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#7「公共財」としての公立学校を問い直し続ける |校長の挑戦

 新連載、「校長の挑戦」。いろいろなしがらみのなか、積極果敢にさまざまな挑戦をしている全国の校長先生への取材を一人ずつ掲載していきます。7人目は、北海道小樽市立朝里中学校長の森万喜子先生です。

森万喜子先生

プロフィール
1962年北海道生まれ。北海道教育大学特別教科教員養成課程(美術、当時)卒業後、千葉県千葉市、北海道小樽市で美術教員として中学校で勤務。その後教頭職を7年勤め、小樽市立望洋台中学校長を経て、現任校で勤務。前例踏襲や同調圧力が嫌いなのは生まれつきか、美術科ゆえのマインドか。「ブルドーザーまきこ」(当時ブルゾンちえみというお笑い芸人がブレイクしていてそのパロディ)と呼ばれる。校長就任後、兵庫教育大学教職大学院教育政策リーダーコース修了。猫と文房具が好き。

【森校長の挑戦】
① 教員・保護者・地域を巻き込みながらの学校教育目標の見直し
② 地域との協働とコミュニティ・スクール化
③ 生徒主導による校則の見直し

■学校は「屋台村」ではなく、「デパートの大食堂」であるべき

 この本のタイトルは『校長の挑戦』ですが、私自身はこれまで、何かに「挑戦」してきたという自覚がありません。「こっちのやり方のほうがいいんじゃない?」と思いついたら、後先かまわず突き進む。そんな人間です。そのため、たまに思わぬ事態を招きます。
 まだ管理職になる前、教諭だった頃のことです。私は当時、学校の中に社会の風を入れたいと考え、地域の人材をゲストティーチャーに迎えていました。
 そんな折、リクルート出身の民間人校長として活躍していた藤原和博先生が、出張授業をしてくれるという案内をネット上で見つけたのです(エンジン01文化戦略会議)。さすがに小樽まで来てはくれないだろうと思いましたが、ダメもとで申し込みました。当たらないだろうと思っていたから、管理職の許可も得ないままです。
 すると、驚くことに「小樽は行ったことがないから行く」と、OKの返事が来ました。しかも、作家の林真理子さん、受験アドバイザーで精神科医の和田秀樹さん、作曲家の三枝成彰さんの4人で来るというから大変です。
私は翌朝、いつもより早く出勤して校長先生に事情を打ち明け、「すみません。まさか当たるとは思わなかったんです……」と謝りました。むろん、大騒ぎになりましたが、幸いにして了承が得られ、4人の方々にお越しいただくことができました。当日は、生徒たちはもちろん教職員も熱心に耳を傾け、大いに刺激を受けたも1日となりました。
 結果オーライではありましたが、「まさか当たるは思わなかった」なんていい訳は、今どきの中学生だってしないでしょう。ですが、当時の勤務校も含め、在籍した学校にはどこも自由にやらせてくれる風土がありました。そのお陰もあって、いつしか私は学校をつくっていきたいと思うようになり、管理職を志向するようになりました。
 その出来事の4年後、私は教頭になりました。多忙な日々ではありましたが、学年・教科の枠にとらわれずに学校を見ていけることで改善の手ごたえも感じました。ただ、どこの学校に行っても「これってどうなんだ」と感じることもありました。一つは、学校が組織として目標や目的を共有し、合意形成を図りながらそこへ向かっていくという点で弱さがあることです。個々の教員が自分流のやり方で教育活動を進め、あたかも「屋台村」のように競い合い、その結果として学校教育目標も共有されず、形骸化しているような実態がありました。
 教員なら「○○先生が担任でよかった」と言われたいものです。でも教員が個業に陥れば、その指導・価値観に合わずドロップアウトする子が必ず出てきます。生徒の誰しもが「この学校でよかった」と思えるようにするには、教員が学校全体を俯瞰するような視点を持つ必要があるのです。互いに自分の力量を競い合う「屋台村」ではなく、互いが支え合ってバラエティ豊かな「デパートの大食堂」のようになる必要があると、私は感じていました。

