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雨のせいにしよう。

「女は雨が降ると変な方向に気持ちが昂る気がする」

2017年に放送されていたドラマ「東京タラレバ娘」の大島優子ちゃんのセリフ。
雨になると、このセリフを思い出す。
今日は大雨なので、変に正直な感情を書こうと思う。

私は最近気づいたことがある。

「怒り」を常に静かに抱え込んで生きていること。
それは自分に対して、夫に対して、世間の品なく見える物や人に対して。


まずは内側。つまり自分である。

子供が幼稚園に行けば、急な連絡を気にする以外は自分に使える時間。
ダラダラしてても、読書してても、家事をしてても、作業をしてても、誰に何を言われるわけでもない。
でも自分は自分を俯瞰で見てガッカリしている。
結局、送ってからお迎えまでダラダラをスマホでマンガを読んでしまった。
最低限の家事しかしてない。
今日こそは!と昨日は意気込んでいたこと、気力が湧かないから次にしよう。
その次の機会もムダに過ごして先延ばしにしてしまった。
時間を溶かしている自分にイラ立つけれど、何も気にせず好きなことをできる時間に甘えてしまっている。
「まだ〇時だから大丈夫」「今日じゃなくても大丈夫」という呪文を唱えながら。
生産力のなさにも腹が立つ。
生来のめんどくさがりにも。

外に向けられる怒り、身近な対象は夫である。

仕事から帰ってきて、食事をし、自分のタイミングで食器を洗ってくれて、自分のタイミングでスマホを眺め、自分のタイミングで子供に向き合い、お風呂に入れる。
なんなんだ、この「自分のタイミング」!
本人からすれば、「疲れているから休ませてくれ。これでも十分やってるだろう?」と言いたいのだと思う。
私もそう思う。
仕事から帰ってきて、ホッとしたいのに子供に遊べとせがまれ、食器洗いと子供のお風呂・寝かしつけの任務も待っている。
そりゃ疲れる。
けど、私から見れば「詰め込む必要はないけれど、もう少し譲歩して物事を進めて、子供が寝てから好きなことをすればいい」と思ってしまう。
子供がお父さん!と呼びかけているのに、目先はスマホで返事も曖昧。
自分の食事が終われば、子供と私が食事をしていても即スマホ。
(仕事とプライベートどっちもチェックに必死)
子供の話はお風呂で聞いているので十分的な行動。
平日、この一連全てにイライラする。
これでは、少しでも平日も構ってほしい子供の気持ちが気の毒だと思い、いろいろ言ってはみたが、「そうだな、うん、はいはい」。
聞いてんのか?
「休日は構ってるし、遊んでるから大丈夫だろう」と思っているかもしれない。
(ここで「かもしれない」という曖昧な想像に任せてしまう辺り、大事な部分においてコミュニケーションが足りなくてムカつくが脱線してしまうので、一旦この場は横に置くことにする。)

鈴木雅之氏ばりに言いたい。「違う、そうじゃない」


休日、お出かけや買い物、遊びと子供を連れて行ってくれるのだが、どこか自分の気分次第なのだ。
そしてタスクが終わると、子供は同居している祖父母(夫の両親)の所に遊びに行く。
じゃあ夫は何をしているのか?
プレステやパソコンで動画編集やゲームして、子供は放置。じいじ・ばあばに子供任せっきり。
いや、数時間も集中してゲームしてる場合かよ。もうちょっと関わり方に工夫してくれよ。
私は平日、子供が起きてる間、義父母にお願いしたこと、まずないぞ!
体調不良とかでない限り、疲れたら疲れたなりにお絵かきとかあるでしょ!
しかも、子供が遊んでほしいとせがんでもゲームも動画編集もやめない。
仕事でもないのに。

それは子供が寝ている時とか、一人遊びに集中している時に、少しずつやってほしい。
呼びかけられたら、説明して待ってもらうとか、とにかく何かしら子供が納得できる反応をしてほしい。
ここまで書くとモラハラ妻のように、自分でも見えてきたが、弁解させてほしい。

「自分は十分やっている」的な発言をするから腹が立つのである。

私からすれば、タスクをこなしているようにしか見えていない。
例えば、お風呂の前にトイレに行くように習慣づけしたいと夫にも考えを共有している。
なのに、子供がめんどくさがってトイレに行かずにお風呂に直行している。
なんなら、夫もトイレを促すことすらせず、さっさとお風呂に入れようとする。
もう一度言う。「違う、そうじゃない」
近いタイミングでトイレを済ませたとか、体調不良とか、やむを得ない事情があるなら分かる。
しかし、子供はただ面倒くさいというだけの理由だし、気づいた私が声かけしても返事が夫からの「大丈夫やって」なのである。
子供に聞いてるし、一緒に説得してくれよ。
なんなんだろう、この言いようのないモヤモヤは。
こんな感じのことが、ままあるのだ。
これで果たして、父親として育児をやっていると言えるのだろうか。
私から見れば、大きな子供がいるようにしか見えない。
他にも思うところはあるが、キリがないので一例に留めておく。
夫というのは、どこもこうなのだろうか?

5年ほどメンタルクリニック内で、ここ1年お願いしているカウンセリングの話題は、ほぼ子供についてではなく夫についての悩みである。
これも悲しい。

街に出たら出たで、モラルに欠ける人やマナーの悪い人を見けてイライラする。

人の迷惑などお構いなしにマイペースを貫く人、自宅の前で無遠慮な声かけを大声でしてくるシニアボランティアのおじいちゃん、自分優先な運転をしてくるチャリンコ暴走族…
もうキリがない。

表には出さないが、とにかく引っかかることが多すぎて疲れる。

なぜ表に出さないか?
表に出して、反逆に遭うのは私だからだ。
自分のことは、自分をコントロールしようと努力はする。
けれど、外に向けたものはコントロールもできなければ、悪い時には攻撃される。
夫は不機嫌になったり、逆ギレしてくるので怖いし面倒。
他人は私が言う筋合いもないし、仮に言ったところで揉めるだけである。

常に怒りを抱えている人は少ないのだろうか?

と思って調べてみると、意外といろんな記事がすんなり出てくる。
ということは多からずは居るのだ。
調べた中で、見やすく分かりやすかった記事をメモ代わりに貼っておこうと思う。

怒りが収まる日は来るのだろうか…

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