②「罪人の使徒 ~使徒の仕事は疲れたので神様殺すことにしました~」
2章
森の中心、私たちが暮らす大きな木造りの家、アトリエに着くと、コゼットを含む数人の同僚が、私に声を掛けた。
「お帰り、ノクリア」
「ノクリアお姉ちゃんお帰り」
リリィの無気力な声に続いて、コゼットの明るいお帰りが聞こえた。
コゼットの隣に座ったリリィは、何が楽しいのか薬草をいじっている。
ウルフカットの彼女の髪の色は、ピンクに近い紫色だ。彼女の雰囲気は独特だが、寡黙だから私に害はない。
「お帰り」
「お疲れさん、ノクリア」
穏やかな青年の同僚、ケルドと、さっきの客ほどは歳をとっていないが、まあまあ年季のあるダンディ、ユダ。
ケルドは青年としては平均的な体格で、髪に緑みがあり、短くまとまっている。
対して、ユダのフォルムはがっしりしていて、一言でいえば大男である。
「ただいま、みんな」
本能的に、椅子に座って積み木遊びをしているコゼットの方に向かった。どうやら、神々が住む神殿を積み木でつくったらしい。
私の方を見てユダは苦笑いを浮かべ、昨夜壊れたレコードの修理に取り掛かった。
ケルドは暖炉の薪を調整するのに苦戦している様子である。
もう一人、ケルドと体格がよく似た、青年のジャックが椅子に座って、脚をぶらぶらさせていた。彼は私の帰りに声をかけるどころか、目もむけず、自身の愛用剣を磨いていた。
こいつもこいつで見ていて不快だが、問題のあの女は、今日の料理当番だった。
湯気に運ばれたやわらかい牛乳の匂いは彼女が手にかけるシチューのものだった。
後ろ向きにユカは言った。
「ノクリア、あなた今日、浴槽当番でしょ。なんでコゼットと遊んでいるのかしら?」
可愛いから。あんたもよくわかるでしょ。
ユカのことはよく知っている。当番が割り振られた場合、真面目なこの女は料理を終えるまで動かない。
「はいはいわかりました。後でやりますよ」
私は軽い調子で返してみた。すると、彼女は鍋を混ぜていた手をぴたりと止めた。
ぐつぐつと煮える音が部屋に広がった。
「いいから早くしなさい。お風呂だって、みんな疲れてるんだから。あなただって早く休みたいでしょ」
ユカの固い声に私は叱られたような感じがした。気にはしていないもののジャック、ユダ、コゼットがいる目の前で叱られたような気がした。
すごく嫌な気分になる。叱られるっていうのは。
「わかったよ。だったらそっちも、不味い料理作らないでよ。食べられなかったどうするの?
こっちは疲れてるのに」
そう言い捨てると、彼女の威勢は止まった。真面目な彼女は頑張っていることを貶しておけば、勝手に自分のプライドに傷をつけて抉る。彼女の仕事についてひどいことを言ってやればいいのだ。私は風呂場に向かう。コゼットは空気を察したのか、目を伏せて本の端っこを丸めていた。
本当にこの女は気に食わない。
「ノクリア、ユカの料理は美味しいだろ。そんなひどいことを言ってはいけないよ」
ユダがありのように何か言っているが、気にすることなく浴場の扉を開けた。
お前もそういうことを言う。余計なことを言うな。
扉を閉める。湿った浴場の空気はやけに温かい。肌に合わない。イライラする。
身をすくめて、そのまま体育座りの姿勢をとった。
顔をうずめる。
わかってるわそんなこと。ユカの料理が前の頃から比べて上達していることも、自分が料理のことなんて気にしていないことも。
余計なことを言われるから、こんなに胸が痛くなるんだ。
これから私は浴場を掃除して、またさっきの部屋に戻らなくてはならないと考えると、余計体がびりびりし始めた。
あああああ!
