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便利堂ものづくりインタビュー 第15回

第15回:写真工房 山内崇誠さん 聞き手・社長室 前田


明治時代に開設された〈便利堂写真工房〉は、今も続く文化財撮影専門のスタジオとしては、日本で最も古いもののひとつです。伝統の撮影技術で写された写真は、便利堂商品にも生かされています。職人技を受け継ぐ撮影技師、山内崇誠(たかあき)さんにお話を伺ってきました。


撮影しているのは便利堂の「タネ」

―――山内さんには、本誌の最初の見開き記事〈アートのある暮らし〉で、毎号すてきな「美術商品のある風景」を撮っていただいています。
 慣れない撮影で…めちゃめちゃ苦労しています。もうちょい前行って、もうちょい後ろ下がって、あぁ行き過ぎや、後ろの景色が入らへん!なんて言いながら、こうかな?ああかな?と、毎回試行錯誤を繰り返しています。

〈アートのある暮らし〉カット撮影風景

―――ふふふ。でも、なんだか楽しそうです。
 写真工房で培ったテクニックはここでは関係ないんですよね。日々の暮らしのなかで僕らがどんな風に便利堂の商品を使っているのか…。その日常を切り取るってなかなか難しい。言ってみればどれもリアルな山内家の日常の光景ですが、このページを見てくださる皆さんに少しでも使用感を想像していただけるよう、「こんな風に撮影した方がもっと伝わるかな?」と想像力を働かせています。これまでそういうことをしたことがなかったので、もう必死ですよ。

―――普段の写真工房のお仕事とは180度違いますね。
 そうですね。写真工房では文化財撮影が中心です。でも、だからといってコロタイプの文化財複製を依頼いただく博物館の方々や、文化財写真を掲載していただく出版社さんだけが僕ら写真工房のお客様かというとそれは違います。僕らが撮影しているのは言ってみれば便利堂の「タネ」ですから。

―――便利堂のタネ…?
 僕らが撮影した時点では、それがこの先、どんな形に使われるか、必ずしも決まっているわけではありません。複製かもしれない。図録の図版に掲載されるかもしれない。その一方で、どの画像も絵はがきやクリアファイル、レターセットや扇子など、さまざまな便利堂の商品のモチーフになる可能性もあります。だから僕らの撮った写真はどんな形にもなる、便利堂のタネなんです。撮影したものが商品になって、皆さんに暮らしの中で使ってもらえるってやっぱりうれしいですね。誰かのかばんの中に入っていたり、家へ連れて帰ってもらうことを想像すると、この会社にいてよかったなぁと思います。だからこそ、〈アートのある暮らし〉のページでは、こんな風に日常を彩る商品がありますよっていうことを伝えたいんですよね。

「小さな点を打つように」教わった撮影技術

―――なるほど、だからタネなんですね。山内さんがカメラに触ったのは便利堂へ入ってからですか?
 そうですね。僕は写真工房がどんなことをやっているのかを知らないまま入社しました。工房では文化財撮影の技術を次の世代へ伝えていくために、まっさらの人間を求めていたんです。だから何も知らない自分はきっと都合がよかったんでしょうね。撮影技師を育てるために大切なのは「原本に忠実に」ということ。先輩からは一つずつ小さな点を打つみたいに、それをじっくり教わりました。

便利堂写真工房

―――厳しかったと聞いています。
 自然と身につく技術については先輩から言葉で説明されたことはほぼありません。反対に、ものに対する姿勢やとらえ方、何が便利堂の写真の正解かについては何度も教えてもらいました。あれしろ、これしろ、遅い、へたくそ、雑やと言われながらとにかく言われたことを言われた通りにする。正直、働いて飯を食うってこんなに大変なんやとつくづく思いました。でもね、何かの技術を身につけるためには、あの時の自分のように、ただひたすらそれだけに時間を費やす必要があるんだと思います。なぜこの作業が必要か、なぜ作業スピードを上げないといけないのか、丁寧にする理由は何か、やっているうちに全部がだんだんわかっていく。写真のシャッターを切るなんて、5年はさせてもらえなかったです。まっさらだった自分が徐々に写真の仕組みを理解し、頭と腕を鍛えていくための時間でした。

