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罵倒ならパルムの後で

人間を形作るのは言葉である。

口にした言葉が、引用された語彙が、選び取った単語が、その人の感性の姿形を彫刻していく。

これは経験則として、悪口や汚言を日常使いする人に”本当は良い人”などと自分の認識を改めるようなことを感じたことはないし、人を傷付けようという意志を少しでも帯びさせた言葉や喋り方には拭えない澱みがあるように思う。普遍的な優しさを欠くような、そんな澱み。

優しい人が好きだ。
優しい言葉を使う人が好きだ。
数多くの混沌が蔓延る発火寸前のこんな世界でも、凪いだ海を想起させる、そんな なごみを帯びる人が好きだ。

そんなわけで。
言葉遣いが綺麗な人間を尊敬する僕だけれど、ただ厳密に言えば綺麗な言葉や表現を並べられることに憧れるのではなく、対人において自覚的に自分の振る舞いをそこに置く心根の在り方にこそ憧憬の念を抱くのである。

つまり綺麗な言葉を使う人は、その人の前で、しっかり綺麗であろうとしている人と言えるからだ。

言葉”で”着飾る。
正しくそれもお洒落の一環なのだろう。

それをなんだか背伸びしちゃって可愛いねと茶化し立てるのは簡単だが、友達だとか恋人だとか家族だとか──そういう人前で背伸びをすることを忘れた人間は、時として大きな失態を損じる。

三島由紀夫よろしく、私は安心してる人間が嫌いだ、というやつである。割腹すら辞さない意思で、僕もまた腹を割って、そう思う。

理想論を語れば、自分に限らず他人が他人へ向ける総ての言葉に優しき誠意があれば良いと思うが、しかしながらそれはやっぱり理想に過ぎなくて。仮にそれが実現してるなら、世界平和はとっくに果たされているだろう。

なんて嘆かわしい。
悪口も非難も罵倒も大の苦手だ。

特に罵倒だなんて、
余程の正当性がなければ御免被るというものである。


ところで、その日は、クソ暑かった。

音声作品サークル:はだか抱きまくら係の名作『勃起できる雄が希少な世界で昨日まで友達だったクラスメイトが専属孕み係になったり、メスの孕ませ方やセクハラのコツ、初対面の雌と交尾する方法を勉強したりする話』と漫画家:ぽちたろ先生の『絶頂リフレ-駅前の性感マッサージ店で◯◯になっちゃう女の子の話-』電子完全版の併せ技による性欲処理もそこそこに、明日は朝早く仕事だからと寝床に入ったのだが、これがうまく眠れない。

君のお役御免は今から5時間後ね、なんて電子信号の指示と共に25度に設定されたクーラーも形無しである。

僕の地元は山の近くで、都心と比較すれば夏場の温度は遥かにマシだったため、上京してから数年経過した今もなおこうしたギャップ燃えはよくあるのだった。

熱を帯びた身体をゆらりと起こす。
身体が水分を求めていた。

部屋の中心でナスカの地上絵のように奔放な寝相を晒す彼女(かのめ)ちゃんを跨いで、冷蔵庫から、買い貯めていた500mlのスプライトを一本だけ取り出す。

カシュッ、と小気味の良いオノマトペが室内に響くも、この熱帯空間で涼を覚えるには物足りなかった。

一昨年 個人的なフィルモグラフィの小道具として大量に購入──50か60個くらいだったと記憶している──した風鈴を、もう使わないだろうと実家にまるっと送り返すべきではなかったと軽い後悔をする。

その手の僕の浅慮が招く些細な不幸シリーズを振り返るような気分でもなかったので、喉を潤しながら、踵を返した。

ところで彼女ちゃんは、床に頬擦りするようにして突っ伏す形でぐうぐうと寝ている。

いや、ちがう。
この言い方だと誤解を生むので訂正する。

僕は、自分はぬけぬけとベッドで快適に寝ている癖に、同居生活を送る女性を布団もなく床で寝かせるような男ではない。床はひんやりするから、と夏場になると必ずこうして眠るのが彼女のお約束なのである。

それに。
そもそも彼女は人間ではないのだから、見た目がそうであっても、これを女性と区分するのも変な話である。

彼女は僕の良心のメタファーを名乗る、僕の幻覚である。

僕が道に迷った時は、すかさずドヤ顔でGoogleマップを起動して、進むべき道を教えてくれる。そんな存在だ。ちなみに人生の道に迷った時は、自己弁護を発動して、僕への憎まれ口を叩いてくる。世に憚れて欲しい。

