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第4回 教職員との信頼関係をつくるための9つのキーワード③

教育委員会の立場から「平成」の校長たちに学び、自身も校長として現場に立ち実践を続けてこられた竹内弘明先生(現・神戸親和女子大学教授)に、「令和」の学校経営を担う校長先生たちへ受け継ぐべきスキルとノウハウを語っていただきます。
※第2回~第4回にかけては、管理職として教職員や学校関係者との信頼関係をつくっていくための基礎・基本となる9つのキーワードを紹介します。

⑦「口は災いの元」

「口は災いの元」、この言葉も大切な言葉です。そして、これも感情的なところから出てくることが多いものです。

 例えば、「口から吐いたものをもう一度飲み込め」と言われたら飲み込めますか?汚い話ですが、普通はそんなことできません。でも、「もしも飲み込まなければ命はないぞ」と脅されたら……?そのときは死ぬ思いで飲み込むでしょう。
 しかし、一度口から出た「言葉」だけはどんなことをしても再び飲み込むことはできません。口から出た言葉とはそういうものです。
 人間は感情的になると、後先を考えず、つい勢いで言葉を発することがあります。でも、いくら感情的になって発した言葉であっても、一度出てしまえば、あの人はこう発言したという事実として残ります。
 また、楽しい時、うまくいっている時もつい図に乗って、言わなくていいことを言ってしまうことがあります。感情的にいい気分になっているからこそ、調子に乗ってしまうのです。
 腹が立ってつい浴びせる罵声、調子に乗ってつい発する不用意な言葉……聞いた人は覚えています。そして発言した人を評価します。時には人を傷つけたり、自分の信用をなくしたりします。
「口は災いの元」ではなく「口は幸いの元」としたいものです

校長の言葉の重み
 校長の言葉は思っている以上に重たいものです。校長はあまり意識せず教職員と話をしますが、教職員は校長が話した言葉を結構重く受け止めているものです。ですから、冗談で言ったことでも、校長が言うと冗談にならない事もあります。冗談で、人事や異動の話などをすると、急に怒りだす人もいますので要注意です。校長の発言はどこで話そうと校長の発言として捉えられますし、その影響は大です。ましてや職員会議や挨拶など、公的な場での発言は慎重にしないと公的な発言として残ります。できるなら原稿を書いて推考した上で話すことです。原稿にしておくと、後々の記録にもなります。

余計な一言
 調子に乗るとつい余計な一言を言ってしまいがちです。これも感情がなせる技です。人はおだてられると饒舌になり、発言の時に脇が甘くなり、いらぬ一言を発してしまいます。その一言が相手をカチンとさせ、怒りを買うことになります。「好事魔多し」と言います。調子のいい時、うまくいってる時は特に慎重な言動が必要です。場合によっては誘い水ということもあります。うまくいっているときこそ、謙虚に。みなさんのおかげでうまくいってるんだという謙虚さを持って発言することが肝要です。

失言
 政治家が失言で失脚することは少なくありません。責任のある立場の人ほど、言葉には重みと責任が伴います。たとえ冗談で言ったことでも場合によっては大事になることもあります。政治家も多くはパーティの挨拶で冗談のつもりで失言をすることがあります。
 特に公の場での発言は要注意です。どんな立場の方が聞いているかわかりません。政治や宗教の話にも慎重な配慮が必要です。
 マスコミ関係の方との会話も気をつけないと、一瞬にして記事のネタになってしまいます。マスコミの方の向こうには何千万という読者がいるということを常に意識しておくことが肝要です。調子に乗ると、冗談を言って笑いを取ろうとします。笑ってもらうために、いらない冗談を言って、それが冗談で終わらないということがあります。
 私たち教育関係者の言葉にも重みはあります。学校の先生があのようなこと言っていいのか、といったことも聞きます。子どもたちへ向けての話であっても、子どもたちは家に帰って話をします。保護者も様々な立場の方がいます。配慮に欠ける不用意な発言には気をつけたいものです。

