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「適度に不便」な環境が幸福度を上げる理由

クアラルンプールは都会ですが、適度に不便です。アマゾンも進出してません。

とツイートしたら、結構反響がありました。

私は東京の真ん中(台東区)からマレーシアに来て3度引越しをしてます。
今はまあまあ便利なところに住んでいますが、それでも徒歩圏のスーパーは雑貨店みたいな小規模店だし、お米や豚肉は車で買いに行く生活をしています。
ECもあるのですが、こっちにきてほぼ使うのをやめました。

こうやって強制的に環境が変わるとどうなるのか、今日は書いてみます。

不便は人をどう変えるか


今の生活を一言で言うと「適度に不便」です。
そして、この「適度に不便」が幸福度をあげている気がします。

モノがないと、なければない、で過ごすようになるんです。物欲を良い意味で「諦める」ことができるというわけです。

東京にいた頃は、徒歩圏にスーパーが3つもあるような環境にいました。その気になれば銀座にも歩いて行けました。

一方、歩いていける大規模スーパーはなく、近所の雑貨店(中国人が家族でやっている小規模な野菜や果物、肉を売る店です)で基本的な買い物をし、足りないもの(日本風のお米や豚肉)はまとめてどこかに買い出しに行きます。

ないものは自作します。例えば、以前は納豆が高かったので、家で作ってました(いまではアジアの納豆が安く買えます)。子供がキューリのキューちゃんを食べたいと言うときは自作してましたね。当地のケーキが甘すぎると言うので、チーズケーキを焼くのにはまっていたこともあります。

最近は忙しくてなかなかそこまで自作できませんが、ないならないでなんとかなる。

炊飯器も壊れてしまったのを機に使うのをやめ、鍋で炊くようにしていますが、大した手間でもないし、このままでいいかなと思います。おこげができるので、うちに泊まった留学生が衝撃を受けてましたが、まあそれも経験です。

物欲は情報でコントロールされている



アレもないコレもない、って言ってる人は、たいてい情報への感度が高い人です。意識的に情報をたくさん入れてます。例えば東京でしか買えないものをよーく知っていて、「どこどこのスイーツが買えない」「どこのブランドが進出していない」などと言っています。私も以前はこのタイプで、デジタルガジェットの新製品にはいつもアンテナを尖らせてました。

けれども、こういうのって「知らなければ」なくても無問題なんですよ。

マレーシア人にもそう言う人はいて、「東京限定のアディダスのパーカーが欲しいから買ってきて」などと頼まれることもあります。この人、東京に行った時には、スーツケースに買い物が収まらず、私が持って帰ってあげたこともあるくらいです。いつもいつも「これが足りない」「あれが欲しい」と言っていて、情報感度はむちゃくちゃ高いけれど、幸福度はあまり高くなさそうなんですよね。

「情報の感度が高い」ってコトは一部の仕事にはとても重要な能力です。しかし、それが幸福度を上げるかと言うと微妙です。「足りない」「欲しい」と言う欲望をあげて、今あるものに対する満足度を下げてしまいますからね。

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