名前は要らないと言われたが、ないと不便なので、彼女(かのめ)ちゃんと僕は勝手に呼んでいる。

「───パルムが食べたいわ」

スプライトの空き缶を軽く洗浄し、音を立てないようにゴミ箱に捨てると同時に、聞きなれたハスキィな声が聞こえてきた。

僕は彼女を起こしてしまったことを早々に謝罪して、エアコンの設定温度を1度下げ、不快な温かみが残るベッドに再び横になる。

さてと、寝直すとしよう、

「夏といえばパルムよ。至極のアイスといえばパルムに決まりね。熱帯夜のお供には恋人よりもパルムだわ。パルム。パルム。パルム。ふふふっ、その単語をこうして口にするだけで気分は恋に恋するティーンエイジャーね。ああ愛おしくてたまらない。きっと私の前世は森永乳業なのよ!」

暑苦しい。

ただでさえ熱が籠る状況下なのに彼女が僕の身体を跨いで反復横跳びを始めたのでいやに暑く感じるし、それに伴って右に左に飛び跳ねて妄言をぶつけてくるのでなかなかに苦しいものがある。

ヨーロピアンシュガーコーンをこよなく愛する僕としては、あの手の王道の作りのアイスは好みから外れるのだが、彼女に関していえば昔からパルム一筋である。

ヨーロピアンシュガーコーン⇒とても美味しい。

枕元に置いた腕時計──文字板には小さな亀裂が走っており、何かの弾みで壊れそうなので心配している──を見れば、2時45分を過ぎたあたりだった。

幻覚の頼み事を聞いて、アイスを買いに行くには、なかなかに腰が重い時間である。

「そうよ! 愛しのパルム様に会うんだから、このままじゃあ行けないわ。身を整えないと」

気まぐれな反復横跳びに飽きたのか。
まるでそれが確定事項の如く、彼女はそそくさと外出の為の化粧を始めた。

冷蔵庫からバターを取り出して一摘みだけ掬い取る。
指の微熱で溶かしたそれを眼球に塗り付け、瞬きを一つ二つと繰り返して、瞳に馴染ませていく。

小粋なステップでそのまま洗面台へ。

僕が口内洗浄の為に普段使いをしているLISTERINEトータル+の容器を掴んで、ラベリングされた先頭のLの文字をキュイっと抜き取ると、その漆色のLを片耳にピアスとして挟み込んだ。

本日の彼女ちゃんの髪型はベリショなので、そのやや大きい歪なピアスは相応に目立っていた。

最低限の化粧は整ったようである。
整ってしまったようである。

「というか、ほら、アンタのエッセイのネタになるかもよ。思ってたより評判が良くてしばらくは続けることにしたんでしょ。ならネタは自分から探しに行かないと。四の五の言わずにパルムを買いに行かないと」

彼女は味の好みと同様に、物事の見通しも甘いらしい。

夜中にアイスを買いに行きました。ちょっと溶けかけだったけど、美味しかったです。おわり──こんな些細が、人の興味を引くような話になるわけがない。

そういうのは、夜中にアイス買いに行くだけの話を面白く書ける局所的な才能の持ち主に頼んでほしいものである。

それに事実に準拠したありふれたエッセイとはいえ、自分の名前で半端な物は世に出したくない。なんでもいいわけではないのだ。切実に放っておいて欲しい。

「アンタの戯言なんて知らないが? 今夜、この私がパルムを口に出来なかったら、素敵な青髪お姉さんに夜通し正当な罵倒を耳元で流し込まれる音声が始まるんだが? 税込2200円なんだが?」

罵倒のみならず、お金も取る気らしい。
しかも大人気声優がCVしてる時の料金設定である。
そのままウチの子じゃなくて、DLsiteの子になってくれ。

「──それに」

僕の携帯を颯爽と奪い取り、スイスイと慣れた様子でスワイプを繰り返して、複数のメッセージの遣り取りが列挙された画面を僕に突き付けてきた。

「褒めてもらったんでしょ。この子に」

この子──というのは、僕が絶賛片思いをしている”彼女” のことだった。

そんな彼女に、先日投稿したエッセイをお褒めいただく機会を得たのである。有難いことだ。お慕いしている人に褒められるのはなんだって嬉しい。

「なんかクールを気取ってるけど、めちゃくちゃ喜んでたわよね。時間があれば その遣り取りを読み返して、ニコニコしてるわよね。寝る前に読み返して、感涙しながら寝た夜もあったわよね。たったそれだけの遣り取りで、まだ生きてて良かった……って、本気で救われてるような日もあるわよね」