信用失墜
 相手にいい格好をしたいのか、根拠もなくその場の流れや思いつきで、いい返事をしてしまうこともあります。これも自身の感情です。潜在的によく思われたい、知らないと思われたくない、という感情があるから、ついつい返事をしたり、適当に合わせてしまいます。
 そのままで終わればいいのですが、あとで調べてみるとできないことであったりして知らないことが発覚してしまい、信用を失ってしまいます。
 曖昧なことは言わないことです。もしも曖昧ながらも発言しないといけないときは、定かではないこともしっかりと添えておくことが必要です。「できるかどうかわかりませんが考えてみます」「現時点ではこうです」「確認はできていませんが、そうだと思います」というふうに断りを入れて回答することなど、信用を落とさないことも大切です。
 ただし、伝聞となっていくと、この断りの部分が消されて、切り取られてしまいます。「こうだと言っていた」と言われてしまいます。「そんなこと言ってないよ」といっても、断りがないだけで言葉としては確かにそう言っている、ということになってしまいますので気をつけましょう。

悪口
 悪口も本人に直接言えば注意になるのですが、本人のいないところで言う悪口は要注意です。悪口は天につばするのと同じで、いずれ自分に返ってくることが多いようです
 例えば人の悪口ばかり言っている人に対して、周囲の人はどう思っているでしょう。この人はいつもみんなの悪口を言っている。恐らく自分がいないときは自分の悪口も言われているんだろうな……と思います。「この人とはできるだけ関わらないでおこう」「この人には本音で話をするのはやめよう」「この人とは嫌われないように適当に話をしておこう」といって周囲の人は本音でつきあってくれないし、離れていってしまうことになります。
 そもそも管理職の資質として、人の悪口は言わないことです


 嘘は意図的な発言ですが3色あると言います。
 1つは黒い嘘、これは悪質な嘘で人を騙して人を不幸にする許されない嘘です。
 2つ目は白い嘘、これはやさしい嘘です。待ち合わせに遅刻したのに、相手が「いや、私も今来たところ」と言うことなど、悪気はなく相手への思いやりによる嘘です。
 3つ目はすぐにばれる真っ赤な嘘。ジョークになることもしばしばです。

守秘義務
 秘密は守らないといけません。あなただけに話すと言われた話、職場の秘密、色々な秘密がありますが、秘密を人にしゃべる人は信用されません。人とのつきあいの中で最も大切な信用と信頼を一瞬にして消滅、崩壊させてしまいます。
 地方公務員法にはいくつかの服務規定がありますが、その中で罰則規定があるのは守秘義務違反だけです。規定に違反して秘密を漏らしたものは1年以下の懲役または3万円以下の罰金です。それだけ守秘義務は重いものです。しかも公務員の守秘義務は退職してからも一生続きます

⑧「江戸の敵に長崎で討たれる」

「江戸の敵を長崎で討つ」ということわざがあります。江戸と長崎とは非常に離れているところから、かつて受けた恨みを意外なところで、または筋違いのことで、仕返しをするという意味です。もともとの語源は「江戸の敵を長崎が討つ」で、江戸の見世物師が大阪の竹細工の興行に人気をさらわれて悔しい思いをしていたところ、こんどは長崎のガラス細工が大人気となって大阪の人気は下火になり、江戸の見世物師は大いに溜飲を下げた、とのことです。つまり大阪に負けた江戸の敵を長崎が討ったということで「江戸の敵を長崎が討つ」と言ったと言われています。
 今では「長崎で」となり、先に述べた意味で使われているとのことです。

敵をつくらない
 人間は感情の動物ですから、ひどく怒られたり、理不尽な仕打ちを受けたり、また人前でプライドを傷つけられたり、人格を否定されたり、恥をかかされたり、屈辱を受けたりすると、何故そこまで……と、相手を恨む気持ちが生じます。
 そして、あの人は許せない、いつかきっと恨みを晴らしてやろう、何かあったときに仕返しをしてやろうという気持ちになります。
 もちろん私たちは大人ですから、露骨に仕返しをすることは少ないとは思いますが、それでも協力をしなかったり、邪魔をしたりということはあるかもしれません。
 そうなると、後日、別の場面で協力を得られない、事がうまく進まないという事態が生じます。まさに江戸の敵に長崎で討たれるわけです。
 そうならないためには、敵をつくらないのがベストです。主義・主張等でどうしても敵対することはあるかもしれませんが、敵にする必要はありません。敵はいない方がいいですし、つくらなくていい敵はつくらないにこしたことはありません。
 例えば、腹が立つ相手には本気で怒ることもありますが、相手が十分反省していれば必要以上に厳しく責めないことです。ましてや、ことさら罵倒したり、感情的になって恫喝したり人格を否定したりすれば逆効果になりかねません。
 立場を変えて見るとどうでしょう。自分が言われたらどう思うか……です。

