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#56 ​不便なことは、不幸なのか

こんにちは!

行動制限が段階的に緩和されているマレーシア。

現在は「回復期」とされ、ほとんどのビジネスが元に戻り、旅行キャンペーンも始まりました(とはいえ、どこでも検温と政府のアプリへの登録が必須です)。

ただし、国外からの感染もあり、なかなかゼロにはなりません。8月からは公共の場でのマスクが必須になるなど政府は引き締めを始めました。

3月18日時点では、ほとんどの店舗が営業休止でした。

空いているのはスーパーマーケットと薬局と、持ち帰りをやっている飲食店くらい。「不必要な外出=逮捕」で、ランニングもできなかったのです。

買い物はほぼオンラインのみになり、通販サイトでヨガマットを買ったのですが、届くのに1週間以上かかりました。

行動制限が解けて、自由に外出できるようなったとき、友人からはこんな声が上がりました。

「外を自由にランニングできるのが嬉しいとは知らなかった……」
「ダイソーが開くのがこんなにありがたいとは……」
「友達の家に行ける……」

私も、コンドミニアム敷地内を再び散歩できるようになったときは、感激しました。
散歩がこんなに楽しかったとは気づかなかった。

でもじゃあ、行動制限中が不幸だったかというと、そうでもないのです。
友達に聞いてみても同じ。

私の周囲では、「あれはあれで、家族と一緒にゆっくり過ごせて楽しかった」「家族でお祈りした経験が貴重だった」などという人、少なくありません。

便利な生活は私も大好きですが、どうも幸福とは無関係な気がしてきました。

「なんでも手に入る生活」は幸福なのか

マレーシアに来ると、日本に普通にあるものがなかったりします。
でも、「ないものをないまま受け入れるか」って重要です。

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