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車折神社は人々の想いが折り重なっているのではないかと思う
車折神社(くるまざきじんじゃ)は、京都の嵐山の近くにある、芸能神社があるというので有名な神社です。
公式ホームページでは、京都・嵐山にあるという感じで書いていますが、嵐山から嵐電に乗って、4駅目の車折神社という駅で下車。
駅の前が神社となり、とても分かりやすくなっています。
芸能神社が有名ということで、数々の芸能人が参拝されているようで、驚くほどたくさんの、芸能人の名前が書かれた玉垣がならんでいます。
(芸能神社の御祭神は、天宇受売命となります。天照大御神が天岩戸に隠れている時に、扉を開けさせるために演舞した神様です。
昭和32年に他の末社から分社して創られた新しい神社とのことなのですが…
これはやっぱり、近くに東映や松竹などの撮影所があるからですかね?
実際、こちらで撮影も良くされているそうです)
玉垣の写真はあまりとらなかったのですが…
参拝をされている方の中には、お目当ての名前を必死で探されている方が多かったです。
ジャニーズからAKB、俳優、歌手、もう様々な方の名前が…
(私も、知っている和太鼓のグループの方が奉納されていると探したのですが見つけられなかった…)
この玉垣、1枚13000円で2年間掲載してくださるそうです。
意外とお手頃なのにびっくりだったのですが…
実際に活躍されている方々のお名前を見ると、ご利益があるので、このように広がって行ったのでしょうね。
因みに、タワーレコードとコラボレーションしたお守りとかもあり、(どないやねん)と個人的には思ってしまうのですが。。。
神社もご商売ですからね…
芸能神社の影響で、チャラチャラした感じの神社になっていますが…
車折神社の本殿は、この芸能神社ではなく、別にあります。
本殿の御祭神は、清原頼業公で平安時代後期の儒学者となり、24年朝廷で政治の諮問などの職を務められていたとのこと。
(平清盛の時代で、朝廷は大変な頃だったみたい)
「その才、神というべく尊ぶべし」と称えられた程の人で、今でも、学業や合格祈願にご利益があるとされています。
頼業が亡くなった後、この地に廟が建てられ、「宝寿院」というお寺が営まれていました。
車折神社と呼ばれているのは、鎌倉時代に、後嵯峨天皇が嵐山を訪れた際、社の前で牛車の轅(ながえ)が折れて立ち往生し、その神威を畏れて、門前右側の石を「車折石」と呼び、頼業公に「正一位車折大明神」の神号を贈りました。
これ以後「車折神社」と称するようになったそうです。
また、室町時代に天龍寺の塔頭となり、さらにその後、明治時代に神社に変わりました。
由緒にある説明だと、神社とお寺が混在していますが…神仏習合の時代に、お寺のと車折神社が一緒になっていたということなのでしょうね。
明治時代の廃仏毀釈の影響で、お寺を廃して神社だけになったというところでしょうか???
(この辺調べてみたけど、はっきり書いてあるものに出会えずで…)
神社の御利益の1つに、「約束を違えない」というのがあり、売掛金の集金が滞りなく進み経営がうまくいくや、お金のやりくりも上手く回る、恋愛や結婚でも約束や誓いが守られるなどもあり、多くの方が参拝されるようです。
そして、神社にはおススメの参拝手順もあり、分かりやすく掲示されています。
2020年はコロナ禍の影響で、手水の柄杓は無く、残念ながらお清めは出来ない状態でしたが。。。
清めの社はこちら。(スマホの待ち受けにするとご利益があるとのこと)
丁度、訪れたのは6月だったので、本殿の入り口には、大祓の茅の輪が。
この6月だけ、人形に名前を書いて納めることで、罪や穢れを祓い清めるお焚き上げをして下さるそうです。
本殿は、紅葉の木に隠れた形になります。
おススメの参拝の手順通りなら、祈念石という石の入ったお守りを買って、本殿への参拝となっていましたが。。。
いうことを聞かずに、普通に参拝してしまいました。。。
願いが叶ったら、お守りをお返しするのと一緒に、自分で拾った石にお礼を書いて、お納めするとのこと。
石は、昔から、人がパワーを感じ、思いを託すものだったということなのですよね。
現代でもパワーストーンが人気なのは、こういうことに由来するものなのかもしれません。
なんとなく、色々疑問が出てくる神社だなと、調べてみたのですが、人の信じる気持ちが折り重なって発展してきた神社なのかなという気がしています。
車折神社という名前の由来も、後嵯峨天皇が前を通りかかった時に車が折れたことを畏れてということだし、お守りや玉垣にしても、分かりやすく目に見える形で信じることが出来るものがあることで、人は安心して、その安心もあって、願いが実現するところもあるのかもしれません。
そして、それらは、新しいお守りが登場しているところを見ると、どんどんと更新もされていっているのだろうと。
こちらの神社の中には、水神社という名の神社があるのですが、龍神様が祀られており、昔、嵐山の桂川(大堰川)がこの辺りまで来ていたことがあり、川の氾濫を鎮める祈願をしていたとのこと。
今でも桂川は氾濫することがありますが、昔から暴れ川として有名で、近くに住む人は、ずっと苦しめられてきたのだと思います。
元々の最初は、治水のための神社からスタートしたのが、のちに清原家の土地となり(平安時代の右京区は湿地帯で決して恵まれた土地ではなかったので、この辺りも不穏な何かあるような気がしますが…)、頼業が亡くなった後、お寺を立てて(神社の神様になる方には非業の死を遂げる方が多いのですが、ここも調べてみても何も出てこずで、実際のところどうなんだろう?と思っているところです)、その後、たまたま(?)、後嵯峨天皇が、前を通りかかった時に車が折れて、車折神社という名前となるというのも…
後嵯峨天皇は、何を畏れたのでしょうかね?
まだまだ分からないことが多いですが…
簡単に書こうと思ったら、えらく長くなってしまいました…
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