■学校教育目標の見直し

 7年間の教頭生活の後、校長になった私は、教職員が同じ目的を共有し、当事者意識を持って教育活動にあたるにはどうすればよいかと考えました。そのために講じた方策の一つが、学校教育目標の見直しです。
 当時、本校の学校教育目標は40年近くも変わっておらず、文言が長いこともあって、教職員も生徒も全く意識していませんでした。この目標の文末は、どれも「~しよう」と生徒に呼び掛けるようなもので、目標としての実効性も乏しい、学校にありがちなスローガンだと感じました。職員会議に諮ったところ、とくに反対意見も出ません。変えることで自分の仕事に火の粉が降りかかる恐れが少ないものには、それほど抵抗感はないものです。責任を負わせられることなく、参画が可能というのは、チームビルディングの入り口としてはいいのです。さっそく、私は教職員と一緒にこれを変えていくことにしました。
 まず、学校評価アンケートの機会に、教職員と保護者から、「どんな生徒に育ってほしいか」について意見を募りました。すると、教職員からは「自信を持つ」「挑戦する」「自他を大切に」、保護者からは「自らすすんで」「思いやり」「あきらめない」など、数多くの言葉が寄せられました。とくに保護者の願いは膨大な量になりました。すべてエクセルで一覧表にして職員に示しました。子を思う親の切実な気持ちには誰だって胸を打たれます。続いて私は、地域の会合の機会に熟議を行い、話し合いました。すると、「この町が好きでここで子育てしてほしい」「弱者や年下の人を助ける人になってほしい」等の意見が次々と出てきました。そうして集められた意見を集約した後には、教職員で話し合い、代案を出して検討という作業を繰り返しました。そうして7ヵ月ほどかけて、「自律・承認・創造」という学校教育目標が完成しました。そこには、保護者、地域、学校が願う「人の姿」が記されています。
 学校教育目標は、校長が単独で変えることもできます。やり方は人それぞれでよいと思いますが、私の場合は「周囲を巻き込む」プロセスを重視しました。まず教職員を巻き込み、次に保護者や地域を巻き込み、多様な人たちからの意見を聞きました。そうしたプロセスがあったことで、誰もが学校教育目標を自分事として意識するようになると考えたからです。空から降ってきたものには思い入れは少ないものです。
 実際、学級目標なども、学校教育目標に連なるものと意識しながらつくられるようになりました。教職員と面談をする際も、ごく自然に「自律・承認・創造」を軸に「どうしていきたいか」を考えるようになりました。
 学校という組織は、とかく話が本質からずれて方法論に陥ってしまいがちです。大切なのは「何のため」を考えることで、その意味でも学校教育目標を皆で共有し、日頃から意識しておく必要があります。
 また、私が学校だよりや全校集会で、「自律・承認・創造」を具体に落とし込む話をすることで生徒もそれを意識するようになりました。今では、生徒会役員が話し合いのなかで、「これは『自律』という点でどうなんだろう?」などと語ることも珍しくありません。また、職員との面談でも、「前期の取り組みで、子どもたちに『承認』が育ったという手ごたえはあります」と学校教育目標に準拠した自己評価をするようになっています。
 約7ヵ月間の見直し作業を通じ、学校・保護者・地域間の距離もぐっと近くなりました。保護者から寄せられた思いや願いの数々を知り、教員はその期待に応えねばと認識を新たにしましたし、地域の人たちと保護者との間の共通理解も図られました。教職員に関して言えば、役職・年齢を超えて素直に意見を出し合ったことでチームビルディングが図られ、職員室の雰囲気もよくなったように思います。