過ぎたるは猶及ばざるが如し
 物事は勝ちすぎるのも善し悪しです。「過ぎたるは猶およばざるが如し」で、勝ちすぎるとやはり恨みが残ります。恨みは決して消えずに心の中でくすぶり続けます。
 何でもそうですが、勝負事も勝ちすぎたらダメです。人との論戦や仕事の上での競争、そんなところでも勝ち過ぎはよくありません。勝つときは相手に対する思いやりや、いたわりが必要で、恨みを残すのはよくありません。
 その時はうまくいっても、恨みを根にもたれたら別のときに、そのことが障害になることがありますから注意が必要です。また自身にも慢心や奢りが芽生えます。このことは後の災いになります。
 相手にも立場があります。体面があります。8割方勝って、残りを相手に譲り、顔を立ててあげれば、相手もこちらの思いやりを感じてくれて、それに報いてくれるものだと思います。
 かつて東京電力の社長で、経団連の会長もされた平岩外四氏は「十対ゼロみたいな勝ち方をしてはいけない。企業も人事も絶対に負けては駄目だが、六対四で勝つことが大事である」と言っています。

情けは人の為ならず
 人間は感情の動物。これはいい意味で、人は相手の恩義には報いたい、応えたいと気持ちを持つものだと思います。昔、ある漫画に「人差し指の法則」という話がありました。「人を指して言ったこと、したことは、3倍になって自分に返ってくる」「人を指してるときの自分の指を見てごらん、人差し指以外の3本の指は自分の方を向いてるよ」という話です。さらには、3本の指それぞれが「他人を責める自分の心に誤りはないか。他人のせいにする心に甘えはないか。他人のせいにする前に自分はベストを尽くしたのか」。つまり「他人のせいにしたり、他人を責める前に、よく自分を振り返ってみなさい」ということをこの3本の指は教えてくれているのだという話もあります。
 情けは人の為ならず。「江戸の敵に長崎で討たれる」ではなく、「江戸の恩義を長崎で返される」ようにしたいものです

⑨「相手の立場で」

 お互い相手を信頼しあうためには、相手の立場を尊重することが大切です。物事を進めるときや議論をするときも、常に相手の立場で考えることが必要です。
 相手に伝わる言葉、相手がわかってくれる言葉での説明が求められます。

丸くて、四角い……?
 ものの見え方は見る方向によって異なります。例えば、ある人はそれは丸いと主張し、ある人それを四角いと主張します。お互いに自分は絶対に正しいと確信し、当然相手が間違っていると主張します。相手からは、絶対にあなたが間違っていると言われ、何を言うか、間違っているのはあなただと言って言い合いになり、お互い一歩も譲らず、挙げ句の果てには大げんかになってしまう……。
 そんなとき、少し冷静になって、相手の視点に立って見てみると見方が変わります。そして、実はそれが円柱であることがわかります。すると相手の主張も正しかったことがわかります。
 今までは自分が正しいがゆえに相手は間違っていると主張していたけど、相手も正しいことがわかる、それならどうするかという次の議論になります。
 お互い見えなかった部分を理解することで議論の着地点も見えてきます。

相手の視点で
 物事は視点を変えるといろいろな面が見えてきます。1つの事象も視点を変えると考え方や、とらえ方が異なります。目標や到達点は同じでもアプローチは幾通りもあります。違うアプローチだと途中は異なったプロセスをたどることもあります。自分の案が唯一絶対ではありません
 しかし、目標としているところが同じであれば、相手の視点でものを見ることで理解し合うこともでき、意見の対立を防ぐことが出来ます。教職員はみんな子どもたちのためにというところは同じですし、目指すところも大きく異なるわけではありません。各部や学年、教科や部活動等、また子どもや保護者の立場、教育委員会の視点や県民・市民の視点等、様々な立場があります。そうしたいろいろな立場の考えを考慮した上で、案を進めていく必要があります。
 教育という取り組みは結果がすぐに出ないことも多く、そのため1つの手法が正しいかどうかわからず意見が対立することは多々あります。でも、お互い相手の視点で見直してみることで、解決の糸口が見えてくることも少なくありません。
 1つの案を進めるときも立場が違うと意見は異なります。所属の部署や立ち位置によって視点も変わってきます。そうしたいろいろな立場の考えを考慮した上で、案を進めていく必要があります。
 人は意見を述べるとき、ともすると、自分の考えは正しく、相手はわかっていないと思いやすいものです。自分の考えをわかってもらおうと躍起になりますが、相手も同じように思っていれば、自分の意見は正しいと、自分の主張を通そうと必死で説明してきます。そしてお互いに相手の意見を否定したり、攻撃することにもなります。意見を述べるのは相手に理解してもらうためです。そのためには相手が理解してくれるような説明の仕方が必要です。
 勉強がわからない子どもには子ども目線での平易な分かりやすい説明が必要なように、まず、相手の立場や考え方を理解することが必要です。その上で相手の立場に立った説明、相手の視点で説明することが大切です。それができれば相手もこちらの気持ちを受け止め、理解を示してくれるようになります。一方的に自分を主張をするのではなく、相手の立場や視点に立った説明の仕方が肝要です。
 こうした相手の立場に立つということは、接遇の基本です。私たちはつい自分のことが中心になりがちですが、接遇は相手中心主義です。気をつけたいものです。