幻覚の戯言は無視くらいがちょうど良い。
というか僕としてはその画面を見せられても、別に外に行く/行かないの気持ちは変わらないのだが。

「いや、ほら、また褒めてもらえるかもよ?」

浅はかな。
一度あることが、そう二度三度と続くわけじゃない。それに彼女は僕のことを恋愛対象として好いてはいないし、今のところその予定もないと聞いている。エッセイを読んだのも興味関心からで、そこに僕が期待するような特別な感情なんて万が一にもないのだ。

読まれようとも、読まれなくとも。
褒められようとも、褒められなくとも。
そんなのは関係ない。

僕のエッセイはあくまでも僕の物で、”彼女” が居るから書いているわけじゃないのだから。

「アンタの戯言なんて知らないって言ったでしょ。いちばん大事なのは、アンタがどうしたいかでしょうが」

……幻覚の戯言は無視くらいがちょうど良い。
ちょうど良いのだが、そう言われると、僕は弱かった。


子供の頃の話だ。
夏休みになると、僕はセブンイレブンを巡っていた。

断っておくと。
僕は普通の感性の普通の人間──この劣等感混じりの自意識を放置した結果、上京後は本物の変人になるべく自己プロデュースとして思い付く限りの奇行を大学で繰り返したのだが、それはまた別の話である──なので、1コンビニエンスストアに異様な執着を抱えていたというわけではない。

平成仮面ライダースタンプラリー/2009

現在のガンバレジェンズが、ガンバライドという名前でデータカードダスとして稼働していた時期に行われていたキャンペーン企画である。

対象のセブンイレブン一店舗につき、22種類の内の1種類のスタンプが用意されており、それを4種類集めるとPRカードが貰えるというものだ。

とはいえ当時としても、買値も売値もせいぜい50円が良いところのカードである。

コンビニがあちこちに乱立する都心ならいざ知らず、コンビニとコンビニの距離が離れに離れている僕の地元でこれに参加する手間暇を考えると、まったくもってその価値は釣り合わない。

しかし子供とはそんな理屈を無視する生き物である。
より厳密に言えば、そんな理屈を親に無視させる生き物だ。

僕は親にこのスタンプの制覇を頼み込んで、半日がかりのドライブをさせたものである。スタンプの被りもあるので、これがなかなかどうして、埋まらないのだ。

炎天下の中、子供の我儘に付き合って車を走らせる親の気苦労は今だからこそ分かる。思い返せばなんだか不機嫌そうだったなとか、そんな中でも僕が熱中症にならないようにアイスを買ってくれたなとか。

あの日、僕はなんのアイスを食べたんだっけ。


卑怯者の甘言を真に受けて、街に繰り出した僕だったが玄関を開けて一歩目から、激しい後悔と不快感を伴う熱波に襲われたのは言うまでもなく。

素肌にグリーンな麒麟のアロハシャツを羽織るという、一皮剥けば裸な格好なのにまったくもって意味がない。

これだから夏は嫌いだ。
”海の日生まれだからやっぱり夏が好きなの?” なんて聞いてきた友人がいたが、そんなわけないだろう。

さて、向かうはコンビニである。
僕の近所にはセブンイレブンが三店舗点在しているが、夜空を彩る星々のように所在の方角がそれぞれ異なり、南側に位置する店舗がいちばん近い。
徒歩4分程度なので、そこに向かうことにした。

「パ、パ、パルムはね〜♫ あまくて つめたくて  おいしくて〜♫ とってもスウィートなお味なの〜〜♫」

自作した曲──曲名:パルムだいすきのうた──を大声で歌いながら、牝鹿のように軽快なスキップで僕を先導する彼女ちゃん。

深夜3時前のテンションではない。

度を超えた奇行を働かれると、エッセイとしてあまりにも嘘臭くなるのでちょっと加減してほしいものである。

「────ちょっと!!!ないんだけど!!!!!」

数分後、南のセブンイレブンに到着するやいなや、アイス売り場に駆け込んだ彼女ちゃんは絶叫した。

確認してみると、たしかにパルムが売り切れている。
なかなか珍しいことだ。
おにぎりやお弁当なら分かるが、コンビニのアイス売り場で特定の商品が売り切れというのはあまり見ない。

残念。だが人生は成るようにしか成らない。
これも運命だろう。売り切れとはいえ、明日の朝には補充されているだろう。運がなかったと割り切って、暑い外の世界から、暑い内の世界へと帰るとしよう。

「次の店、行くよ!」

夜勤中の罪なき茶髪の店員さんに中指を立てながら、彼女は喚きながら、店を飛び出して行った。

パルムを求めて旅する冒険譚は続行の旨らしい。

ここから近いのは西のセブンイレブンで、概算距離は500メートルほど、徒歩8分というところだ。

「Wow♫ Wow♫ パルムよ 永遠なれぇ〜〜♫ 」

一番が終わったらと思ったら二番が始まり、二番が終わったら間奏が始まり、間奏が終わったら三番が始まる彼女の楽曲。セブンイレブンを挟んでも、かれこれ10分は歌いっぱなしなので、彼女の”パルムだいすきのうた”はバラードさながらの壮大な一曲らしかった。

