見出し画像

第7回 校長の心得①

教育委員会の立場から「平成」の校長たちに学び、自身も校長として現場に立ち実践を続けてこられた竹内弘明先生(現・神戸親和女子大学教授)に、「令和」の学校経営を担う校長先生たちへ受け継ぐべきスキルとノウハウを語っていただきます。
※第7回・第8回のテーマは、「校長の心得」。学校運営の責任者である校長に求められる心構えとはどのようなものか、キーワードをもとに解説します。

判断力・決断力

 管理職に求められる大きな能力の1つは「判断力」「決断力」です。
判断力は「データや事実からの意志決定」、決断力は「主観的な思いによる意志決定」における能力です。何かを決めるときには、まず冷静に分析して「判断」をし、それでいい、それで行くんだと言って「決断」をするわけです。
 どちらも「間違っていたらどうしよう」とか、「間違っていないだろうか」とか悩みます。でも、悩んでばかりで決められないようでは、教職員は困ります。
 それこそ危機の時には、管理職の判断・決断に依るところが大きいものです。判断力を身につけるのは難しく、いつも悩みますが、しっかりと根拠を持って判断・決断をし、その後も前向きに取り組んでいくことが大切です。
 学校経営において、最終的に判断・決断を下すのは校長である自分です。教職員の賛否は参考にはしますが、校長が信念を持って決断するのです。教職員と校長では、見えているものが違いますから

決めたらぶれない
 そして決めたら迷わないことです。決めてからもぐらぐら揺れていると、教職員はとても不安になります。
 物事を決めるときには右か左か、前か後ろか、あるいは3つ、4つある選択肢の中から1つを選ばないといけません。迷うことはよくあります。
 迷う時というのは、例えば2つの選択肢に対して「51対49」というふうに思いが拮抗し、それぞれ理由があり、「こちらにしよう」と思っても、「やっぱりこれで良いのかな……」と悩み、いつまでたってもなかなか決められないものです。
 迷う時はとことん悩んでください。周囲の人や関係者ともよく相談もしてください。助言ももらってください。そして悩み抜いた末に「こうしよう」と決めたら、あとは迷わないことです
 どちらを選んだとしても、大切なことは、選んだ後、それで良かったと言えるように努力することです。それで良い結果になるという信念を持って努力していくことです。
 仮に、AとBという2つの選択肢を「51対49」で迷い、悩んだあげくAに決めたとします。それでもBには「49」の思いがあるわけですから、Bに対する未練やAを選んだことの後悔は残るでしょう。
 そしてAの道を選択して進んでいても、どこかでうまくいかない時がきて、「本当にAで良かったのか、やっぱりBの方が良かったのではないか……」と悩むものです。
 でも、Aの道を進んでいくのに、Bに未練を持ち「Bの方が良かったのでは……」と思いながらではうまくいくはずがありません。おそらくBの道を選んでいても、どこかでうまくいかない時がきて「Aの方が良かったのでは……」と思うはずです。
 大切なことは、Aと決めたら、あとは「Aで良かった」と思えるように努力することです。AかBでとことん悩むということは、どちらにもメリットとともにデメリットもあるわけですから、うまくいかないことがあって当然です。その時に「Bにしていたら……」と後ろ向きに考えるのではなく、「Aで良かった」と思えるように、前向きに努力することです。この努力が大切です。
 Aの方が良かったと思えるように前向きに努力することで、困難も乗り越えることができ、結果としてやっぱりAを選んで良かった、と言えるようになるものです。
 リーダーが決断した後で悩んでいたら部下は不安になります
決断は下したらそれで終わりではありません。決めたところから次の動きが始まります。未練タラタラ、「これで良かったのか」と悩むよりも次の行動です。「その判断でよかったのだ」と言えるように前を向いて努力することです。

心に余裕を持つ
 また、決断をする際は、心に余裕を持つことが大事です。トイレに行くのは結構有効です。そこで一息ついて、鏡で自分の姿を見る。鏡に映った姿が悲壮感漂っていたら余裕のある表情に直す。そして、決断をする。
 校長の態度は鏡のように教職員に反映されます。校長が泰然自若、落ち着いて的確に判断・決断をしていれば、職員も動揺せず落ち着いて事に当たることができるのです。

