相談委員長の考えごと第2回

相談委員長の考えごと 第2回~「しんどくならないんですか」~

私たちは、NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。
HP: http://www.kyoto-jsc.jp/

Sottoが行っている活動は幅広く、根幹となる電話・メールによる相談受付に加え、対面の場での居場所づくり活動、広報・発信活動などがあります。
各活動は委員会ごとに別れ、日々の活動を行っています。
今回から、電話相談を担当する「相談委員会」の委員長である「ねこ」さん(もちろんあだ名です)の、Sottoの活動を通して考えることを月刊連載としてお届けします。

Sottoの立ち上げ当初から活動に関わり、Sottoの文化を形づくることに貢献し、現在は電話相談ボランティアの養成を担当しているねこさん。
そんな立場から、Sottoの活動や、死にたいという気持ち、人の話を聞くということなど、様々なことについて考えることを語ってもらいます。
この連載が、読んでくださる皆さんにとって新しい気づきを得たり、死にたいくらいつらい気持ちについて理解を深めたりするような、そんなきっかけになれば幸いです。

第1回はコチラ→相談委員長の考えごと 第1回~死にたい気持ちについて~

第2回~「しんどくならないんですか」~

 自殺とか、もう死ぬってくらいだから重たい話だろうし、相談を受けて気持ちが引っぱられたり、自分が鬱になったり落ち込んでしまったりはしないんですか、と聞かれることがあります。

不安に感じたり心配されることについてはわからなくもないですが、質問の答えとしては、相談の影響を受けて自分が落ち込むようなことはありません。

 そもそも相談員にとって何が負担になり得るかという部分を整理してみます。
重たいというのは、何がどう重たいのかということです。

電話の前に座り続けることで、おしりが痛くなるというのはあります。
Sottoの相談ブースの椅子もだいぶ古いうえに、もともとが安物ですからね。
それから、小さな声を聞き取るために無意識のうちに受話器を強く押し当てていることがあるので、耳が痛くなったりすることもあります。
電話中はトイレを我慢したり、空腹や喉の渇きもあるかもしれません。
夜中であれば、眠たかったり、終わったあと帰る際には居眠り運転の心配なども考えられます。

そろそろ、そういうことじゃないとツッコミがありそうですが、本来そういうことでしかありません。
付き合った話の内容はどうであれ、何らかのストレスや気疲れがあるとすれば、それはむしろ自分自身の問題、相談員としての未熟さによるものであることがあります。

どうしてあなたはそうなの、というような理解できないもどかしさや、相手をコントロールしようとする思考、そしてそれが叶わないことによるものです。
言葉を尽くしても説得に応じてもらえないフラストレーションかもしれません。

相手の変化を期待すればするほど、ほぼ期待はずれに終わることになりますが、それは言い換えるなら、救えるものを救えなかったという自責でしょうか。
それとも成果をあげられなかったという気まずさでしょうか。
そもそもの前提が間違っています。
自分が関わればなんとかなるというのは自惚れです。
死ぬほど思いつめるくらい、ずっと悩んだ末に相談してこられたことを思えば、ちょっとやそっとのことでどうこうできるわけがないのです。

それじゃあだめだよと、相手の思考や現状を否定して変化を促すものの、押しても引いても動かせない、つまり「重たい」というのは文字通りの動かしにくさ、そのままでは「受け容れられない」という気持ちからくるものなのではないでしょうか。

自殺を思いつめる要因の一端には、まわりにわかってもらえなかったり、頑張ろうにも頑張れないなか、自分ですら自分を認められなくなる気持ちがあることを思うと、頼った先ですら変化を促すような否定の眼差しを向けられることは苦痛以外の何物でもありません。
だから、相手の支えであろうとするとき、Sottoでは変化を期待するような発想はしません。
すなわち、重たく感じることでは本来ないのです。

また、自分と似た境遇の相談に、過去の体験を重ねてしまってその辛さを蒸し返すということもあるかもしれませんが、自身の悩み事に折り合いがついていなかったり、余裕のない状態では、そもそも誰かの支えにはなれません。
自分の手がすでにふさがっているときに、重そうな荷物を運ぶ人に手伝いましょうかと声をかけることはないはずです。

あるいは、本当に相手の感情が伝わって辛くなるんだという主張もあるかもしれませんが、気持ちが触れ合って瞬間的に共有できるものはあっても、熱源というか供給源を断てば、つまり電話を切れば、あなたはあなたです。
もちろん、気持ちが大きく振れたあとの疲れというのはあります。しかしそれは、大笑いしたとか、怒った、泣いた、など感情の種類に関わらず同じことだと思います。

だからそういう意味では、つまり、相談員としての役割を果たすという範疇に限っていえば、窓口業務に携わることが特別に大変であるというわけではないように思います。

実際、必要以上に同情されるとかえって惨めになることはあるでしょうし、話す相手の気持ちを追い越して深刻に捉えすぎるのは、気を遣わせてしまったり、困らせてしまって話すべきじゃなかったとすら思われるかもしれません。

想像力が豊かなことは強みになりますが、相手の支えであるための活かし方を理解していないと、邪魔にすらなり得ます。
仮に人と話した後に何か引きずるような感情があるとき、それが一体何なのかをよく考えてみると、だいたいが相手のためのものではなく、理解できないとか嫌いとか、自分を守るためのものだったりします。

相談委員長 ねこ

つづき⇒第3回「ききかた、とは」
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