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28.アンサンブル練習会 実技編。まず、壁!

 2020年5月、Irish PUB fieldは休業を余儀なくされていましたが、そんな折り、2000年のパブ創業以来の様々な資料に触れる機会がありました。そこで、2001~11年ごろにfield オーナー洲崎一彦が、ライターのおおしまゆたか氏と共に編集発行していた月刊メールマガジン、「クラン・コラCran Coille:アイルランド音楽の森」に寄稿していた記事を発掘しました。

 そして、このほぼ10年分に渡る記事より私が特に面白いと思ったものを選抜し、紹介して行くシリーズをこのnote上で始めることにしました。特に若い世代の皆様には意外な事実が満載でお楽しみいただけることと思います。

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 今回は2006年2月に始動した「アンサンブル練習会」の続きの記事です。開始から3ヶ月、練習会は大きな壁にぶち当たります──。(Irish PUB field 店長 佐藤)

↓前回の記事は、こちら↓

field どたばたセッションの現場から 〜練習会実技編。まず、壁〜 (2006年5月の記事)

 さて、今回は、実質的に2月から始動した、「アンサンブル練習会」報告の続きを書いてみます。この練習会の趣旨は3月のここの欄に長々と書いたので省略しますが、要するに、「合奏」というものに対して、楽器の別を問わない共通概念を持つことで、たとえ、個人個人の楽器操作技術が未熟でも、心地よい合奏ができる、という信念に基づいた練習をしようというものです。  

 3月にも書きましたが、まずは、音楽俗語として蔓延している「ビート」や「ノリ」の指し示している意味を明確にします。その上で、この「ビート」という概念を「合奏」の、楽器の別 を問わない共通概念と仮定しました。  

 次はいよいよ「実習」なのであーる。  

 実は、こういう練習会を主催したものの、私自身、どこかでこの新しいカリキュラムを学んで来たというわけでは無く、すべて、手探りなんである。無責任と誹謗されるかもしれない。でも、「何か」やらないではおられなかったのだ。誹謗は覚悟するしかない。  

 とにかく、順番はまず「ビート」概念にたどり着く前段階の準備というか、地均しがどれぐらい必要か、という問題だった。もちろん、個人差があるとは思っていた。しかし、実際に蓋を開けてみると、この個人差たるや予想を遙かに超えていた。それこそ、各人の音楽歴や実際の楽器の巧さ拙さに全く無関係にこの「個人差」が露わになっていく。特に、アイルランド人マテ夫君の参加はこの練習会の土台そのものを揺るがす大激震となった!  

 まずは、「ビート」が具体的にどのようなものであるのかを体験してもらわなくてはならない。この時の参加者各人は音楽に合わせて身体を揺らせる事はできた。でも、その「揺れ方」に色々な種類があることをはっきりイメージできていなかった。となれば、実際に色々な種類で「揺れ」てみてもらわなくてはいけない。  

 残念ながら、こういう場合の例にアイリッシュ・ダンス・チューンは「一目瞭然」でない分、不適切である。選んだ例CDは、往年のディスコ・ミュージック・バンド「シック」と、ハードロックの祖「ディープ・パープル」である。 理屈では、この両者の音楽にある「ビート」の差は16ビートと8ビートなのだが、そんなことはどうでもいい。この両者の音楽に身を揺らせた時にその「揺れ」方が違うということを身体で感じてもらわないと、何も始まらない。  

 ここで、もう、すでに、各人の「個人差」がどうしようもなく露呈することになる。何となく分かったような素振りを見せるのは、元々スポーツをしていて、ヒップホップ・ダンスをかじっていたような奴だった。 などと聞けば、さもありなん、なのだが、彼は中学生の頃、相撲をしていたという。相撲には鉄砲突きという練習があって、下半身にどっしりと重心を落としたままで前に出る足運びをしながら、腕を後ろから前、下から上にせり出して行く。この時、足が前に出るのと、腕が前に出るのとでは若干の時間差ができて、足と腕の運動の関係がムチのようにしなるという。  ・・・・確かにそれや! それが、俗に言う「よこノリ」の雰囲気じゃ。    