経験と下積みが生む真剣勝負

―――時間の経過とともに小さな点が少しずつ、つながっていくんですね。
 先輩からは1枚ごとの真剣勝負を見せてもらっていたんだと思います。一緒に行った現場で撮られた写真を見ても、当時の僕にはいつかこんなものを撮れるようになるなんてとても思えませんでした。貢献できているとはまで思えないまま、それでも朝から晩まで毎日毎日そればっかりやってると、次第に言われなくても動けるようになっていきました。ちょっと照明の電気コードをさばいておこう、三脚を用意しておいた方がよさそうやなとかね。そうやって仕事を覚えていきました。

―――やがてそんな日々の積み重ねが生きる時がやってきます。
 写真工房の先輩たちは日本写真史に残る大きな仕事をいくつも成し遂げてきました。でも、きっとみんな最初は僕と一緒だったと思うんです。ただカメラが好きというだけで文化財は撮れません。シャッターを切るのは一瞬の勝負です。どんな環境であれ、その一発勝負で確実に答えを出すには、そこにいたるまでの下積みと経験がないとできないんですよ。苦しかったけど実感としてそれがよくわかりました。

出番が少なくなったアナログカメラ。今もその撮影技術は健在。

―――技術が身についてからはいかがでしたか。
 写真が撮れるようになったらなったで今度は緊張の連続でした。今でも充実感とともに常に緊張が付きまといます。便利堂の写真は一見すると普通の写真ですが、撮ろうとするとそう簡単には撮れません。普通が一番難しい。知識が浅いうちは国宝、文化財と聞くと身構えていましたが、それは平たくいえば時間をかけて大勢の人が大切にしてこられたものだということです。その思いに失礼のないようにしたい。どんな時も行き届いた丁寧な仕事をしないとだめだと思っています。

撮影は後世へ伝えるための術

―――写真工房の長い歴史のなかで、技術と一緒にそうした思いも受け継がれてきたんですね。
 便利堂の写真工房は、現存する文化財撮影に特化した工房としては最も古いものの一つです。一世紀以上に渡る歴史の中で、《當麻曼荼羅》の原寸大撮影、大英博物館《女史箴図巻》撮影、《高松塚古墳壁画》の撮影など、日本中の注目を集めるような撮影を何度も手掛けてきました。

《當麻曼荼羅》原寸大分割撮影(昭和14 年)
《女史箴図巻》原寸大及びカラー撮影(昭和41 年)

そうした中でも、やはり《法隆寺金堂壁画》の原寸大撮影は、国家事業として空前絶後の大仕事だったと思います。この『時を超えた伝統の技』の表紙に掲載しているのが、その原寸大分割撮影の様子です。

『時を超えた伝統の技』 ¥990
法隆寺金堂壁画原寸大複製をはじめとするコロタイプ による文化財複製とその職人技について紹介

法隆寺金堂壁画の原寸大撮影

―――法隆寺金堂壁画は、昭和24年(1949)に惜しくも焼損しました。
 写真工房では、それ以前の昭和10(1935)に、当時の文部省の依頼で壁画を原寸大分割撮影していました。現在、法隆寺の金堂において私たちが目にすることができる壁画は、この乾板を使って刷られたコロタイプを下地として昭和42年(1967)に再現模写されたものです。

―――この原寸大をはじめとする一連の撮影原板は、焼損前の姿をうかがい知ることができる「唯一無二」の貴重な文化的資料として、先年、重要文化財に指定されました。
 現存する写真スタジオでは初めてのことです。この原寸大分割撮影は、全紙サイズという、約56×46センチの大きなガラス乾板フィルムをイギリスから輸入して行われました。まだ日本のフィルムでは品質に不安があったからです。50ダースを注文したのですが、間違いではないか、とイギリスから照会がきたという逸話が残っています。

