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いじめのないクラスの作り方③

誰にだって居場所が必要

 「自己肯定感が大切」ということに異論はないと思います。ところで「自己肯定感」って何でしょうか。「自分はスゴイんだ」って思う気持ちだと考えがちですが、ちょっと違います。それだと他の人のスゴイところを認められなくなっちゃうし、スゴくない人を下に見るようになってしまいます。スゴかろうが、スゴくなかろうが、「ありのままの自分でよい」という意識をもてたとき、人は自己肯定感をもつことができます。
 誰かの物差しに合わせて自分を変えるのではなく、子ども自身が本当にありたい自分に成長していけるようサポートしていくことが教師の仕事です。

 まぁそもそも教師自身が教委や管理職の物差しに合わせるのではなく、自分自身が本当にやりたい教育に気づき、成長していくことが大事なのですが…。まずは教師自身が「自己肯定感」をもちたいですね。


 で、具体的に私が心掛けているのは、「すべての生徒に居場所を保障すること」です。ことあるごとに子どもたちに呼びかけます。「別に全員が仲良くなる必要はない。仲良くなれれば素晴らしいけど、そうならないことがダメってワケじゃない。俺だってすべての先生と気が合うワケじゃないからね。だけど、すべての人と仲よくなる必要はないけど、すべての人を尊重してほしい。気が合わないからって悪口を言ったり、嫌がらせをする必要はないよね。みんなと騒ぐことが好きな人も、一人で本を読むのが好きな人も、すべての人がここにいる権利があるんだよ。誰にとっても安心できる居場所にしていきたい。」と話します。


一致団結はスバラシイ???

 「同じクラスになんだから、一致団結~~~!」というのは、結果としてそうなるのは素晴らしいけど、押し付けちゃうと馴染めない子にとっては地獄ですからね。まぁ、私なんか若いころは馴染めない子の気持ちには寄り添えなかったですから偉そうなことは言えないのですが…

 どうしてもコミュニケーション能力の高い子がクラスをリードしていきますが、そのような時、コミュニケーションが苦手な子は疎外感を感じていないでしょうか?
 ともすると「声の大きな子」の意見だけでクラスが動いてしまいますが、それだと「声を上げられない子」が透明人間になってしまいます。クラスのリーダーたちに、「声を上げられない子」の存在をきちんと認めさせ、その上でクラスをリードしていくようサポートしていきます。結果的に「声の大きな子」の意見が通ったとしても、「透明人間」なのか「そこにきちんと存在する人間」なのか、これは大きな違いです。このような小さな日常を積み重ねることでクラスの雰囲気は変わってきます。


 私は普段からよくディベートを取り入れています。何か命題を与え、賛成・反対の立場から意見を述べます。正式なルールに則ったものではなく、勝ち負けも決めません。唯一の禁止事項は「同調圧力」によって意見を封じてしまうこと。そのような中で私自身はファシリテーターとして、必ず全員に意見を言う場面をつくること、どんな少数意見(ときには絶対アウトな意見でも)もみんなで聞くことを意識させます。
 結論を出すことではなく、誰の発言も(あるいはそれに対する反対意見も)認められる空間を作ることが目的です。日頃ほとんど発言しないような子から鋭い意見が出てくることもあります。すると周囲は感嘆し、本人も自信をもてます。ディベートは、放っておくと上下の力関係ができがちな生徒同士の関係をフラットな状態に保つ効果があるように感じます。


 もちろんやり方は人それぞれ、担任と生徒の個性を生かしたやり方を模索することが大切です。一人一人が自分のクラスを「安心して、ありのままの自分でいられる居場所」にしていければ、自ずといじめやそれ以外の問題も減っていくはずです。

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