君子豹変
 とは言っても、明らかに間違いだと気づいた場合は、潔く変更することも大切です。
「君子豹変す」という言葉があります。立派な人物ほど、自分が誤っていることが分かれば、きっぱりと言動を変えるということです。
『易経』の原文をたどると「君子豹変、小人革面」とあります。「立派な人物は、自分が誤っているとわかれば、豹の皮の斑点が黒と黄ではっきりしているように、心を入れ変え、行動の上でも変化がみられるようになる。反対に、つまらぬ人間の場合は、表面上は変えたように見えても、内容は全然変わっていない」という意味です。立派な人物ほど、自分が誤っていることが分かれば、きっぱりと言動を変えるということです。
「決めたらぶれない」と矛盾しますが、あきらかに間違いとわかりながら意地になって進んでも事態は悪くなるだけです。いったん口にした前言を翻すことは勇気のいることですが、「君子豹変す」と割り切って勇気ある撤退も時には必要です。
 「この選択は明らかに間違いだ」と気づけば、勇気を持って、潔く軌道修正することも大切です。

腹を括る
 決めたら、あとは腹を括るしかありません。「山より大きな猪は出ない」、何とかなるという気持ちで臨む。そして責任を取る覚悟を持つことです。
 校長は責任をとるのも大きな仕事の1つです。部下の起こしたことでも最終責任者は校長です。自分は関係なくても責任者ですし、全く知らされていなくても責任者です。
 自分がしたことの責任をとるのは仕方ないと割り切れますが、自分の知らないところで起こったことに対して責任をとるのはなかなか割り切れないものがあります。でも、それが校長の仕事です。要は監督不行届です。 
 組織の長には、組織の起こした失敗や不祥事に対して監督責任があります。それが最終責任者です。そうならないように、平素、管理監督をするから「管理職」というわけです
 事が起こらないように、事前に予防することが肝心ですが、それでもいつ何が起こるかわかりません。想定内のことであれば対処の方法も用意できますが、想定外のことが起こればどうすればいいのか。日々何が起こるかわからない中で毎日ヒヤヒヤしながら過ごすことになりますが、事が起これば腹を括って対処しなければなりません。
 このときに保身を考えるとうまくいきません
 つい言い訳をしたり、先延ばししたり、責任転嫁をしたり、その場しのぎの答弁をしたり……。そうした姿を周囲は見ています。教職員を守ってくれない校長、敵前逃亡する校長……。そんな見苦しい姿は後々語り継がれていきます
 校長になればあとは退職するだけです。横綱と同じであとは引退だけです。そう思えば、「いかに退職するか」という引き際の美学を考えてもいいかもしれません。
 「次の異動でどこに行くのか……」「うまく対処しないと飛ばされるかも……」などと考えて、色気を持っていると、ついつい保身を考えてしまいます。
 何か事が起こったときは責任をとって辞めるくらいの覚悟を持って対処すれば、道は開けます。「身を捨ててこそ浮かぶ瀬もあれ」。いつも辞表を胸に、「山より大きな猪は出ない」と腹を括って臨むことが肝要です。

硬軟併せ持つ、清濁併せ呑む

 管理職に求められるのは硬軟併せ持つ人間の幅清濁併せ呑む度量の大きさです。
 管理職がまじめ一徹で融通きかない堅い人だと、周囲の人は息苦しくなることがあります。もちろんまじめで誠実であることはとても大切で、校長の必要条件です。でも、もともと校長などはまじめでお堅い人種と思われていて、話しかけにくいオーラが出ていたりします。
 教職員とのコミュニケーションが大切、といっても話しにくい雰囲気が出ていては教職員も近寄ってきません。そういう意味で理想を言えば、冗談も言い、場を和ませられるユーモアのある人の方がいいでしょう。腰が低く話しやすい、何でも相談できる管理職であることで、様々な情報も入ってきますし、教職員の人柄も把握していけます。冗談が苦手なら、ニコニコしているだけでも十分です。明るく楽しそうなオーラがあれば教職員は近づいてきてくれるものです。
 そして、規則に縛られ融通が利かない頑固者ではなく、その時、その場に応じた柔軟な思考力、そして臨機応変な対応ができることも必要です。
 もちろん法令違反や倫理に反することはできませんが、法令等を遵守しながらも柔軟な解釈により、物事をうまく解決することも求められます。「柳のようなしなやかさ」「うまく交わす術」といったものです。規則を杓子定規でうけとめるのではなく、柔軟な解釈をしてうまく運用するということです。
 学校現場には法律や条令、規則、また国や県等からの通知等、多くの規則や指示があります。そして学校現場はその規則や指示に従わねばなりません。ただ、現実にはそのとおり実行するには困難なこともあります。そんなときに上手く対応する術も持ち合わせる必要があります。物事の解釈のしかたは色々あります。教職員や子どもたちの側に立ってうまく対応するということが求められます
 清廉潔白であることも必要条件です。でも、時と場合によっては濁った水を呑まざるを得ない場面があるかもしれません。子どもたちや教職員のために、自分の職を賭けて臨まないといけないこともあります。墓場まで秘密を持って行かざるを得ないこともあるかもしれません。そんなときに臆することなく対峙する、そういう度量の大きさを求められることがあるかもしれません。

