うんです。

私も文章サークルをやってますが、「求められてないアドバイスしすぎないように」気を付けてます。ついやっちゃうんですけど、全てが見えるなんてことは、ありえないから。

その人が行きたいのが広告なのか、ポエムなのか、小説なのか、ルポルタージュなのかーーアドバイスも、それによって大きく方向性が違います。お金が欲しいのなら最初から稼げる方向に行った方が早道です。

そして世に出したものが誰にも評価されなくても、その方向でしばらく続けてみるーーってのもアリだと思います。

それではまた。


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