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認知症の世界を再現すると、白と黒のトンネルの向こうから温かな光が差し込んできた

 私は認知症の取材を始めて、しばらくしてもなかなか認知症のことがうまく捉えられませんでした。そんな頃にインスタグラムで自身の体験や思いを発信している若年性アルツハイマー型認知症の下坂厚さん(48)=京都市北区=と出会いました。

 写真家でもある下坂さんは、いろいろな認知症の症状を写真表現に置き換えて説明してくださいました。例えば、記憶障害で仕事の手順が分からなくなり、取り残されたように感じるときは「自分の周囲が白黒になる」と教えてくれました。

 私は写真記者なので、その話を聞いて、「認知症の世界」を写真で視覚化できるのではないかと思いました。下坂さんに提案すると、賛同してくださり、症状や心情を写真に焼き付ける共同作業に取り組みました。下坂さんのお話の状況を再現して、私が撮影し、下坂さんに写真を見てもらいながら手直しして、実際の感覚に近づけていきました。

 制作を通じて、下坂さんが認知症の症状や心情を伝えるのはもちろん、私たちが暮らす社会は何を大切にすべきかを問いかけていらっしゃることが分かりました。

下坂さんと妻の佳子さん(57)の言葉と一緒に紹介します。(松村和彦)

 



以前は魚屋で働いていました。エビの盛り付けで数が分からなくなりました。1、2、3と頭の中で順に割り振った数字がすぐに消えていく。インターネットでパスワードを打つとき、1文字打ち込むとすぐに見えなくなるのと似ています。5ぐらいまでいくと、いくつまで数えたのか、覚えていられなくなります。

病院へ行くと、アルツハイマー病による若年性認知症と診断されました。2019年、46歳の時です。

インターネットで調べると認知症は悪いイメージばかりでした。仕事は退職しました。絶望的な気持ちになり、「人生を終えたい」とまで思いました。

よく知っている道でも「どこなんだろう」と思うことがあります。家や曲がり角など、一つ一つはちゃんと理解できます。でも知っている景色につながらない。混乱して考えれば考えるほど分からなくなります。不安が連鎖して、出口を探しているような気持ちになります。ドラマのように周囲の喧騒が頭の中で大きくなります。毎日ではないですが、夕方疲れているときに多いです。

道に迷ったときはスマートフォンの地図アプリが頼りになります。もやもやの中で確かさが輝いている感じです。工夫すれば今どこかも分かるし、家まで帰れます。

今働いているデイサービスにはバスで通勤しています。「なんでバスに乗っているんやろう」「どこへ行こうとしていたのかな」。途中で忘れることがあります。でも、「間違ってもええやん」と思い詰めないようにしています。

妻の佳子さん「私の指を唐揚げと間違ってつまんだことがあります。机の端のお皿を見落として食べなかったり、お皿の柄を箸でつまもうとしたり、同じ柄の箸を一組にそろえるのができなかったり。見たものの認識が難しいときがあるみたいです」

食事のときはいつも並んで座ります

佳子さん「さっきした話を5分後にまたすることがあります」

「何を作っても記憶に残らない…悲しいな」佳子さんのノートから抜粋

「毎日同じもの作ってもばれへんな」夫婦で会話する中での佳子さんの言葉

「冷蔵庫の中に自分が食べたパンの袋を入れている??」佳子さんのノートから抜粋

佳子さん「朝と夕方で違う薬を飲んでいますが、朝、どっちを飲むのか迷っています」

「昨日」という入れ物には何も入っていません。「昨日」の言葉の意味はわかるんですが、実感はありません。すぐ前かすごく前しかないです。時間の感覚が分からないと、将来のこともうまく組み立てられません。

朝か昼か夜か。分からないことがあります。

佳子さん「布団の上に座って寝ていたことがあります。寝方が分からないような感じでした。朝起きたばっかりや夜遅くにぼーっとして、うまく動けないことが多いです。夜中にトイレに行って出てきたら、朝ごはんを作ろうとしたり。『夜やから寝なあかん』と声を掛けると、『バスに遅れるやん』と言って」

窓の外の明るさを見て、朝か夜かを確認します。

夕焼けの空に

一日の終わりではなく

明日へのつながりをおもう

記憶が曖昧で

一日を振り返ることは難しいけど

明日を想い描くことはできるから

楽しい明日を想像する

下坂さんのインスタグラム 2020年8月15日の投稿

夕焼けにはさびしさもあるけど美しさもあります

前はきれいな景色の写真を撮っていましたが、認知症になってからは人を撮るようになりました。自分から失われつつある当たり前の日常です。まだそこにいたい、一瞬をとどめておきたい、失いたくないと思って撮っています。撮った写真は記憶そのものです。写真を見た時に思い出し、時間がよみがえることもあります。

不確かになっていく。自分が自分でなくなっていくのが怖い。

祈り

その光景が

その輝きが

その笑顔が

そのつながりが

その想いが

その日常が

ずっと 続きますように

シャッターを押す

写真を撮るということは

祈りである

下坂さんのインスタグラム 2021年3月18日の投稿

(カメラのモニターの写真は下坂さんが撮った佳子さんの笑顔)

今はデイサービスの介護職員として働いています。レクリエーションでゲームをしていて、どこまで進んだかとか、次の順番は誰かとかを把握するのが難しいです。「今何してるんやったかな」と思ったり。周囲の人は手順が分かっていて、自分は分からない。自分だけがフリーズして、止まっているような感じです。

利用者さんの名前はなかなか覚えられません。でも、いつも会っていることはわかります。一緒に過ごして打ち解けてきました。家族のような存在です。認知症の人も多いです。表情豊かに暮らしていらっしゃるのを見ると、認知症のイメージが柔らかくなりました。

会話が難しい認知症の利用者さんに手を重ねると、優しく握り返してくれます。人にとって、社会にとって何が大事なのか問われているように感じました。社会では考えることが大切にされます。でも、感じることが一番大事だと教えられているような気がします。

人と人として触れ合い、つながる喜びを取り戻しました。

デイサービスの利用者さんが描いてくれた私の絵です




このシリーズを含む写真作品「心の糸」は京都国際写真祭 KYOTOGRAPHIEの関連イベントKG+SELECT2022」に選出され、以下の日程で写真展を開催します。

会場名:くろちく万蔵ビル
住所:604-8214 京都市中京区新町通錦小路上る百足屋町374, 2階
日程:2022年4月8日~5月8日 10:30-18:00 (Last entey 17:30) Closed: 4/12, 4/19, 4/26
入場無料


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