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他者の才能に寛大な人たち

今、クラシック音楽というと、多くの人がベートベンやバッハを思い浮かべると思います。

でもですね、1800年代の初め、ベートーベンやバッハは演奏されることがない「過去の」作家だったのです。
当時はロッシーニのオペラなんかが相当の人気だったようです。

そこに「そんなのおかしいよ」と言って、陽を当てたのがシューマンです。
シューマンは当時は作曲家としての評価はさほど高くなく、死んでから評価された人。

作曲家にはそういう人がたくさんいます。

が、雑誌編集者・音楽批評ライターとしては、かなり有名な存在でした。
彼が書いたものは今も残っていて、岩波文庫で本にもなっています。

同じライターとしては、興味深いです。
とにかく筆まめな人で、日記や手紙も大量に残っています。

ショパンやブラームスを「発見」

彼はベートーベンやバッハの再宣伝をしただけではないのです。

・無名だったショパンの才能を見抜き(「諸君、天才だ」と紹介)
・無名だったベルリオーズをドイツに紹介し
・無名だったブラームスを「天才だ」と言って宣伝し
・シューベルトの「グレイト」の草稿を発見して出版

などなどなど、この人(とクララ)がいなかったら今のクラシック音楽どうなってた? という活躍ぶりなのです。

その間に、彼は、今日にいたるまで世界中に力強く生きている「ベートーヴェン崇拝」の伝統をうちたて、フランツ・シューベルトの天国的な浄福の世界を再発見し、ショパンの天才(「花のかげにかくされた大砲」)をたたえ、ベルリオーズをドイツ楽壇に紹介し(ベルリオーズはパリでさえ、当時、たんなるエクセントリックな赤毛の男でしかなかった)、メンデルスゾーンの清新な新古典主義の評価の基準をあたえ、サロン向きのそうぞうしい​《​盤の王者》、《ピアノの若鷲》のなかに同志の音楽家に対して比類のない暖い手をいつもさしのばすことを心得ている「愛の音楽家」としてのリストの本質をほりあてるなど、実に、十九世紀前半のヨーロッパの天才たちのために、多くの美しくて、しかも決定的な勝利をかちとった。

「音楽と音楽家」(岩波文庫)シューマン 吉田 秀和 (翻訳)
「あとがき」より

本人はあまり自分が評価されないことに悩み(妻のクララの方が評価されていた)、最後は精神を病んでしまうのですが、自分はさておき、他人を助けるスタイルの方だったようです(評価されたのは、死後にクララ・シューマンが演奏しまくった功績が大きいようです)。

寛大で親切な人格で知られますが、小物な私は「そこに嫉妬はなかったのか?」 って思ってしまいます。

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