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板書案について


先日こんなツイートをしてしまった。

ツイッターには、良し悪しは別として、板書の写真が載っていることもあります。

中には、すごいな、というものもあったりします。

小学校の板書もそうですし、道徳の板書でもこれは真似をしたい、というような、アイディアを盗みたくなるようなものもたくさんあります。

自分も最初の数年間は板書案を事前につくっていました。

特に公立校に勤務していたときは、子どもたちが書きやすいレイアウト、書きやすい図、復習しやすい情報量などを意識していました。

教えたいことはたくさんありすぎましたが、できる子どもたちにとっては更に上につながるような内容を盛り込みつつ、苦手な子どもたちにとっては最低限押さえておきたい内容を取捨選択するという感じです。

練習問題なんかも、前にやった問題が次の問題のヒントになるような配置をしたり、とにかく無駄な肉を落としつつも骨組みをしっかり構築することを意識していた気がします。

そんな基本を意識していたからなのか、私学で勤務するようになってからは、どれだけ子どもたちを伸ばすのか、が求められるようになったと感じています。

それゆえに、授業内で出てくる意見も吸い上げて返しながら、でも大切なところを重点的に板書していく形になりました。

基本の定義なんかは必要最小限。

そこから広がる応用や発展の世界を紹介していく。

図も計算式も、大切なところやつまづきそうなところ、子どもたちから質問があがったところを厚く書いていく。

そんなスタイルに変わりました。

基本的な軸は変わっていません。

より上を目指すために、問題もより応用的な問題は選んでいます。

しかし、そこに至るまでの階段の作り方の意識なんかは変わっていません。

前の問題が絶妙に次の問題のヒントになっている、とか。

関連する派生パターンをとにかく列挙する、とか(似ているからなんだかんだで解けたりする)。

絶妙なハードルを設置して飛ばす、という感じでしょうか。

その上で、大切な所、難しい式変形を取り上げる。

ハードルを飛ばせるための部分に特化しつつある、という言い方が適切かもしれません。

もちろん、定義の部分とか、わかりにくい単元もありますから、そういう部分はものすごくこだわって説明しますよ。

板書だけでなく図とイラストも手書きが難しい場合にはスライド作って動かして投影とかね。

もちろんノートに取りづらい、なんていう一面もあるけれど、まずは理解するというところが大切なのかな、と。

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