「話しておきたいことがあるんだ」
七人、使徒で囲んだ静かな食卓。
一同が食事を続ける中、ユダが喋り出した。
「カウントの話なんだが、この中で五百以下になったって奴はいないか?」
「ユダ、それは十戒を破ることになるだろ」
いつもは黙っているジャックは言った。
「俺たちは互いの数字を知ってはいけない。破ろうとするな」
一緒に暮らしている使徒は全部で八人いる。つまり、この場には一人、ペテロという細長い中年がいない。
昨晩から帰ってこないペテロ。ユダの話によると、彼は商業関係の仕事で泊まり込んでいるらしい。
転生者を元の世界に送ることが使徒の役割であることは確かにそうだが、
「なぁ、仮にこの中の誰かが扉に呼ばれたとして、そいつはカウントがゼロになったことを、知らせていいと思うか?」
確かに。もしカウントがゼロになったのがこの中にいたとして、それを言うのは戒律違反になるのではないか。
ケルドは聞いているのが気まずいと言ったふうに、コップの水を静かに飲んでいた。
「確かに微妙なラインだな。だけど、どうだろうな。万が一それが十戒を破ったことになったとしても、あのお方々に説得すればなんとかなるんじゃないのか」
「説得? あのお方々はそんな暇を与えてくれるかしら?」
ユカが口を挟んだ。腕を組んだままジャックの目をみつめ、細める。
「だいたいジャック、どうしてそんなに挑戦的な態度なの?」
「どういう意味だ? ユカ」
私はフォークを動かし、二人の話を聞かないようにした。
陰鬱そうに静かなリリィも、同じようにしている。
「俺はそんなに挑戦的なことを言ったか? ただユダの質問に答えただけだぞ」
「そうかしら。まるで、ユダに十戒を破らせることを促したような発言に聞こえたけど」
ユカの話に、ジャックは溜息をつく。
「違う、そんなニュアンスは含ませていない。冗談のつもりだ」
ジャックは視線をユダに動かした。
「それに、本当に戒律を破ったことになったら、ユダがどうなるか分かるだろ」
彼の発言に、ユカも落ち着いて溜息を返した。
「そうね、ユダはもう戻ってこれないかもね。まさかそんなことになったら、使徒の私たちの中で落とし合いが起きることになっちゃうわね」
「お前たち、不吉な会話はやめて、真剣に俺の話を聞いてくれ」
本当に冷え固まりそうな危険な空気を止めに、ユダは自分を盾にしたようだ。
「カウントがゼロになったら、あのお方々がそいつ以外の使徒にも伝えてくれないと、さよならを言えずに去ってしまうことになるだろ」
立派に髭を生やしたおっさんの声に、少し遅れて、天使のようなささやきがこの沈みそうな家に響いた。
「そうだよ、そんなの寂しいよ。誰かが勝手に行っちゃうなんて。それも、みんながこんな状況なのに……」
彼女の目を見て責任を感じたのか、ユダが必死に手を振る。
「違う、違うんだよコゼット。別に俺は、そういうことを言いたいんじゃないんだ」
「ユダ、まさかあなた、カウントがゼロになったんじゃ?」
目を伏せたユダに、ユカが口を挟んだ。
「俺じゃない。ペテロだ」
一同の視線が、ユダに向けられた。コゼットもスプーンを持つ手を止めていた。
「もうすでに、俺たちの知らない間に扉に呼ばれたんじゃないか?」
この場の全員が言葉を失うほど、ユダの発言は衝撃的なことだった。
私たちに使徒にとって……。
「根拠もないんだろ。それにペテロが泊まり込みで仕事をしているって言ったのはあんたじゃないか」
いつも冷静なジャックの声が、私には平然を装っているように思えた。
きっと、ユカもそうだろう。
「ああ。俺はあいつが湖の方に向かったのを目にした。だから適当な予想を言ったんだ。許してほしい。まさか扉に行った可能性があるなんて……」
余韻が残る。
「あてずっぽうなんでしょ。良かった、ならその可能性はないよ。でしょ、ユダ」
ユカがこの余韻に割り切って発言した。
樽に入った赤ワインを一口呷って、彼は言う。
「そうだな、根拠がないのに、俺は何言ってるんだろうな」
と言って、また赤ワインを飲む。苦い匂いにユカが目を顰める。
そこで、ケルドが場を和ませようと思ったのか、いきなり口を開いた。
「ユダ、肝臓には気を付けてよ。前みたいに倒れて、俺に絡んだときは本当に大変だったんだよ。コゼット、絶対こんな大人に……、なるわけないよな、コゼットは」
コゼットに話を振ったケルドに目を向けると、ばつが悪そうに話すのをやめた。
場を和ませようとした彼の話は不発に終わった。
私はユカの作ったシチューを汁だけ残して二階の個室に戻ろうとした。
他の奴もいずれそうする。
