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便利堂ものづくりインタビュー 第7回 前編

第7回 李 志源(写真左) 聞き手:社長室 前田(写真右)

古典技法へのつきない興味

───李さんは大学で写真を勉強されていたんですね。
「大学と大学院で学びました。わたしは自分の作品をフィルムで撮るのですが、それをプリントしようとするとおのずと古典技法になります。そこで卒業後、古典技法ではもっともオーソドックスな「銀塩写真」のラボに就職しました。そもそもは自分の作品をもっとうまくプリントできるように現場で学びたいという気持ちからでしたが、やってみると仕事自体とても面白くて、アナログ的な写真作業にさらに興味を持ちました。そこで次に「プラチナプリント」の会社へ入ったんです。

───プラチナプリントというと?
「銀塩写真よりさらに古い技法になります。この2社へは、大学で学んだことだけでなく現場で使われている技術を身に付けたくて入りました。だから興味深かったものの技術的にまったく知らないということは少なかったのですが、コロタイプの場合は本当に見たことがないものばかりでしたね。」

───入社前に見学されてどう思いましたか?
「面白そうなことをやっているけどよくわからないなあと思いました。授業のなかでコロタイプや便利堂の名前を聞いたことはありましたが、詳しくは知りませんでした。コロタイプは他と比べるととてもめずらしい古典技法です。どういうものかとても興味がわいて入社しました。」

───たずさわってみての感想を聞かせてください。
「従来の古典技法はネガから直接紙にプリントされるのが普通ですが、コロタイプは「版」を作るところがほかとは大きく違います。どちらかというと版画に近いんですね。そこが今までやってきたこととかなり性質が違うのですごく面白いですね。」

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記録されなかった技術こそ残したい

───李さんはコロタイプの職人技をマニュアル化するための研究をされています。
「コロタイプは版を作る「刷版」、画像を整える「製版」、そして「印刷」と分かれていますが、135年の歴史のなかでどの技術についても記録が少ないんです。だから問題が起こったときに原因がわからないことが多い。わたしの予想なんですが、昔は仕事を一から教えてもらうのではなく、見て覚えることが多かったと思うんですよ。そうするとどうしても自己流になりますよね。」

───関わる人の数だけやり方が生まれそうです。
「トラブルが起きたときにもそれぞれが自分の経験や知識で対応し、記録はしていませんでした。やり方が次のひとに完璧に伝わっていればいいのですが、伝えることなく途切れてしまうこともあって、そうするとせっかく見つけた答えが失われてしまいます。でも記録さえしておけば次に同じことが起こったときに対処しやすくなりますよね。みんな自分なりのやり方があるので完全に統一するのは難しいかもしれないですが、ある程度の基準は必要じゃないかと思います。それもマニュアル作りの理由のひとつです。」

環境にやさしい薬品での新たな挑戦

───ほかにもマニュアルを作るきっかけはありましたか?
「使う薬品が変わったことですね。コロタイプで使う版は、ゼラチンに「重クロム酸塩」という薬品を混ぜた感光液をガラスの板に流し、乾燥させて作ります。そこへネガを焼き付けるわけです。しかし重クロム酸塩は劇物で人体に有毒であり、そうした視点からいつ生産がなくなるかわかない上、処理の際には廃液装置を通す必要があり、環境に与える影響が心配でした。なにか代わりになる薬品がないか試行錯誤の末に見つけたのが「DAS」(ディ─エ─エス)という環境負荷がない無公害の薬品です。」

───「便利堂エコプロジェクト」の一環としての取り組みですね。ということは新たにDASを使ったマニュアルが必要になります。
「そうですね。重クロム酸塩のマニュアルはみんなの頭のなかにしかありませんでしたが、長年やっていたので安定していました。DASは版によって調子が大きく異なるので、なかなかそこまでいきません。でも、せっかく新しい薬品に切り替えるのだから、ガイドラインになるものを作ろうということになりました。」

───難しそうです。手探りですね。
「何度も実験を繰り返しています。これでいける!と思ってもゼラチンの膜がめくれたり、版が傷ついたり、なにか起こるんですよ。レシピを変え、やり方を変えてもまた問題が起こる、その繰り返しです。そのデ─タをすべて記録して分析し次に活かします。2012年から始まった研究にわたしが参加して4年目ですが、当初は刷れるか刷れないかというレベルだったのが、今は従来のやり方である重クロム酸と同じクオリティのものが刷れるようになりました。」

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数値にできない職人技のすごさ

───気が遠くなるような作業ですね。
「昔と違い、今のコロタイプの技術はアナログとデジタルが混ざっています。刷版や印刷は昔からのやり方ですが、製版ではデジタル画像処理を行っています。かといって製版のマニュアルが数値だけで表せるかというとそれは違います。コロタイプではどの工程でも、日によって違う温度や湿度、水温などの影響を職人が見極め、絵柄によってバランスを変えるなどの調整が日常的に行われています。それは数字や言葉にはできない、経験でしか培われないものなんです。」

───数値にできない部分が一番大切なんですね。
「コロタイプは完成までに何度もひとの手が入りますよね。経験に裏打ちされた職人の知恵や加減を無視して、数字だけに焦点を当てたマニュアルでは意味がありませんし、それでは失敗する確率も高くなります。日によって、版によって、変わるところが想定してあってこそコロタイプのマニュアルなんだと思います。調整できる幅をあらかじめ作っておくとでもいうんでしょうか。数字で読めるところは守って、そうでない部分も残しておく必要がある。そのバランスをとるのが難しいんです。」

───余白のあるマニュアルという感じがします。
「そうですね。やはりプロの技術というのは説明書を読めば誰にでもできるというものではありません。でも、何も知らないひとが読んで、ある程度の作業が身に付けられるような、そしてもうちょっと高いレベルにもたどり着けるような、そんなマニュアルができたらいいなと思っています。どんどん精度を上げていきたいですね。」

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