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ラッコの話③「水族館のラッコ、日本で見られなくなる日がくる?」

こんにちは。ラッコ企画の第3回です。今回は、国内のラッコ飼育数減少の理由を深掘りしていこうと思います。ここで、第1回の冒頭をおさらいしておきたいと思います。

今、水族館でラッコを見たいと思ったら、どこに行けばいいかわかりますか?大きめの水族館に行けば、どこでも会うことができたのでは・・・と、私たちがラッコを身近に感じられていたのは少し前のお話です。

ラッコの話①はこちらから

 現在ラッコを飼育・展示しているのは国内では2施設(三重県鳥羽市・鳥羽水族館、福岡県福岡市・マリンワールド海の中道)に3頭だけです。第1~2回で取材させて頂いた神戸市立須磨海浜水族園さん(以下スマスイ)も、2021年までラッコを飼育していた水族館でした。

星形の氷をかじるラッキー。オスのラッコの国内飼育最長記録を持っている

◆日本のラッコ飼育の歴史

 日本でラッコ飼育が始まったのは1982年のことです。

 最初の個体はアメリカから輸入され、伊豆・三津シーパラダイス(静岡県・沼津市)で展示されました。その後、1984年に鳥羽水族館で初めてラッコの赤ちゃんが誕生、日本にラッコブームが巻き起こりました。

 しかし、国内での展示・飼育数は1994年をピークに減少傾向に転じています。同じ頃、ラッコを輸出していたアメリカでは保護の機運が高まり、日本へは1998年を最後に輸出の許可が下りなくなりました。

 ラッコが日本に輸出されたのは2003年(ロシアから)が最後で、それ以降は海外からラッコが日本にやってくることはありませんでした。

◆ラッコをなかなか見られなくなったのは、いつから?

 ラッコについて取材を始めようと考えた時、水族館が好きな自分でも、いつごろからラッコに会える施設が少なくなっていったのか、具体的な時期がピンときませんでした。そこで、国内の水族館10施設にアンケートをお願いし、いつ頃までラッコを飼育されていたか、また、飼育をやめることになったのかという理由をお伺いしました。

 ラッコを飼育・展示したことがある、とご回答頂いたのは6施設で、飼育を取りやめた時期は以下のようになりました。

 飼育・展示を取りやめた理由は、飼育個体の死亡が5施設、他館への移動が1施設でした。また、今後ラッコの展示を開始・再開する予定がある施設はありませんでした。

【ここからは引き続き、スマスイでラッコを担当されていた飼育員・村本ももよさんのお話を、私との会話形式でお伝えします】

◆スマスイのラッコ飼育の歴史

子どもたちにも大人気だったスマスイのラッコ

 スマスイでラッコの飼育が始まったのはいつですか。

 「スマスイのラッコ飼育の歴史は、1987年までさかのぼります。初めてスマスイにやってきたのは、アメリカからの野生個体3頭と、カナダのバンクーバー水族館生まれの1頭でした。

 1987年には初めての赤ちゃん(スマコ)も生まれていて、これは母親がすでに野生で妊娠していたものでした。その1頭も含め、スマスイではこれまで9頭の赤ちゃんが誕生しました。

 そのうち無事に大きくなったのは6頭。中には新潟市水族館マリンピア日本海(新潟県新潟市)やアクアワールド茨城県大洗水族館(茨城県東茨城郡大洗町)など、別の水族館にお引っ越しした個体もいました」

 他の水族館にお引っ越しできるくらい、以前は赤ちゃんが生まれていたんですね。

 「野生生まれの個体が多かった当時は、ラッコの繁殖というのはそれほど難しいことではないと考えられていたようです。そのため、赤ちゃんの数が増えすぎてしまわないようにオスとメスの個体を別々の部屋で飼育していた施設もあったようです。

 ですが、私がラッコを担当し始めた2010年には、国内の飼育数は30頭ほどまで減ってしまっていました」

村本さんとトレーニングするラッキー(奥)と明日花(手前)。
アイコンタクトを取ることを大切にしていた

◆飼育下生まれの個体は繁殖が難しい

  なぜこんなに数が減ってしまったのでしょうか。

  「飼育下生まれの個体同士の繁殖率が低かったこと、世代を重ねるにつれて繁殖力が弱くなっていったからだと思います。

 スマスイで無事生育した6頭のうち、両親が野生生まれ同士は2頭、片方が野生生まれは3頭、飼育下生まれ同士は1頭でした。飼育下生まれ同士(飼育下3世)の子どもも生まれてはいるのですが、やはり数は少ないです。

 全国的にも同じような傾向が見られましたが、原因ははっきりわかっていません。」

野生のラッコは、どのようにして繁殖行動を行うのでしょうか。

「ラッコのオスとメスは、野生では離れた場所で生活しています。

 メスは集団で、成熟したオスは自分のテリトリー内で暮らしています。そして、オスは繁殖に適したメスを探しにメスエリアへ行き、メスに受け入れられればペアとなり、数日間行動を共にしながら交尾をします。