鳥の目、虫の目、魚の目

 よく言われる言葉です。鳥はマクロの視点で、虫はミクロの視点で、そして魚はトレンドの視点で、ということです。
「鳥の目」は虫では見えない広い範囲を、高いところから俯瞰する目のこと。
「虫の目」は近いところで、複眼をつかって様々な角度から注意深く見る目のこと。
 そして「魚の目」は水の流れや潮の満ち干を、つまり世の中の流れを敏感に感じる目のことです。深く潜って水面には現れていない事象を掴むこと、という言い方をされる場合もあります。
 例えば、階段はひとつ登るごとに見える景色が広がってきます。職場も、異動によって異なる職場にいくと見える景色が変わります。学校の階も1階ずつ上って行くと次第に世界が広がっていきます。1階からは近隣の建物しか見えませんが、5階に行くと海が見え、こんなところに本校は建っているんだということがわかります。
 場所を変えて見てみると今度は山が見える、というふうに立ち位置が変われば見えるものは変わってきます
 役職にもそういうところがあります。係長、副課長、課長となっていくに従って、関係する世界が広がっていきます。そういう意味でも「上司はどう考えているか、何を考えているのか」といった上司の視点に立って物事を進めていかないと、自分だけの考えや企画を持って行っても、上司の考えと全く異なっていて「これではダメだ」ということになります。
 また、県民や保護者、マスコミ等はどう見るかといった視点も大切です。
 こうした、常に1つ上の高い視点から、また異なる立場の方の視点も踏まえた広い視野で考えることが肝要です。それが「鳥の目」です。
 そして、子どもたちの声を大切にする、職員の声に耳を傾ける等々、子どもたち一人ひとり、現場の教職員一人ひとりを大切にする、ミクロの視点です。学校教育は子どもたちの教育です。まずは子ども目線を大切にすることを忘れてはいけません。そして、そのために教職員は日々教育に勤しんでいます。一番子どもたちのことがわかっている、そんな教職員の思いも大切にしなければなりません。それが「虫の目」です。「これはいいアイデアだ、保護者も喜んでくれるからぜひ実行したい」と思っても肝心の実動部隊である教職員の労力のことを全く考えていなかったために教職員から反対が起こる、ということも間々あります。足下をしっかり見据えて取り組むことも重要です。
 そして、アンテナを高くして、様々な情報を収集することです。変化の激しい先行き不透明なこれからの社会、それを踏まえた教育の方向性、政治や経済の動向、他校の取り組み等々、そうしたことがすべて自校の教育に影響を与えることになります。そうした動きを読んで一歩先の対応を考えていくこと、それが水の流れを読む「魚の目」です。
 次の展開、そのまた次の展開の予想。このあとどんなリアクションがあるのか。保護者はどう言ってくる、マスコミは、教育委員会は……そして、落としどころを読み、戦略を考える。先の先を読んで、このことが次にどのような動きに発展するかを読むことです。
 先のことを考えず、その場をしのげばそれでいいと思っていても、必ず次の動きはやってきます。そのあとどのようなリアクションがあるのかは予測しておかないと、あとでもっと大変になることもあります。準備や計画の段階でしっかりと考えておくことが大切です

第8回「校長の心得②」は、1月28日(金)公開予定です。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?