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障害だって楽しめるんじゃない??

今すぐ見えるようになりたいですか?

皆さんこんにちは。ピースです。
ちょっと最近バタバタしてしまって、ゼミにもほとんど顔を出せず、このnoteへの投稿もずいぶんサボっていましたが、久しぶりに書いてみたくなったので、5ヶ月降りに投稿させていただきます。

さて、いきなりですが、本題に入ります。
障害って、漢字を見ての通り、やっぱりマイナスのイメージが強いですよね。まあ確かに困ることはたくさんありますし、辛い思いをすることもいっぱいあります。私自身も、見えないために、やりたいことをあきらめざるを得なかったりして、涙したことは何度もあります。

でも、本当にいやなことばっかりだったでしょうか?
個人的には「楽しいこともあるんじゃない?」って思っています。
もう世の中には障害をつらいもの、苦しいものとする語りはあふれていますし、たまには障害をひたすらポジティブに語るときがあっても良いのではないでしょうか。

なんでこんなことを思うかと言うと、「何が何でも見えるようになりたいですか?」と聞かれたときの私の答えは、「んーん、まあ見えるようになりたいっちゃなりたいけど、別にこのままでもいいかな。」というのが正直なところです。
もちろん、現在の医学では、私の視力が回復しそうにないので、見えるようになった自分がイメージできないというのもあります(あ、医学を悪く言っているわけではありませんよ。ずっとお世話になっている眼科の先生には、感謝しても仕切れないくらいだと思っています。ただ現時点では視力の回復が期待できないというだけです。)。
だから、「見えるようになりたいですか?」と聞かれても、「そんなこと考えたところでだしな。」と思っている節はあります。

でも、今の生活を思うと、わりと満足している自分がいるんですよね。入りたかった大学に入って、ずっと興味のあった歴史を専門にし、サークルでは大好きな音楽を続け、バイトもやりがいのあるすてきな職場に出会えて。こうしてリアルゼミでも充実した語り合いの時間を持てています。
「それはあんたが恵まれすぎだからそんなことが言えるんだ。」という声も聞こえてきそうですが、恵まれているのなら、その幸せをちゃんと感じて、感謝の気持ちを持った方がよっぽどいいですよね。

前置きが長くなりましたが、ここからは見えないことをひたすらポジティブに書いていきたいと思います。

見えないから出会えた人たち

私の人付き合いを思うと、障害繋がりで出会った人たちがたくさんいます。例えば、視覚障害者同士の友達は大勢いますが、もし私が視覚障害者じゃなかったら、こんなにたくさんの視覚障害者と友達になることはなかったと思います。
でも、その中には、同じ障害を持つものとしてわかり合えるからということ以上に、「人として出会えて良かった」、「一生大事にしたい」と心から思える人が何人もいます。
今のバイト先も、いっつも暖かい気持ちになれるすてきなところなのですが、もし僕が見えていたら、この御縁はあったのか…、ちょっと難しいかなという気がします。
他にも大学の勉強に当たっては支援センターにたくさん支えて頂いているのですが、そこの職員さんも、学生サポーターの方々も、本当にすてきな方ばかりなんです。
それから忘れちゃいけないのがリアルゼミですよね。私がこのゼミに関わるようになったのも、「京大でもリアルゼミを立ち上げたいんです!」と声をかけられて、「私も当事者である以上、そろそろ障害ってなんやねん?!みたいなことは考えていかないといけないよな」ってなんとなく思って乗っかったのが始まりでした。

こうやって振り返ると、視覚障害があったからこそ出会えた人がたくさんいて、その出会いにとても感謝している自分がいることに気づきます。もちろん私の目が見えていたら、また違った世界に踏み出していて、それはそれですてきな出会いがあったんだろうと思います。
もしかしたら、「障害があるせいで、かなり人間関係を狭められているじゃないの?」という人もいるかもしれません。でも、私が「この人たちに出会えて幸せだ!」と感じているなら、それをちゃんとかみしめたいんです。