 オスは子育てには参加しないので、交尾を終えるとオスとメスはそれぞれの生活エリアに戻っていきます」

 飼育下だと、ラッコのオスとメスは野生よりも近い距離感で生活することになるんですね。

 「はい。環境的な原因で推測される点として、このようなオスとメスとの距離感の違いなどが影響していた可能性も考えられますが、今となっては検証することができません」

 繁殖のために個体を貸し借りするというニュースを目にしたことがあります。ラッコの場合は、それが難しかったということですか。

 「希少な動物を絶やさず増やしていくことで種の保存に役立てることを目的として、施設間で個体を貸し借りすることを『ブリーディングローン』と言います。もちろん、ラッコでもブリーディングローンは行われていて、スマスイでは1989年からすでに取り組んでいました。

 私が担当していたラッコのうち、クータンはブリーディングローンの制度でスマスイにやってきました。また、トコとミィーは同様にこの制度で一定期間、他の水族館へとお引っ越しした後、スマスイに戻ってきました」

ブリーディングローンでスマスイにやってきたクータン(上)、
他の施設へのお引っ越しを経験したことがあるミィー(左下)とトコ(右下)

 「ラッコにも相性があるので、うまくいかなければペアを変える必要もあります。国内の飼育数がまだ多く、他の施設にたくさんの個体がいた頃は、ペアの選択肢もいろいろあったのですが、次第にそれも難しくなっていきました」

 アメリカでは、ラッコの研究が盛んに行われていると聞いたことがあります。参考になるような研究例はないのでしょうか。

 「野生個体の保全に関する研究は盛んです。ただ、アメリカでは座礁した(ストランディング)個体の保護の機運が高まっています。 保護された個体は基本的に野生復帰を目指しますが、中には復帰が難しいと判断され、飼育を続けることになる個体もいます。

 ですから、保護した個体を飼育するスペースを確保するために、飼育個体同士の繁殖はやめよう、という流れになっています」

村本さんと陸に上がるトレーニングをするラッキー(奥)と明日花(手前)

◆やっぱり、日本の水族館からラッコはいなくなる?

 村本さんのお考えでかまわないのですが、今後ラッコの飼育を国内で続けていくことは可能だと思われますか。

 「現状では難しいと思います。現在、国内で飼育されている3頭のうち、2頭は血縁関係にあり、もう1頭は高齢です。仮に新たな個体が生まれることがあったとしても、その個体の繁殖相手はいません。

 国内では、1912年につくられたラッコとオットセイの捕獲を禁止する法律・臘虎膃肭獣猟獲取締法 らっこおっとせいりょうかくとりしまりほうが現在でも有効なので、水族館の展示のために野生のラッコを捕獲することも、現状はできません」

 仕方のないことだとわかっていても、日本の水族館からラッコがいなくなってしまう未来を思うと、寂しい気持ちになります。

 「そうですね。国内に生息する野生のラッコの個体数がもっと増えた時、アメリカのように座礁してしまった個体を保護しましょう、という時代になれば、また水族館で飼育されるようになるかもしれません。

 IUCN(国際自然保護連合:絶滅のおそれのある動物や植物のリストを作成している)のデータによると、世界に生息する野生のラッコの数は約13万頭とされています。しかし、現在、北海道に生息している個体の数は少なく、まだまだ時間がかかると思います」

ラッキー(右奥)と明日花(左手前)

 「明日花やラッキーは、こうして高齢になるまで生きていてくれました。ですから、健康に飼育するということはできていたのだと思います。

 もし将来、以前のようにラッコの飼育を多くの水族館で続けることができるようになれば、飼育下で生まれた個体の繁殖がうまくいかなかったという課題を、解消していく必要があると思います」

◆スマスイでの取材、記事執筆を終えて

 取材を始める前から、ラッコを日本の水族館で飼育し続けるのが難しいということは、ある程度理解していたつもりでした。ですが、村本さんからお話を伺い、そのお話を自分で整理して記事を書いていると、ラッコの生き物としての厳しい現実がリアリティを帯びていくような、不思議な感覚がありました。

 遠くない将来、日本の水族館から姿を消してしまうであろうラッコと、そんな現状と向き合い続けた全国の飼育員さんの気持ちを想像すると、寂しいというよりつらい、やるせないような気持ちになりました。

 ラッコの話③は、現実の厳しさを知る回になってしまいました。ネット向けの記事は、真面目さだけではなく、できる限り柔らかく面白く、読みやすい物にしたいと考えていた自分にとって、初めての着地点でもありました。

 この記事が、「生き物と向き合うと、かわいい、楽しいだけじゃなく、難しい課題もある」ということを、読んでくださる方と共有できる機会になればと思っています。これからも、生き物の本当の姿や、種の保存に向けて日々奔走しておられる飼育員さんたちの姿を、興味がある人にもない人にも、できるだけ手に取ってもらいやすい形で発信し続けます。


廣瀬聡子