部活について思うこと
学校は治外法権
部活動は勤務時間外に自発的にやっていることとされています。つまり本来は誰も「やれ」とも「やるな」とも言えるものではなく、断ることに法的問題はありません。しかし精神的にはかなりの葛藤がありました。
「勇気を出して、誰かがNOを言わなければ現状は変えられない」という思いと、仕組みを変えない限り、「自分が断ると誰かの負担が増える」ことの狭間で逡巡しました。労働契約という観点から見た場合、そもそも時間外の自発的行為なのだから、「やりたくない人は断る」だけで解決する問題です。海外の人や弁護士から見ると、日本の教員はなぜ断らないのか理解できないそうです。
「時間外の無償労働だが誰も断らない」→「誰も断らないからやるのが当たり前となる」→「もはや学校文化の一部になっているので、断りたくても断れない」
何十年も積み重なってきた矛盾を変えることは容易ではありませんが、10年後には誰もが部活顧問を「やる・やらない」の選択ができるようしたいと本気で考えています。
私はよい授業がしたい
私は社会科の教員として「よい授業がしたい」という強いこだわりをもっています。昔は睡眠時間を削って授業も部活も100%の力で臨みました。しかし自分に子どもが生まれてから、それができないことに悩み続けました。部活のために、自分の子どもに犠牲を強いたり、教材研究の時間を削ることに苦痛を感じ続けました。
今まで、「部活ができないから小学校に異動する」という決断をしてきた先生もたくさんいます。しかし私は社会科の教師です。中学校で社会科を教えたいという強い思いをもっています。だからこそ教育課程外の活動のために、教育課程内の仕事にしわ寄せがいかざえるをえない現状の方を変えていくべきであると考えています。
生徒のために
「生徒のために教員は自分を犠牲にすべきである」
「その覚悟がないなら教員など辞めるべきである」
そう考える人もいると思います。それは個人の価値観としては構わないのかもしれませんが、それが当然とされ、教員自身が疲弊してしまっては本末転倒です。ある程度余裕があってこそ、教員自身が落ち着いて考え、質の高い授業を行うことができ、結果的にそれが生徒のためになると考えています。
また教師が、自分自身の時間を大切にする姿勢を生徒たちに見せることも大切な教育であると考えます。「ワークライフバランス」という言葉を、テストで点数をとるために覚えさせるのではなく、教師自身が生徒たちに示していくことが、過労死を生まない社会を作ることにつながっていくと思います。
「○○べきである」という単一の価値観だけではなく多様な価値観に触れることで、生徒たちは多様性を大切にする社会を作っていけるようになると私は考えています。
部活は仕事ではない。
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