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【ハマって飽きて】ていねいに書く雑文~その65~20220801

【ハマって飽きて】
自分は、同じことのくり返しに割と耐性があるタイプだと思う。例えば、晩御飯のおかずは、ほぼ毎日同じようなものを食べてるし。「あ、これおいしいやん!」って思ったら、毎日続けられる。食べ物に飽きるってことがない。食欲は宇宙。

なんとなく100日続けようと思っていたnote。これは今のところ飽きていない。見る人は多少飽きたかもしれないけど、「チラシの裏」をコンセプトにしているので問題ない。最近はnoteのPVをほぼチェックしなくなった。これは個人的にはよい傾向だと思っている。でも、見てくれてありがとうございます。

100日は続くと思うけど、そのあとは急速に飽きたりするのかな、なんて思う。たぶんどっかで急に飽きると思う。ただ、ブログよりは長続きしそう。

初動が大事、始めることが大事と聞く。まぁ真理だろう。始めなきゃ、何も始まらないわけで。やらないってのは「何もしないをしている」なんて風にもいうし。

そんでもって、始めたら始めたで「続けるのが大事」という。まぁ、すぐに結果は出ないのが当たり前だから、「うんうんそうよね」と思う。

そしたら次は、「成果が出るまで続ければ失敗じゃない」なんて。そりゃそうなんだけど、なんだか屁理屈なような気がしなくもない。失敗をしたらいけない風潮というか、失敗を認めることも大事じゃないのかな?なんて今この瞬間は思う。方向転換も許してほしい。

がんばることは美しいけれど、正しいがんばりじゃないと報われない。甲子園に行きたいのに、卓球のラケットで素振りしてもダメだろう。「あ、卓球のラケットの素振りじゃ、野球に活かせないわ」って、失敗に気づいたら、それを止めたらいいのに、「いやいや、活かせるまでやれ」ってのはおかしいもんね。

卓球のラケットが極論なら、走り込みでもいいけど。走り込みだけじゃ甲子園には行けない。

「失敗してもいいよ」「失敗が成長させてくれる」なんていうくせに、実は失敗を認めてくれないことは多い。たとえば、新卒からの就職が一番大事とか。微妙な矛盾は世の中の常なんだろう。うまいこといかない。

何かを始めるときには動機が必要で、強い動機であればあるほどエネルギーになる。でも、それがくじかれることだってある。まぁ、くじかれる前提で動くわけじゃないけど。そのへんも難しい。

もろもろのことを考えると、「自分でどうにかできること」しか始められないような気もしてきた。

人生は割と長いけど、長く続けられることに出会うのは難しい。仕事以外で。仕事が生きがいってのもカッコいいけれど、そういうタイプじゃないし。

結局のところ、意味とか意義とか成果とか学びとか成長とかギャーギャーカッコつけてるからいけんのだと思う。無意味で無益なことほど楽しいなと最近は思う。

チラシの裏に落書きを続けることは、特に意味も意義もない。でも楽しいんだよね。30分で1000文字書けるって、仕事じゃ考えられんもんね。noteを書くときは、常に筆がノッている。意味がないことだからつらつらっと書ける。蛇足があってもいいし。

意味がない、意味がないといってるけれど、「わたしの文章には意味がないんだ」とか悲観しているわけではまったくない。だから「そんな風に言わないで」とか、そういう話じゃないので誤解されませんように。

意味を求めるからへこむんだよね。と。でも、自分にとっては大して意味のないことであっても、読む誰かにとっては小さくても意味があるものであってほしいなんて思うので、ほんと横柄。このへんも難しい。

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