―――確かに、そんな大きなフィルムを大量に発注とは、前代未聞に違いないですよね。
 そうです、世界的に見ても類例のない、写真文化史に残る極めて重要な撮影事例です。大規模な「原寸大分割撮影」が特殊であるのはもちろんですが、同時に当時のカラー撮影である「4色分解撮影」と「赤外線撮影」も行っています。これが文化財撮影として、当時考えられうることを全てやっていて、とても評価が高いんです。

―――4色分解撮影とはなんですか?
 当時は現在のようなカラー撮影はまだ普及しておらず、ガラス乾板ももちろんモノクロです。このモノクロ乾板4枚に、それぞれ違う色フィルターをかけて撮影し、色情報を記録することを4色分解撮影と言います。文字通り「色」を4枚のモノクロ原板に「分解」するのです。ですので、これをカラー写真にするには、印刷で図版として4色を「合体」させる必要がありました。

―――難しくてピンときませんが、これを撮影したおかげで壁画のカラー情報が記録できたことは理解できます。
 当時の色が確認できる貴重な原板です。でも、この4色分解撮影は当初予定になく、「たまたま」だったのです。

―――どういうことでしょう?
 この原寸大分割撮影は2ヶ月半もの時間がかかったのですが、その終盤、当時便利堂四代目社長であった中村竹四郎が現場を視察に訪れました。その時、全紙のガラス乾板が少し余っていることを知り、急遽壁画全図の4色分解撮影を命じたのです。

―――いろんな偶然が重なっています。
 しかし、そんな大きなフィルムで撮影しても使い道がないので、社内でも反対意見が多かったようです。実際、撮影後にお寺に報告したところ、予定にないことをしてと、ずいぶんお叱りを受けたそうです。

―――でも、焼損した今となっては、この撮影は大英断に思えます。かけがえのない記録となりました。
 もちろん結果論ではあるのですが、これもやはり一つの「便利堂のタネ」なのだと思います。撮影したものがどのように役に立っていくかは想定しきれない部分があります。けれども、撮影して記録しない限り、何も生まれません。後世、どのように使われる場面が訪れても、さすが便利堂の写真はしっかり撮れてる、そう言っていただけるように日々取り組んでいきたいと思っています。

高精細デジタル化プロジェクト

―――この貴重な壁画の原板も撮影からすでに80年以上が経過しています。
 劣化は避けようもありません。また、扱いも難しいため長らく蔵にしまわれたままでした。そこで2019年に文化庁と法隆寺を中心にスタートしたのが「高精細デジタル化プロジェクト」です。原板のうち法隆寺が所有する原寸大分割撮影原板363枚をデジタルアーカイブ化し、画像の保存並びにその利活用をしようというものです。便利堂は、これに対応できる超高精細スキャナーをすでに開発してありました。

大型ガラス乾板専用高精細スキャナー
壁画原板の作業を想定し、全紙サイズのガラス乾板に対応できるスキャナーを2016年に京都大学と共同で開発

―――先輩たちが撮影した原板から、「失われた文化財」が現代の技師の手によってよみがえり、未来へと手渡される…。すごいプロジェクトです。
 2年に及ぶプロジェクトですが、スキャニング作業だけで約3か月かかりました。非常に繊細な機械ですので、ごくわずかな振動も感知します。集中力を途切れさせるわけにはいかず、チームで何度も確認を繰り返し、慎重に進める必要がありました。しかも高解像度でスキャニングするために、1回で読み取れる横幅が、わずか12センチ。原板1枚あたり、5本の短冊状のデータができ、これを一つずつつなぎ合わせて、ようやく1枚の画像データになります。これには苦労しましたね。

