「反省させるしつけ」はなぜ危険なのか
こんにちは。
マレーシア人との団体旅行に行ったら、バスの運転手が30分遅刻したのに、誰も怒らないし、本人も謝らないのです。
ウエイターがお皿割ってもお客さんに向かって「申し訳ございません!」とか叫んだりしません。
決して謝らないわけじゃない。
けど、普段から「すみません」って言い過ぎない人が多い印象。
いつも謝ってる日本風。丁寧で悪くないけど、実は少し危険。
今日はそんなお話です。
私たちは「申し訳なさそうなふり」が得意です
反対に、日本企業で遅刻してニコニコしてるマレーシア人に日本語の先生が、「言い訳せず『申し訳なさそうな顔』を作って謝りなさい」と指導した、って話も聞きました。
そっか私たち日本人は「申し訳なさそうな顔」を作っているのだ、と思った次第。
しかしこれ、良し悪しです。
「謝るフリ」日本に大きく根づいてます。
私は新卒での職場がコールセンターだったのですが、「クレーム(苦情)がきたら、とにかくまず謝れ」と指導されました。
小学校でもそうです。
喧嘩すると、先生から「お互いゴメンナサイして握手しなさい」と言われたりして、どうしても納得できない子もいます。
ケンカには大体理由があり、お互いに言い分がある。なのに、聞いてももらえずに「とりあえず謝ってその場を収めなさい。どっちも悪いでしょ」ってのに納得いかないのです。
心の中にはマグマが溜まったままです。
なぜ反省が危険なのか
反省文を書かせたりする文化もあります。
反省してるフリを繰り返して大人になるのは、ある意味危険ではあります。
2つ理由があると思う。
一つは、「反省するフリ」では心の問題が解決しないこと。
なぜ「反省」が危険かはこの本にあります。
刑務所で、受刑者の更生に関わった学者の方が書いた本です。
悪いことをした人を反省させると犯罪者になります。そんなバカなことがあるか。悪いことをしたら反省させるのが当たり前じゃないか、と思われるでしょう。それは、疑う余地もない世間の「一般常識」なのですから。
(中略)
しかし繰り返しますが、悪いことをした人を反省させると、その人はやがて犯罪者になります。自分自身が悪いことをして反省しても、同じ結果です。つまり犯罪者になります。
(中略)
しかし、私が問題視したいのは、ここなのです。「悪いことをする」→「『すみません』と言って反省する」→「終了」というパターンなのです。
本書はすべての子育て家庭・先生の必読書じゃないかな……。
読んで反論があれば、自分のやり方に戻せば良いだけです。
現場の人の言うことは、一度は聞いておいた方がいいと思う。
言いたいことは、このパターンを続けている限り、自分の家系のいずれかの世代で、誰かが重大な犯罪を起こす可能性があるということです。したがって、誰かがどこかの時点で、「悪いことをしたら反省させる」という育て方を止めなければならないのです。
また著者は、犯罪を犯さなくても、「心の病になることがある」と書いています。私はこっちの方が多いと思います。
で、「フリ」じゃなくて本当に「反省する」とはどういうことか。
長年、受刑者の更生を支援する中でわかってきたことは、彼らを更生させるためには、実は「反省させてはいけない」ということです。私は彼らに反省を求めません。反省を求めない方法で個人面接や授業を進めていくうちに、彼らの多くは反省していきます。反省させようとする方法が受刑者をさらに悪くさせ、反省させない方法が本当の反省をもたらすのです。
なんだか禅問答のようですが、反省を辞書で引くと「自分のしてきた言動をかえりみて、その可否を改めて考えること」なんですね。つまり反省そのものがダメなのではなく、他人に強制されるのがダメなのです。
かなり強烈ですが、子育て中の方は一読をお勧めします(残念ながら著者は亡くなってしまいました)。
反省はエスカレートしていく
もう一つは、「表面的な反省」を続けて心に嘘をつき続けると、他人のお詫びや反省が信じられなくなること。
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