苦情対応も相手の視点で
 話は変わりますが、苦情対応も同じ事が言えると思います。
 苦情を訴える人に、一生懸命、こちらの正当性を力説してもなかなか理解していただけないことがあります。それよりも、まずは相手の気持ちをきちんと受け止めることが必要です
 学校の対応に腹が立っている、困っている、何とかしてほしい、と苦情を訴えているのにすぐさま反論されると、あたかも自分が間違っていると言われたように思い、振り上げた拳の下ろしどころがありません。まずは丁寧に話を聞き、そして「仰ることはわかります」と相手に対する理解を示すことが大切です
 そして一部でも謝罪すべきところがあれば、「ご心配をおかけして申し訳ありません」「説明不足で申し訳ありません」等、限定的な謝罪をする事も大切です。そうすると相手も振り上げた拳をおろしやすくなります。はなから対決姿勢だと相手も簡単には拳をおろせません。そもそも喧嘩をしようと思ってきているのではなく、話を聞いてほしい、なんとかしてほしいと思ってきています。
 相手の人が一通り苦情を伝え、拳を下ろしたところで、こちらの話を聞いてもらえるようになります。そこからこちらの考え方を丁寧に説明し、改めて理解を求めれば、相手も聞く耳を持ってくれることでしょう。
 また、相手にわかる言葉で話をすることも大切です。ついつい業界用語を使いがちですが、教育関係者以外の人にわからない言葉で説明してもわかっていただけません。わかりやすい言葉で説明をしないと、上からものを言っているように聞こえて、そのことでもまた気を悪くしてしまいます。そうした細かいところにも配慮する必要があります。
 それと、言葉は慎重に発言することも大切です。苦情を訴える方が感情的になっていたりすると、つい、いらないことを言ってしまったりすることがあります。もういい加減、帰って欲しいから、つい、「そうします」と安請け合いしたり、できないことを「検討します」と言ってみたり、関係を良くしようと、教えなくていい情報を提供したり、そんな気持ちになることがあります
 心の中に逃げたい気持ちがあると、早く楽になりたいから、ついそんなことを言いたくなります。でも逃げるわけにはいきません。そして、できないことはできないし、いけないことはいけないものです。そこはぶれてはいけません。相手は気をよくするかもしれませんが、変に期待を持たせてしまうと、後日余計こじれる事になります
 そして何より怒ったら負けです。感情的になれば、収まるものも収まりません。相手が感情的になっている場合、相手に対して怒り返しても、相手が納得するはずがありません。よけい拳を振り上げるだけです。
 こちらも腹が立ったからと言って言い返していたら泥沼です。非がなければ謝る必要はないのですが、話をよく聞いてあげるだけで収まることも多いものです。
 多くは苦情をきちんと真摯に受け止めることで、収まることが多いものです。相手は思いをきちんと伝えた、きちんと受け止めてくれたということで気持ちがおさまることが多いのです。
 それを、相手の話も十分聞かずに、早く帰ってほしいし、相手の非をとがめるようなことを言うと、「その応対は何ですか」ということでよけいこじれていきます
 30分で帰ってくれるところが「その態度は何だ」と、新たにこちらがとった態度に対する苦情が始まり、さらに時間がかかる事になってしまいます。
 怒る相手に同じように怒るのは、相手の土俵の上で相撲をするようなものです。相手が怒っている時こそ、感情的にならず冷静に対することが大切です。

【次回予告】
 第5回~6回のテーマは「組織運営のコツ」。12月10日(金)、24日(金)にそれぞれ公開予定です。

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