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正しさを信じれなかった男の「すずめの戸締まり」雑感(あるいは違和感)

新海誠監督最新作すずめの戸締まり、先程見ました。
色々感想漁りたいところですが、自分の今の感想を残しておきたいので書いてます。
ただ率直に書くなら「うーん」ってのが見終わった後の気持ちだったので、あまり肯定的な内容ではなかったので、そこら辺はごめんなさいという感じです。後、ネタバレもしていくのでその辺りももご理解ください。(見当違いなことかいてたらごめんなさい。)


最初見たときもっと低い声かと思ってたけど見ているうちに馴染んでいった 大学生だしね



今回、震災三部作ということだったのか、特に直接的に「311」の後の世界について書かれています。日記にも3月11日の記述でてきますし、各地域で戸締まりしていく前触れには、音こそ少し変えてますが地震警報システムの音がスマホから聞こえてきます。主人公のすずめも311の被災者であり、お母さんを震災で亡くされています。(親父さんはどうしたんかな、劇中なんか言ってたっけ)。映画のストーリー構成としては、すずめが要石の化身の猫さん(ダイジン)を追いつつ、全国各地で開こうとしている災いの扉、後ろ戸を椅子にされてしまった草太とともに戸締まりしていき、その過程での出会いや経験を経て、震災のトラウマを克服して最後「行ってきます」と言えるようになる過程を描いた作品、と感じました。

しかしながら、人はそんな簡単にトラウマを克服できるのだろうか?と自分は釈然としないまま終わってしまい、取り残されてしまった気持ちになってしまいました。いや、子供の成長とは大人が感じる以上に急成長することがありますし、克服できるのだろうか?などと考えてしまう事が勝手な思い込みなのかもしれません。現にすずめは「行ってきます」と黄泉の国に言えたわけですし。ただ、劇中で実際の被災者として出てくるのはすずめ一人なので(もちろん環叔母さんも姉妹を亡くされているわけではありますが…直接被災はしたのかな。そこらへんも詳しく説明してなかったと思いますが見落としてるだけかも、被災地から近くに住んでたからすずめを早めに迎いに来れた?)、見ている側としてはそれが被災者のケースモデルのすべてにも映ってしまいかねません。まだまだトラウマになっている人も多くいると思いますし、そんな小旅行みたいなので10年悩んでる恐怖は解決しねえよ!って人もいるんじゃないかという気持ちになりました。それもただあんたが思っているだけだろと言われるとそれまでなんですが、その気持を払拭するくらいの導線やハッタリが欲しかったとも思います。すずめのように未来は明るいよと言える気持ちに共感したい自分も心の片隅にいましたが、そうできなかった。扉の向こうの黄泉の国であの頃の皆と俺も居たい、そう思ってしまう自分がいたのも事実なわけで、ちょっと情けない気持ちにもなったり。


光太郎、俺は皆がいた311以前に戻りたい と信彦なら言ったかもしれません

後、要石は椅子になる呪いをかけたときに一緒にダイジンから草太に引き継ぎされ、一旦は草太が要石となるのですが、最終的には草太は助けられてダイジンが元の要石にもどるという形になります。勿論、生きている草太が要石として生贄になるのはよくないのですが、要石というシステムは打破できず、誰かの犠牲のもとに成り立っているというのもこれで良かったのだろうかという気持ちになります。ダイジンがすずめは僕のこと好き?(好きだよね?)と問いかけてくるのも、長い年月を要石として生きたダイジンが、事故とは言え開放してくれたすずめは、きっと僕のことが好きだから開放してくれたんだという無邪気な喜びですよね。結局勘違いだとわかりもう話しかけないでと否定され、シュン…と最初あったときのガリガリの姿に戻ってしまうのですが。結局は誰かの犠牲のもとに生きていく、人身御供の国だということを叩きつけられる気分になりました。天気の子の帆高はそんな世界なんてぶっ壊して好きな人を守る(たとえ東京が永続の雨に包まれても)のが、狂気じみてるけど人間臭くて好きだったのですが…。いや、好きな人のために他を犠牲にするって意味ではすずめも同じか。(今ちらっと見たらダイジンって大きく尽くすと書いて大尽と書くのですね、うーん…)


要石として楔になるのが君の運命かもしれないが…

後は、まあここは個人的感情によるところが大きいですが、あまり登場人物達に感情移入できなかったところかなあ。芹澤くんは好きなんだけど、結局部外者の芹澤くんにしか気持ち乗らなかったというのは、俺も結局は311では当事者がないんだなあと見ながら思ってしまった。「ここってこんなに綺麗だったんすね」という残酷な言葉それはそこにいた人々がいなくなって自然の姿として再生していく姿であって、事実当事者のすずめは少し顔色に怒りをにじませます。でも俺も実際みたら芹澤くんと同じ気持ちになりそうだから。Gガンではドモンが「人類も地球の一部だ」と、地球再生を願う東方不敗に戦いの中言うけども…話が脱線しそうなのでやめます。

と、ストーリー構成では色々言いたくなってしまった本作なのですが、映像美はやはりの新海誠監督作品なので、映画館で見るべき作品だと思います。小さなスマホの画面で見るのはもったいないと思います。劇伴も前2作のようにRADの曲がガンガン流れることはなかったのですが、個人的には画面に集中できて良かったかなと思います。1回くらい劇中で流してもいいかなとは思いましたが。あと地震が起きる前触れに「ミミズ」がでてくるのって村上春樹の「かえるくん、東京を救う」からだよね。元々神話とかで地震の神がミミズとかなのかもしれませんが。あっちとこっちの世界が交差する話とか、新海監督春樹作品からインスピレーション受けてるの多いのかも。


ピングドラムで紹介されてたから読んでいたけどここで繋がるとは思ってなかった

そして、個人的にストーリー構成に乗れなかったとは書きましたが、入場特典でもらえた新海誠本(まだちゃんと読んでない)の冒頭に、新海誠監督のインタビューがあります。そこには「観客のなにかを変えてしまう力が映画にあるのなら、美しいことや正しいことにその力を使いたい」とあります。
監督は映画の力を信じ、そして見てもらえるなら真っ直ぐな正道の物語を伝えたいし、見てくれる人に信じてほしいと願ってこういう物語にしたのかなと思います。多くの人はその声をまっすぐに聞き、受け入れているものかと思います。自分も劇場に入る前に、前の時間見ていた観客のご家族の会話から「面白かったねー」と楽しそうな声を聞いたのを覚えています。だからそれでいいし、監督の願いも届いていたのだと思います。ただ自分が信じきれなかった、ただそれだけの話。長々と書いてたけど愚痴なんですよね。でもそれもまた、なにかを変える映画の力をうけたから、文字を打ち込んでいるのであって、それも監督は許してくれると思ってます。許してください。
でも世界のはぐれには、正道だけでは納得できない、覇道や悪の道を享受していたいという人間がいる、うまくかけないけどそういう性根の腐った人間もいるというのを書き残しておきたかった、それだけなんです。ただ本当に心を打つ正道を作品を出されると参りました…!という気持ちになることも多々あるので、この作品と相性が悪かっただけだと思います。


椅子の姿に既視感覚えてたけどきっとハコボーイだわ。

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