■地域との連携とコミュニティ・スクール化

 一般的に、学校と地域の間には壁があります。子どもが地域にたむろしていると、地域の人たちは「学校は何をやっているんだ」と不信感を抱き、時にクレームの電話を入れてくることもあります。一方の学校も、校門のところに「関係者以外立ち入り禁止」といった札を立て掛けるなど、外部の人たちに「入って来てほしくない」「口出しされたくない」との思いを持っています。その結果、地域住民は学校が何をやっているのか分からず、学校も地域にどんな人的・物的資源があるのかを知らないという状況に陥ってしまうことも少なくありません。
 しかし、これからの時代の新しい学びを創造するうえで、地域との連携は欠かせません。
 本校の校区は地域の活動・行事も活発で、河川敷での花火大会、親子マラソン大会なども、地域の人たちが中心になって開催し、多くの中学生が参加しています。つまり、生徒たちがお世話になっているわけです。だから私は、地域のいろいろな会合や行事に足を運びました。
 たとえば、校区には学校が荒れていた時代につくられた「少年を守る会」という組織があり、月に1回会合を開いています。私はそこへ参加させてほしい旨を伝え、顔を出すようにしました。校長の参加は初めてだったので、地域の方々は驚いておられました。地域行事に校長が出ていくときには来賓扱いされますが、それは嫌だったのです。地域の行事でカレーを200人前つくると聞けば、エプロンと包丁持参で駆け付け、下準備やカレー屋台で販売をさせてもらいました。最初は少し迷惑がられたかもしれませんが、こうして足を運び続けた結果、学校と地域の距離は着実に縮まっていきました。
 そんなある日、地域のお年寄りが「健康料理教室を開きたいけど、適当な場所が見つからないんですよね……」と話しておられました。私は即座に「よかったら、家庭科室を使いませんか?」と伝えました。学校の家庭科室は非常に稼働率が低く、調理実習を行う数回しか使いません。加えて、適度な広さもあるので、料理教室にはピッタリだと思ったのです。
 そうして家庭科室を使った健康料理教室が開かれました。たくさんのお年寄りが集まって、講師の先生のもと、料理を学ぶ。大人が学ぶ姿に中学生は刺激を受けていました。
 本校ではグラウンドやテニスコートも、地域に開放しています。授業や部活動で生徒たちが使っている時間でなければ、いつでも自由に使ってよいことにしているのです。実際に、地元の草野球チームや小学生の陸上クラブが、早朝や放課後に使ったりしています。
 そもそも、公立学校は「公共財」であると私は考えています。子どもたちのものであると同時に、地域のものでもあるのです。その意味で、単に地域と「連携」するだけでなく、地域の人たちに活用してもらうこともごく普通のことだと考えています。
 私は、敷地内に立っている古びた「関係者以外立ち入り禁止」の札を引っこ抜き、倉庫にしまいました。捨てちゃってもいいのですが、これは過去の「学校」を振り返るために活用できるかもしれません。「昔は、こんなものが学校にあったんだって」と驚く時代がきっとくるだろうと。 全国には約1万ものコミュニティ・スクールがありますが、その多くは自治体主導で指定されたもので、学校が自らの意思で指定を受けたケースはさほど多くありません。私は、これだけ学校のことを考えてくれる人たちがいる地域でコミュニティ・スクールができなければ、この制度は世の中に広がらないと考え、教育委員会にその意思を伝えました。そして、2020年4月に正式にコミュニティ・スクールに指定されました。
 単に地域と連携・協働するだけにとどまらず、コミュニティ・スクールという仕組みを導入したのは、取り組みを持続可能なものにしたいと考えたからです。公立学校には異動があるため、せっかく始まった実践が、新しく着任した校長の一存で廃止されてしまうこともあります。そうしたことをなくすため、指定を受けて、学校運営協議会という意思決定機関を設けようと考えたわけです。もちろん、学校は「公」のもので、地域の意見を取り入れながら運営していくべきだという考えが根底にあります。

■生徒主導による校則の見直し

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この続きは、2022年3月刊行予定『校長の挑戦』に掲載します。お楽しみに!

執筆:教職研修編集部
制作協力:株式会社コンテクスト

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「校長の挑戦」は下記の『校長の覚悟』の続編です。
ぜひ、こちらも併せてお読みください。


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