見出し画像

【続けないと飽きちゃう】ていねいに書く雑文~その146~20221021

【続けないと飽きちゃう】

わたしは、割と飽き性で、あまり物事が続かないタイプ。

ブログも飽きたし。コーヒーの豆をミルでゴリゴリと手で挽いてから飲むのも飽きたし。わりとポンポン飽きる。

「いやいや、飽き性の人がnote100日以上連続で書けるかよ」って思うかもしれない。たしかにnoteは楽しくて続いている。そして大して苦でもない。

ただ、いつかポーンと急に飽きると思う。ある日、飽きるときには一定の法則があることに気づいた。それは「間を置いてしまうこと」

矛盾しているように聞こえるかもしれないが「飽きたからやめる」のではなく、「やめたから飽きた」なような気がしている。特に自分の場合は。

「飽きる→やめる」じゃなくて「一旦やめる→飽きる→本格的にやめる」とうイメージ。だから、変な話、やめなければ飽きないんじゃなかろうか。

ちょっと休んだ瞬間に、熱量みたいなのが一気に下がってしまって、続けられなくなってやめてしまう。それが飽きるっていうことなのかもしれないけど、休まなければ続けていた可能性は高いなと。

だから、続けたければ続けるのが一番。そんな気がする。これはマイナスのことでも同じ。ダイエット中でもポテトチップスをひと口でやめられるやつはいない。少し極端かもしれないけど「我慢している方が我慢できる」。ちょっとサボると余計にダメになる的な。

なんでもかんでも「習慣化すると強い」っていうもんね。習慣になるまでも大変だけど、習慣になってからもサボっちゃうとまた1からがんばる必要があるわけで。

習慣になってると続ける力は弱くてすむけど、ちょっとサボるとその力は急激に失われて、また習慣になるまで大変な思いをしなくちゃいけなくなっちゃうから、精神的負担が大きくてできなくて、結果「飽きちゃったことにする」って心理になってるのかも。

飽き性の人は、習慣が崩れたときの立ち直りパワーが特に弱いのかもしれない。飽き性だけど、noteはそれほど苦じゃないので長続きはすると思う。チラシの裏のつもりで書いてるっていう意識が精神的負担を減らしてる。どうでもいいことを書くのは本当に楽。どうでもいいことってのは、どうでもいいからこそ価値があるような。わたしは仲良しの人のどうでもいいことに興味がある。あ、じゃあこのnoteをもっと読んでもらおうと思ったら、仲良しの人が増えればいいってことになるのかな。

できれば読んでくれてる人が飽きないように。がんばるわけじゃないけど、ちょっとだけ考えてやってこうと思います。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?