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「プロ」を名乗るのが難しい時代

こんにちは。

少し前、こんな漫画を読みました。

日本語教師じゃない友達たちから、「日本語教師なんて絶対オレでもできる」「私にもできる」「なっちゃおうかな」って言われた主人公がモヤモヤする話なんですが、この「モヤモヤ」、いろんな人が感じてるんじゃないだろうか。

こうなってるのは、何も日本語教師だけじゃないです。
今日はこの「モヤモヤ」の正体を考えてみます。

日本語教師だけじゃない


インターネットが暴いたのは、民間資格など「資格ビジネス」の弱さです。
私もitalkiの「コミュニティ・チューター」にマレー語を習っていますが、実は、何かを教えるのに、資格も入らない時代になりました。もちろん、教え方に差はあるのですが、「それでもいいや」って生徒が増えてるのもまた事実です。

今の不安の正体の1つは、どんな人のどんな仕事も、簡単に代替できてしまうってことだと思う。

学校も、そのうち教員免許なんていらなくなるでしょう。
マレーシアのインターの先生で、教員免許持ってない人なんてたくさんいます。
息子の先生たちだって誰一人免許なんて持ってないんです。元パイロットだったりプログラマーだったりです。

医療分野はアップルやGoogleが本気で取り組んでます。
そのうち医師の仕事は大幅に減り、ITが医療をするようになると言われます。

弁護士はすでに難関だった試験そのものが簡易になり、稼げない人が増えてきました。カウンセラーも百花繚乱で、もはや「国家資格」なんて無視されつつある。

表現分野もハードルが下がりました

こんな風に、さまざまな職業がコモディティ化しつつある。
今や一億総クリエイターの時代です。

1990年代の終わりくらい、多くのカメラマンに言われたこと、それは「デジタルカメラが進化しすぎて仕事が減った」です。

高価な機材なしに撮れなかったハズの写真が、素人にも撮れるようになって、多くの媒体で、編集者やライターが自分で撮影する時代になりました。「こんな程度の写真で良いのかい」と、「細心の工夫をして、高い機材でやっていた努力を無視されたようで辛い」といっていたカメラマンもいます。

しかし実は、編集者だってライターだって同じです。今どき誰でも「ライターです」「編集者です」って名乗れます。かつて、雑誌の編集者になるのは狭き門だったのです。

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