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日本とアメリカの学校を単純に比べてはいけないわけ

海外に来て、「なんだかカリキュラムがないみたいです」「子供が学んでいることの進度が見えなくて不安」という親の声をよく聞きます。

先日は、カリキュラムが目的によって変わる、というLalorの考えをご紹介しました。

面白いなーと思うのは、カリキュラムが日本のように中央集権で決められる国ばかりではないということ(むしろそういう国は少ない)。

たとえば、アイズナーによると、アメリカのカリキュラムは州や学区によって相当変わります。だから1つの学校を取り上げて「アメリカはこうだ」と言えないのです。

アメリカは、学校に対する責任が国の教育省の庇護下にない数少ない国のひとつである。連邦政府機関として米国教育省があるが 、合衆国憲法修正第10条は、憲法が連邦政府に明確に割り当てていない責任は州(または国民)に属することを示している。そし て憲法は教育について何も言及していないので、教育は州の責任である。
その結果、各州に1つずつ、計50の教育省が存在し、約1万6,000の学区を監督し、10万校以上の学校で5,200万人の生徒を受け入れ ている。さらに、各学区は教育政策を形成する自由裁量権を持っている。

Eisner, E. (2001). What does it mean to say a school is doing well? In Flinders, D. J., & Thornton, S. J. (Eds.), The Curriculum Studies Reader, Fourth Edition, pp.297-305. New York, NY: Routledge.

日本とアメリカの学業の単純比較ができないわけ

そんなわけで、アイズナーはカリキュラムが違うものを単純比較できないと言っています。

カリキュラムが異なる学校、あるいはカリキュラムの異なる分野に 割かれる時間が異なる学校に通う青少年がいる場合、その違いを考慮に入れずにそれらの学校の結果を比較することは、きわめて疑 わしい。

先日書いたように、カリキュラムが目的によって異なる場合、違う目的に向かっているものを比べても意味がありません。

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