洗面所で歯を磨きながら、とっととお風呂に入って寝てしまおうと思う。
「まあ、今日の話は聞かなかったことにしてくれ。きっとペテロは戻ってくるさ」
私は布団にもぐりこんだ。
他の奴もいずれそうするだろう。
アトリエから少し離れた教会の鐘は朝六時、昼十二時、夜十九時の時刻を知らせる合図となる。そのため、朝の鐘で目を覚ますことになる。
ちょうど朝に跳んでいる、名前不明の鳥が鳴いている。
起きたくなかった。
まだ昨日の一連のことがまだ頭に残っている。たまにものすごく憂鬱な気分で目を覚まし、その日、一日の長さに絶望する。
もっと寝ていたい。
ペテロが天国に呼ばれたのではないかということを一刻も早く忘れたかった。
起きなければ罰則だ。戒律の中に入っているわけではないのだが、軽く脅しのように早起きするよう教唆されてきた。束縛のある、窮屈な暮らしだ。
「おはよう、ノクリアお姉ちゃん」
身支度を整えて階段を降りようとすると、コゼットが目をこすりながら挨拶をしてくれた。
かわいい……。
寝相が悪かったのか、髪の毛が少し撥ねている。
「おはよう」
私にはコゼットがいる。コゼットのことを一日のどんな時間でも忘れたくはない。ずっとこの子のことを考えて生きていたい。
もし本当にペテロが天国に呼ばれていて、言い伝えが本当なら、私たちは、コゼットはどうなるのだろう……。
あとで髪の毛を梳かしてやろう。
「急ごう、コゼット。少し遅れちゃうかもしれない」
「そうだね、メジェドさんの話声聞こえるもんね」
あの女にコゼットの世話を奪われたくはない。だけど今は急がなくてはならない。
朝の決まり事。これだから起きるのが嫌になるのだ。
まだ霧がのこっている寒い中で、朝礼を行わなければならないのだ。
階段を降り、扉を開けると、そこにはトランプのジョーカーのような帽子をかぶった、三日月型に吊り上がった目の男がいた。
「ごきげんよう。みなさん」
この男の名前はメジェドといった。
使徒の管理者であり、神々の遣いだ。
とんがり帽子から穏やかさを装った目がのぞく。
「しかとはよろしくないですよ。ノクリアさん」
私は無意識に彼の視線からコゼットをかばうような位置に立っていた。
彼の目が何か疑い深そうだから、そんな奴の視界にコゼットを入らせたくはないと思ったのだ。
「……まだ、黙っていますか」
そりゃ黙っている。
何を言われようとだ。私はあんたに挨拶さえしたくない。
頭で何を考えようと、彼はにこやかな笑みでこっちを見ている。ほんと、気味が悪い。
「許してやれよ、メジェド。ノクリアは寡黙なんだ」
先に到着していたユダが言った。
続いてドアから、ジャック、ケルド、ユカ、リリィ、の順で外に出てきた。
こいつらにぶつからないように、私はコゼットの手を引いてその場からすこしずれた。
「ごきげんよう」
と、もう一度メジェドはにこやかに笑ったが、ユカとケルドとが頭を軽く下げただけで、彼らから一切の声は聞こえなかった。
ここの使徒は本当に愛想が悪いようだ。
「まったく、困りましたね……」
微笑みを残したまま彼は溜息をついた。
朝礼、これは禊であり、正しく生きるための儀式だ。
私たちは毎朝、神の遣い、管理者として送られたメジェドの口から十戒を聞かせられるのだ。
「では始めますね」
ばかばかしい。
毎朝、十戒を聞いている時に思う。
こんな何度も何度も聞かされなくたって、戒律を破るつもりはない。
罰せられるのに破るものがどれだけいるんだという話だ。
「つまんな」
朝礼が終わってアトリエの中に戻る際に、ジャックが捨て台詞のように言った。その視線はメジェドに向けられていた。
対して、メジェドは頬に残った笑みを崩そうとしなかった。
まったくその通りだ。これに限ってはジャックに賛同できる。いつまでこんなことを繰り返すんだか。
帰ろうと思った時だった。
「ノクリアさん、少し残ってもらえませんか」
私は振り返った。
「あいにく、当番があるので」
「そうですか、お役に立とうと思ったのですがね」
彼はそう言うと、その場を後にした。
朝ごはんを作らなければならない。リリィと一緒に。
私が戒律の秘密を知ることになったのは、この日、朝礼で初めてメジェドに呼び止められた日の午後十二時仕事を終えた後だった。
いつも通りの説明をし、年老いたリザードマンを送り出したあとだった。
そのリザードマンは、天に昇るときにやけに騒いでいたと思い返していた。
森の入り口から、二人組の男の声が聞こえた。
一般の民がこの森に入ってはいけないことを知らないのだろうか。
それに、この森は結界になっているのではなかったのか?