 音楽俗語に「よこノリ」「たてノリ」というのがある。それも知らない人が多かったので、最近は死語なのかもしれない。が、かつては、これはよく言った。演奏する立場の人はもちろん、リスナーもこの言葉はよく使ったと思う。  

 元々は、何から言い出したのかはよく知らない。が、恐らくは、モダンジャズのスウィングが注目され、あるいは、サンバなどのラテン音楽が日本に入って来た時代か・・・。  たぶん、初めは「よこノリ」という概念が新鮮だった。というか、皆、よく分からなかった。だから、必死になってそのイメージをつかもうとした。それ で、後に、このイメージで捉えられない音楽に接した時に「たてノリ」という 語が生まれたのではないかと想像する。  

 ようするに、彼の相撲話は、このへんのヒントになったのだ。「何ビート」なんて今はもうどうでもいい。この「よこノリ」と「たてノリ」の違いを感じてもらおう。  

 すると今度は、ああ、何という事か! 珍しいと言えば珍しいのかもしれないアフリカ&イタリア系アイルランド人のマテ夫君! 彼には、どんなに説明しても「たてノリ」のイメージが分かってもらえない! 私の英語が下手!というのを通り越して、何と言うか・・・、何を聴かせても、音楽であれば「よこノリ」しか感じないと言うわけだ。  他の人たちは、まず「たてノリ」をすぐにイメージしてから次に「よこノリ」に四苦八苦しているという、そんな場所で!

 

注)完全な「たてノリ」は、up & down のみで、強弱も無いとして良いと思う。 昔のアナログ時代の打ち込み音楽である黎明期のテクノなどはこれに近い。が、「よこノリ」のバリエーションが増えて来た80年代以降、強弱のみの2拍子に感じられるものも「たてノリ」と称されるようになった。今から考えれば、ハウス・ミュージックと呼ばれたものがこれにあたるのではないかと思う。かつて、一世を風靡したユーロ・ビートも「たてノリ」になるのかもしれない。  

 

 これは、よくよく考えると、恐ろしい発見ではないか。マテ夫君によると、 彼の知る限りでは、音楽に「よこノリ」と「たてノリ」の概念の違いがあるなんて聞いたことがないという。たまたま、彼のアイルランドでの音楽環境がそうだったのか、もしくは、これは、相当恐ろしいことだが、そんな分け方、日本でしかしていないのか!?  

 もし、そうなら、日本人が西洋音楽を聴く演るということと、西洋人の同様の行為とは根本的に全く違うことをしていたということではないのか!  私にしても、例えばクラシック音楽には「たて」も「よこ」も無いだろうと勝手に思い込んでいたわけだが、彼らは全部「よこ」なのだから、クラシック にも「よこ」を見出すのだとしたら・・・・、  クラシック音楽にも、ここで問題にしようとしている「ビート」概念が存在していることになる。少なくとも、彼ら西洋人はそのように扱っているのか!   

・・・・・・・・・  

 練習会はどうなったかって? そうそう、そうでした。話をそこへ戻さなければなりませんね。  それで、ですね。じゃあ、マテ夫君の身体の動きを真似してみよう! とか、 マテ夫君の歩き方を観察してみよう! とか、では、マテ夫君と一緒に皆で歩いてみよう!  とか、  相撲の突き手をやってみるぞ!ほれ! どすこい! どすこい! とか、  だんだん、知らない人が見たら  

「何の集会ですか~?」 と、思われてるような集まりになって行くのですねー。  

 この練習会、早くも失敗ですか? 誹謗を受ける前に自爆ということでしょうか?  いやいや、こんな幼稚園のお遊戯状態になってもまだ参加してくれる人がい るんやから、・・・・信じて前進します!(それでも、マテ夫君は通ってくれているのです。はい。)   

 いよいよ、前途多難な「珍練習会」になってまいりました。さて、先はどうなりますることやら。  どなたか、前述の、西洋のクラシック音楽家はクラシック音楽に「ビート」 あるいは「よこノリ」を感じているのかどうかという疑問。もし、詳しい方がおいででしたら、是非、その答を教えてください。

<すざき・かずひこ:Irish pub field のおやじ・今月末、久々に人前でアイ リッシュを演奏するのだが、最近エラそうなことばかり吠えているのでちょっと気が引けるなあ・・・・・>                  

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