見出し画像

竹林に佇む宇宙船【奈良県橿原市「益田岩船」】

奈良県橿原市『益田岩船(ますだのいわふね)』

『益田岩船』は奈良県飛鳥地方に数多く存在する巨石の中でも最大のもの。
最大にもかかわらず、他の観光地からは少し離れていて、アクセスが悪いためか、ほとんど知られていない。

しかし、侮るなかれ、
『益田岩船』は奈良県随一の観光名所と言っても過言ではない。
あの奈良の大仏に勝ると言っても過言ではないのではないだろうか。いや、過言である(反語)

『益田岩船』の場所は、学校や幼稚園、団地などに囲まれていて少々わかりづらい。

入口からは少し山を登る。それほど長い道のりではないがちょっと険しい。

↑へび。半ズボンやサンダルで入ると危ない。

5分ほどのぼると竹林の中に巨大な岩が。

これが『益田岩船』
想像よりだいぶデカい。
写真だと伝わりにくくて残念だが、かなりデカい。

反対側からみるとこんな形。
山の下側の面は模様のようなものが彫られているが、山の上側はつるっとした形状。

岩の上部には2つの四角い穴。

不思議な形だが、一体なんのために造られたものなのだろうか?

実は未だに解明されておらず、様々な説がある。

代表的なものを紹介する。

①古墳の石槨説
古墳に入れる石槨(棺や副葬品を入れる石室)として作られたものという説。
この説の根拠としては、
益田岩船の上部の2つの穴とよく似た石槨をもつ古墳が存在するということ。
石槨を作っている途中で放棄されたものがこの益田岩船ではないかと言われている。
なぜ放棄されたのかというと、2つの穴のうち1つに亀裂が入ったためだと考えられている。

山の下側から見てみると、岩の側面に亀裂があり、穴に溜まった雨水が染み出ている。
上半分は研磨されていて、下半分は格子状の模様になっているのは、途中で亀裂が入ったため、下半分は研磨さなかった、ということだと考えられているそう。
有力な説ですが、この説には問題がある。
この巨石が石槨だったとして、完成後はどこかの古墳まで運ばならない。
しかし、この巨石がある場所は山の上で、しかも岩の重量は800tもあって、
重機が使えない昔の人が運ぶのは不可能である。

②占星術の天文観測台説
2つの穴に石柱を建て、その上に横柱を渡して天体観測をしていたという説。

③物見台説
2つの穴に柱を立てて物見台を作ったという説。ちなみに今は竹林に囲まれているが、数十年前までは竹は生えておらず、見晴らしがよい場所だったそう。

④益田池を讃える石碑の台石説
最も古くからある説で、近くにある益田池が築造された際に、弘法大師の書による石碑を載せるため台として造られたとされている。
『益田岩船』という通称はこの説からきてる。有力な説だが、池からそこそこ離れてているため、この場所に造られた意味が説明できない。

⑤ゾロアスター教の拝火台説
松本清張の「火の路」という小説の中で提示されている節。
ペルシャ人が飛鳥京を訪れ、ゾロアスター教を伝えたそう。
面白そうな説である。小説を読んでみたいと思った。

⑥宇宙船説
大本命、私が支持する宇宙船説。
実は古事記や日本書紀に出てくる日本の神々は宇宙人で、古代の人々はその宇宙人の乗ってきた船を真似て、この岩船を作ったという説。
根拠が薄い?そんなことは関係ない。
皆直感的に思ったはずだ。
UFOみたいだって。
DNAに刻まれた古代の記憶が、第六感が、UFOだと言るのだ。
人間、理屈ばかりではいけない。

その他にも多数の説あり。

何のために造られたのか、想像力を掻き立ててくれる場所『益田磐舟』。

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?