見出し画像

冬に咲くヒマワリ

不定期マガジン「歩いて紡ぐ、日々・ことば」では、何気ない日常のなかでみつけた"忘れたくないもの"を切り取り、書き記していきます。

2023.11.24(金)

AM6:00。
今日は幼稚園に通う子供たちのお弁当日だ。
2人の子ども達と夫、3人分のお弁当をつくるため、いつもより早めに布団を抜け出す。

子ども達にはもう少し寝ていてほしいから、極力物音をたてぬようスローモーションで起き上がる。まるで忍者の所業だな、と心の中で思った瞬間、笑いそうになった。

リビングにおりて、雨戸をあける。まだ暗い空を見上げて深呼吸したところで、1人。
暖房を付けたところでもう1人と、続々起きる子ども達。
かれこれ6年目になるわたしの忍者修行は、ちっとも足りていないようだ。



AM6:15
やっとお弁当づくりに取り掛かる。
毎日習慣にしているラジオを聴きながら卵を混ぜていたとき、お姉ちゃんと遊んでいたはずの息子が、突然「おかあさん、ごめんなさい」と言った。

「どうして謝ってるの?」と聞くと、口をへの字に曲げたまま「ごめんなさい」と、もう一度。

手を止め、そばに寄る。
「どうしたの?」と聞くと、
「あたらしいお弁当袋、欲しいって言ってごめんなさい。僕、本当はお母さんがつくってくれたプラレールのをずっと使いたかったけど、汚れちゃって……」

あぁ、そのことか。これには背景があるのだ。

---------

遡ること2年前。息子が幼稚園に入園するとき、私は色々と手作りで通園グッズをつくった。
お弁当袋の布地は、息子が大好きだったプラレール。お店に行って、一緒に選んだお気に入りの柄だ。

そんなお弁当袋を、今年の秋に家族で行ったキャンプにも持っていったとき、わたしの不注意で、バーナーの火で焦がしてしまったのだ。

「これくらい大丈夫大丈夫」と言って使い続けていたが、数日前「あたらしいのほしい」と息子に言われ、そのための布地を一緒に買いにいき、
「週末に新しいの作るね」と約束したところだったのだ。


ごめんと言われるなんて、思っていなかった。
むしろ、焦がしたのはわたしの不注意だ。わたしが謝るべきだ。
「お母さんこそ、焦がしてしまってごめんね。ここにアップリケをつけたら、かわいくなりそうだよ。新しいのもつくるけど、アップリケつけて古いのも使えるよ。どう?」
と言うと、息子の顔はヒマワリが咲いたように笑顔になった。

「それ最高!ありがとう!」
そういって、また元気にお姉ちゃんとの遊びに戻っていった。

いつか、手作りのお弁当袋なんていらない、と思われるかもしれない。
そもそも、お弁当なんていらない、とか言われるのかもしれない。

それでも、今4歳の彼のなかにある優しさや葛藤を見せてくれたことを、忘れずにいたい。

そして、「新しいのが欲しい」と言われた時、無意識にわたしは悲しげな顔をしていたのかもしれない。そんなところも少し反省した。

子ども達はこうやって、暮らしのなかで沢山の気づきをくれる。
それは、わたしにとってかけがえのない宝物なのだ。

かけがえのない宝物、なんて屈託ない言葉を使うのは通常恥ずかしいけれど、それ以外にしっくりする言葉が見つからない。
わたしの暮らしは、かけがえのない宝物に満ちている。

突然やってくる宝物の欠片を、見逃さずにきちんと感じることができるように。
そしてそのことを忘れたくない一心で書き残すこのnoteは、誰のためでもない、わたしのための日記である。

この記事が参加している募集

この記事が気に入ったらサポートをしてみませんか?