―――363枚ものガラス原版を1枚1枚ですか…。言葉がありません。
 関わってみて、このスキャニング事業の向こうには大きな何かがあるなと思いました。壁画は焼損しているので実際には確かめようもありませんが、僕らがデータ化したことで、描かれた当時の絵の描写や濃淡、色の重なり具合などをうかがい知ることができます。壁には何の植物の繊維があり、どんな幅や長さの素材が使われているかなど、専門の研究者が見れば新しい発見に近づけるかもしれません。僕らがやっているのは、失われた貴重な情報を専門家や研究者にパスすることでもあるんです。そのためには情報がクリアでないと意味がありません。あるものはあるように、ないものはないままで、過去から現在、未来へとパスする。携わった人間としてはそういう気持ちでいます。

―――大きな意味がありますね。
 撮影した時代は古いですが、僕らはそれを新しい見せ方でたくさんの人へ届けることができます。情報がはっきり見えると、見る側も受け取り方がまったく違う。データ化すると見たい場所にズームできるので、着物や建物、植物など、見えないとあきらめていたものを詳細に見ることができる。きっとさまざまな文化の研究に役立てられるでしょう。そういえば、金堂壁画の写真の1枚には虫が止まっていました。等倍で撮影されているので体長何センチかまでわかります。こんな風にテクノロジーの力は撮影者が意図してないところまで僕らに見せてくれるんです。面白いですよね。

―――2023年夏から東京国立博物館では、「デジタル法隆寺宝物館」と題して、このプロジェクトで作成した画像データを活用した〈法隆寺金堂壁画 写真ガラス原板デジタルビューア〉が展観されます。堂内を再現して配置したグラフィックパネルとともに、焼損前の金堂壁画の姿が70インチの大型8Kモニターに映し出されます。
 このデジタルビューアは2020年にオンライン上で公開され、PCやタブレット、スマートフォンで閲覧可能です。でも、会場で法隆寺の世界に浸ったうえで見ると、よりいっそう、そこに込められた思いが伝わってくるのではないでしょうか。

東京国立博物館「デジタル法隆寺宝物館」
2023年8月1日〜2024年1月28日

―――先輩たちの地道な取り組みの積み重ねは、こんな風に未来へつながるんですね。
 僕は文化財撮影もスキャニングも、広い意味では、今はまだここにいない次の世代のために担うものだと思っています。僕の孫やひ孫、その先の世代も僕らの画像を使って学ぶかもしれません。その想像は僕にとってすごくわくわくする、明日へのモチベーションです。僕たちの仕事が誰かの学びや研究の手助けになって、未来を生きる人たちへ今よりもっと豊かな世界を手渡
すことにつながるならうれしいですね。

ものにまつわる人の気持ちを大切に

―――文化財撮影、ガラス乾板スキャニング事業など、写真工房のお仕事がよくわかりました。
 便利堂っていろんなことをやってるんやなあって思っていただけたらうれしいですね。もしかするとお堅い会社だと思っている方も多いかもしれませんが、決してお堅くはないんです。でも、ものづくりに手を抜けない会社なんですよね。

―――たしかにそうですね。
 手に取ってくださる方にちゃんとしたものを手渡したいから、まあどの部署も手は抜きません。とにかく本気。商品企画もコロタイプ工房も、生産管理部門も物流管理部門も、どこか一か所ではなくみんなが本気でいいものを作ろうとしているので、もちろん僕らも本気を出さないと。あらためて、一つのものづくりをするのに、こうしてほとんどを社内でまかなえるというのはすごくいいことだなと思います。もしこれが、カメラマンは外へ頼む、企画や編集は外部でとなったらやっぱりちぐはぐになっていくのと違うかな。

―――社内のみんな、信頼関係がありますよね。
 うちの生産管理が仕上がりを確認しているから大丈夫。資材が選んだ紙なら間違いない。写真工房のこともそんな風に信頼してもらっているのを感じます。僕らはどんなものにも使える確かな写真を撮ってその信頼に応えていくだけ。店内を見回してもらえば、そこには僕らが撮った文化財がモチーフになった商品がいくつも並んでいます。それは少しでもいいものをお客さまへ手渡したいという、社員の思いから生まれたものばかりです。ひとつのチームでこだわりぬいて取り組むものづくりの形に触れてもらって、お客さまお一人お一人にうちの会社のファンになっていただきたいですね。

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