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天文学で有名な『明月記』って?

突然ですが、この図は何を表しているか分かりますか。

Jet Propulsion Laboratory より

火星の公転軌道と木星の公転軌道の間には、小惑星帯と呼ばれる小惑星の公転軌道が集中している場所があります。
この図は、小惑星帯にある小惑星のひとつ、9892番星の「Meigetsuki」の公転軌道を示した図です。
1995年12月27日に小林隆男氏が発見した、直径わずか3.6kmの小惑星。2022年6月に京都情報大学院大学教授の作花一志氏が、『明月記』から着想して命名しました。

『明月記』とは、鎌倉時代に成立した藤原定家による日記。

藤原定家(1162-1241)は当時の公家ですが、歌人として『小倉百人一首』の撰者を担ったのも有名です。
『明月記』には、治承4(1180)年から嘉禎元(1235)年の記録が収録されており、定家自身の内面や、平安時代末期から鎌倉時代初期の宮廷社会の様子を窺い知ることができます。

特筆すべきは、定家が生涯天文現象に強い興味を示しており、世界に数少ない天文の古記録を残している点です。

現在冷泉家時雨亭文庫に残る定家自筆の『明月記』全54巻(1192-1233)は、2000年、国宝に指定されました。また、2019年には第1回日本天文遺産に認定されています。
※『明月記』は、定家の孫、為相が冷泉家の祖にあたることから、代々冷泉家に伝わりました。そのほか、全国各地に写本が残っています。

小惑星の名称は、国際天文学連合に申請して認定を受ける必要があります。『明月記』の天文学的価値は、国内でも、世界でも、認められているということです。

では、『明月記』にはどのような天文記録が残っているのか、具体的に本文を見てみましょう。

治承四年九月十五日甲子、夜に入りて明月蒼然たり。
故郷寂として車馬の声を聞かず。
歩み従容として六條院の辺りを遊ぶ。
夜ようやく半ばならんと欲して天中光り物あり。
その勢い鞠の程か。
その色燃ゆるがごとく、忽然躍るがごとし。
坤より艮に赴くに似たり。
須臾にして破裂し、爐を打ち破るがごとし。
火空中に散じ了んぬ。
もしくはこれ大流星か、驚奇す。
大夫忠信、青侍らと相ともにこれを見る。

治承4(1180)年、定家19歳の時の日記です。
旧暦9月15日(10月5日)、満月の夜でした。寂れた京都の町を散歩していた定家は、空に大きく光る大火球を見ます。
鞠のような勢いで、夜空を燃えるように飛び、破裂する火球。定家自身は「大流星」と判断して、驚嘆しています。
しかし、破裂の様子を見ると、流星でなく隕石かと推測できます。隕石は、大気圏に突入すると、空気抵抗による断熱圧縮で激しく燃え、火球としてしばしば目撃されてました。

本文からは、定家の興奮する様子が手に取るように分かります。

およそ850年前、定家が「大流星」を見た時の新鮮なリアクションが、現代を生きる私たちの感情にリンクするようです。これは、公的な記録ではなく私人の日記だからこそ生まれる魅力です。

定家は、月食や日食、客星などあらゆる天文現象が好きだったようで、目で見た天文現象を記録したり見識者から過去の天文現象を聞いたりしています。
今回紹介した記事の他にも、『明月記』には貴重な天文記録がたくさん残っています。
それはまた、別の機会に。

◯参考文献
花山星空ネットワーク編『あすとろん』59号
『国史大辞典』
斉藤国治『定家『明月記』の天文記録:古天文学による解釈』慶友社 1999

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