戸惑っている隙に、彼らの足音は泉に近付いてくる。
「本当に、入れちまったよ」
「ああ、やっぱり結界なんてのは噂話だな」
そんなはずはない。この森にはメジェドという管理者がいる。彼が出入り口である場所を警戒していないはずがない。もしそうでないとしたら、メジェドは、あの見るからに怪しいあいつは……!
「見当たらねえな。使徒一匹、捕えて奴隷にしたらどうしたい?」
「そりゃ、金に換えるさ。二度と困らないようにな」
「夢がないね。使徒は偉い美人だって聞くぜ」
「子どももいるし、女もいるだろうな……」
人身売買。こいつら、私たちを捕まえに来たということだろうか。
まさか、その身なりで?
私の顔は嘲笑を表していただろう。
ベテランの勇者とか、死に急いだ魔王とかならまだわかるけど、商人に負けるほど使徒は落ちぶれていない。
けど、何か引っかかる。こども……コゼット!
そうだ、さっきコゼットが入口の方に遊びに行っていた。もし、あの連中に出くわしたら!
無意識に、足が彼らの方へ向き、私は飛び出していた。
驚いた二人の表情が現れる。
「なんだ、お前」
「来るな、化物!」
動物を狩るために用意していたナイフを、私は彼らの首元に刺す。
血が溢れて、彼らは白目をむいて倒れた。
視界がぐらぐらと揺れた。地面の血が自分の身体から溢れているみたいに、足元がおぼつかなくなった。
「仕方ないんだ……」
侵入者なんだから。危険な存在なんだから。
十戒の言葉が頭に浮かぶ。使徒は外の者に姿を見られてはいけない。
しかし、その後に、私はいかに愚かな理由で、この一連を正当化しようとしたのかわかった。
人を殺してはいけない。
十戒の言葉が頭に浮かぶ。
どうしよう、どうしよう!
足音がする。この軽い足音。かわいらしい喉笛。コゼットだ。
見られる。戒律を破った私の姿が見られてしまう。
ふと、左腕に熱がこもったような気がした。何度も経験したあの感覚だ。
「嘘、カウントが減っている⁉」
焦って出てしまった独り言に慌てて口を押さえる。こうしてはいられない。
杖を動かし、私は死体になった二人を早急に転送させた。自己流で、長たらしい極まりを破って、私は彼らの前世を探す。
光のヴェールと共に、彼らの魂は天に上がっていった。転送に成功した。
「ノクリア、お姉ちゃんどうしたの?」
「何でもないよ、早く戻りましょうコゼット。さっきクマがいたのよ」
「ほんとう? 今日のご飯はごちそうね」
「いいから、早く、早く帰ろう。ね」
無理やりコゼットを引っ張り血まみれになったその場所から離れる。アトリエに帰る。
殺したことでカウントが減った。
……どういうことだ?
戒律への罰を恐れる前に、私はこの目に見える事実が頭に残っていた。
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