普通のことしているだけでなぜか褒められる

ちょっとしんみりした話になってきたので、ここで軽―い話題も。
実は、視覚障害者を20年以上もやってきた私にはストレスなく普通にできることでも、それをするだけで褒めてもらえるということがよくあります。
そりゃあ、見えているのが当たり前な人からすると、突然見えなくなったことを想像しますから、驚くのは当然かもしれませんね。
でも、人間の慣れってすごいもので、いきなり見ることを奪われたらできそうにないことも、長年の慣れがあれば、どうってことなくできてしまうんですよね。
例えば、教室の中を一人ですすっと移動しているだけで「すごいね」と言われたことがあります。私からすれば、「みんなだって、歩くときに、あんまり前見てないってことあるんじゃないの?」と言いたいところですが、その人は素直にすごいと思ってくれたようでした。
他にも、水泳の蹴伸びがまっすぐできているだけで、拍手が起こったこともありました。個人的には、蹴伸びって、壁を両足でちゃんと蹴れば、あとは伸びてるだけだし、見えてるからと言ってそんなうまく軌道修正できるもんじゃないような気がするんです。
それまで沈みかけていた人が、練習の甲斐あってできるようになったとかなら、拍手喝采も頷けるのですが、私の場合は、スイミングスクールに通っていたこともあり、そのときは最初からすんなりできていたのです。

この2つの例を見てもらえば、私がどれだけ褒めてもらえる環境で育ったのか、容易に想像してもらえると思います。

ここでは色々とへそ曲がりなことを書きましたが、褒められるというのはとてもうれしいことです。まあ私の思考回路が超単純というのもあるとは思いますが、これだけ褒めてもらえることで、私の精神安定が保たれていると言っても過言ではないと思います。

見たくないものだってあるよね?

もう1つ、見たくないものを見なくてすむというのもあります。
世の中には、害があるわけではないけれど、見た目が気持ち悪いものはそれなりにあると思います。あんまり例が浮かんできませんが、例えば変な虫とかでしょうか(こんなこと言ったら虫に怒られちゃいますね)。毛虫やムカデは毒があるので早く見つけて逃げないといけないですが、少し離れたところにいる、気持ち悪い虫とかなら、目に入らない方が心穏やかに過ごせます。虫に限らず、グロテスクなものや、見ていて気分が悪くなるものって、きっと色々あるんだろうと思います。

また、不快とまではいかずとも、見てしまってがっかりしたという経験をお持ちの方はきっと多いのではないでしょうか。例えば、動物園のライオンやパンダって、心躍らせながら見に行っても、けっきょくほとんど寝ているだけだったということは多いらしいです。それで幻滅するくらいなら、勇ましいライオンの姿や、ゆったりとくつろぐパンダの様子をイメージして、心にとどめて置く方が、いい気分でいられそうな気がします。

現実に見えているものに影響されずに好きなだけ妄想できて、その世界に浸ってられるのは、見えない人の特権だなあと最近思うようになりました(やり過ぎは禁物ですけどね)。

身近な幸せを味わおう!

今回は障害のポジティブな面をひたすらピックアップして書いてきました。他にも、障害者割引で交通費や入場料が安くなったり、お店で店員さんにお手伝いをお願いしたら色々教えてもらえたり、なんだか得をした気分になることもあります。

大変なイメージの強い障害だって、こうやって書いていると、いいこともいっぱいあるんです。

これってきっと障害に限ったことではなくて、きっと日常のありとあらゆる場面で、ちょっとしたいいことはたくさん転がっているんだと思います。
ついつい見落としてしまうのが人間という生き物なのかも知れませんが、ちょっとしたいいことに気づいて、「幸せだな」って味わうことで、本当の豊かな暮らしが送れそうな気がしてきます。

なくしたものを数えて瞳閉ざすよりも
あるものを数えた方が瞳輝きだす
(絢香 にじいろ より)

いつかの朝ドラの主題歌のワンフレーズを借りて、今回の文章を締めくくりたいと思います。

最後までお読みいただき、ありがとうございました。

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