そんな風に。
自分の世界に入りまくりの有頂天な彼女を前に、僕の気分は変わらず低空飛行なので、その温度差を前にすると冷静で真っ当な視野も曇ってしまいそうになる。

子供時代の僕のスタンプ巡りに付き合っていた両親もまた、はたしてこんな気分だったんだろうか。

だとしたら悪いことをしたな、とか、そんなこともちょっと考えたり。

「私分かっちゃった。これは私に向けた森永乳業の陰謀ね。私にパルムを食べさせまいとする闇の勢力が遂に動き出したのよ。エル・プサイ・コングルゥ!」

また売り切れだった。
流石に奇妙な連続なので、アイスの売り場をよく見てみると、その原因らしきキャンペーンが見つかった。

ぼっち・ざ・ろっく!とセブンイレブンのコラボキャンペーン⇒後日、僕も喜多郁代のクリアファイルをGETした。7月17迄。

どうやら。
スーパーカップ.サクレレモン.大人なガリガリ君ゴールデンパイン味.そしてパルム、以上の対象商品を二点購入するとコチラのクリアファイルが貰えるらしく、大人気アニメのネームバリューの影響もあってか、かような理由でパルムがたまたま売り切れているらしい。

「まさか私を裏切ったの 虹夏ちゃん!?」

よく分からない落胆に襲われている彼女を尻目に、他のアイスを確認すると、この店ではスーパーカップが同様に売り切れていた。そういえばさっきのセブンでも、対象商品の在庫が品薄気味だった気がしないでもない。

「もしかして私、もう二度と生きてる内にパルムを食べられないんじゃないかしら。この世の終わりね。みんな死ねばいいのに。虹夏ちゃんがいなければ、こんな世界は、まるっきりのクソなのに……まさか虹夏ちゃんに裏切られるなんて……彼女が森永乳業の刺客だったなんて……」

店を出て、最後に東のセブンイレブンに向かう僕ら。
公園の近くにあり、そこまでは徒歩10分ほどである。

二度の売り切れと推しである伊地知虹夏からの裏切りに彼女もなかなか堪えているらしく、歌うのをやめて、気もそぞろといった具合。

綿あめみたいに浮遊を気取り、重力には逆らっちゃえって、ふらりふらりと歩行する彼女ちゃんだった。

翻って僕はといえば、正直な話、もう外の暑さにも慣れてきていた。かれこれもう30分近く歩いてるのだから、当たり前といえば当たり前だ。

眼球さえ蕩めかせるような暑さでさえ、蕩めいてしまえば、それは単なる日常である。深夜特有の眠気と不思議な高揚感が一体となり、ランナーズハイの面持ちだ。

一歩、一歩、と歩く。
微かに残る初夏の匂いは追い剥がれて、生温い風が僕の頬を撫でるばかりのそんな夜。

彼女ちゃんの意気消沈と共に、閑静さを取り戻した住宅街の中、深夜徘徊に興じるのも悪くない。暑いけど。

……お、あった。

最後の店に辿り着くと、お目当てのパルムが一個だけ残っていた。

ぼっち・ざ・ろっく!のクリアファイルは4人共在庫分売り切れていたので、実質キャンペーン終了の恩恵だろうか。税込173円。購入を済ませて、溶けないうちにと、公園に立ち寄ってベンチで食べることにした。

ところで、パルムをご所望だった彼女ちゃんはぐうぐうと寝ていた。

随分と先程から静かだなと感じてはいたが、いつからか眠りながら僕に随伴していたようで、声を掛けなければ自力で起きそうもない。

……僕はパルムの梱包を破り、それを口にした。
うん、数年振りに食べたがなかなか美味しい。

その一口は、素敵な青髪お姉さんに夜通し正当な罵倒を耳元で流し込まれる音声をこの後で聞かされる事の決定を意味していたが、まあいいさ。これは僕が悪い。

罵倒ならパルムの後で、いくらでも聞くとしよう。

夜中にアイスを買いに行きました。ちょっと溶けかけだったけど、美味しかったです。おわり。


2024/7/14 都部京樹
執筆BGM
『Vacation』DURDN
『ハイド・アンド・シーク』 NOMELON NOLEMON
全体プレイリスト⇒https://open.spotify.com/playlist/4F2A0A5x6T5DZLZXDXuEoB?si=mix2GWYwQwmeRGXgtv1FIQ&pi=a-zyBb9xsyQT2m

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