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京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第11回(金子宗孝)

私たちは、認定NPO法人京都自死・自殺相談センター Sottoです。
京都で「死にたいくらいつらい気持ちを持つ方の心の居場所づくり」をミッションとして掲げ活動しています。

2020年で京都自死・自殺相談センターSottoは設立10年目を迎えます。
10周年という節目にあたって、Sottoを様々な形で支えてくださってきた理事の方にリレー形式で、Sottoへの想いをコラムにしていただくという企画をスタートしました。
一口に理事と言っても、お一人お一人様々な背景を持ち他団体で活躍されている方も多いので、多様な視点からSottoという団体について改めて浮き彫りにしていただければと思います!
前回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第10回

第11回 相談委員長 金子宗孝

この会報で記事を書く係も、これまであまりたくさんやってきたわけではありませんが、2010 年から考えると、いろいろな立場で作文してきたようにも思います。事務局長として、ファンドレイジング担当として、研修スタッフとして、相談委員長として、また出講報告もいくつかありました。
そして今回、理事として。

私自身、この業界というか、界隈未経験にも関わらず、成り行きで立ち上げ準備会に合流した口なので、ボランティアのみなさんと、本当に1から一緒に学んできたように思います。そして現在、取材や質疑など、だいたいのことに答えられるようになったのは、相談員としての実績よりも、毎年の養成
講座に加え、東北や広島、東京等での出張講座に、毎月の相談員研修と、ほぼ欠かさず参加してきたロールプレイでの反復練習や人前での発表により、ようやくわけがわかってきたところが大きいようにも思います。

自分のなかでの一番の変化は、相談センターの、あるいは、相談員の役割の自覚の部分です。Sotto 設立当初、将来的に窓口自体が必要なくなるような、自殺のない社会というのが目標でありゴールなのだろうと考えていました。しかし、程なくして、そうではないと考え改めるようになりました。
人間、生きている限り悩みが尽きることもなければ、抱えきれなくなったり、思い詰めてしまうことは少なくないかと思います。一言に自殺といっても、それぞれに背景や文脈があり、ちゃんと考えてみれば当然のことなのですが、死ぬほど苦しく思いつめる状況において、それでも生き永らえることにどれだけの意味や価値があり、果たしてそれを他人が無責任に強要していいものなのか、納得のいくような理由は存在しません。

それでもできることがあるとすれば、それは、誰にもわかってもらえない絶望やその孤独に真剣に向き合い関わり続けること、気持ちの支えになることです。相手を死なせないために相談に乗るのではなくて、ほかにやり場のないだろう気持ちをきちんと受け取り、直接の訴えだけでなく、うまく言葉に
できないところすらすくい取っていくような、その孤独の辛さをやわらげるための相談であり、またそれがほかに代えがたい支えたり得ると信じることなのだと、そう考えています。だから今では、細くとも長く、相談センターが存続し続けることが大切なのだと思っています。

次回はコチラ→京都自死・自殺相談センターSotto設立10周年リレーコラム 第12回

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