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早良親王(祟道天皇)

750?-785年[皇太子在位 781-785年]
父:第49代 光仁天皇
母:高野 新笠(和 乙継の娘)
兄:第50代 桓武天皇
弟:他戸親王

早良親王は第50代 桓武天皇の弟。781年に皇太子となったが、長岡京造営の際、藤原種継暗殺に連座したという疑いを受け幽閉された。淡路国に配流の途中49歳で薨去。後に『御霊』という考えのもととなった。

❶幽閉場所

乙訓寺(京都府長岡京市今里)
早良親王は長岡京のそばの乙訓寺に幽閉され、無実を訴えて絶食したと伝わる。

乙訓寺

811年 第52代 嵯峨天皇により別当に空海が任じられ、乙訓寺に逗留した。

❷薨去の場所

高瀬神社(大阪府守口市馬場町)
淡路島に配流される途中、この辺りで亡くなった。

高瀬神社

❸崇道天皇 八嶋陵

(奈良市八島町)
早良親王のなきがらは配流先の淡路島に埋葬された。しかし桓武天皇と早良親王の母・高野新笠や、桓武天皇の妃である藤原乙牟漏・藤原旅子らが相次いで亡くなり、都に疫病が流行し、洪水が起きるなどしたため、桓武天皇は遺骨を805年八島陵に移葬して、崇道天皇と追諡した。

崇道天皇 八嶋陵

❹祟道神社

(京都市左京区上高野西明寺山)
早良親王を祭神として祀る。

祟道神社(上高野)

小野妹子・小野毛人ゆかりの神社でもある。

❺上御霊神社(御靈神社)

(京都市上京区上御霊前通烏丸東入上御霊竪町)
崇道天皇 井上大皇后 他戸親王 藤原大夫人 橘大夫 文大夫 火雷神 吉備大臣の8座を祀る。

上御霊神社(御靈神社)

『応仁の乱勃発地』の碑が建つ。

❻下御霊神社

(京都市中京区寺町通丸太町下る下御霊前町)
御霊会の後、吉備聖霊 崇道天皇 伊豫親王 藤原大夫人 藤大夫 橘大夫 文大夫 火雷天神の8座を祀る。

下御霊神社

豊臣秀吉の区画整理によって寺町通に遷座された。

❼御霊会が催された神泉苑

(京都市中京区御池通神泉苑町東入ル門前町)
863年 第56代 清和天皇の勅命で疫病封じ等のため、早良親王はじめ冤罪を被ったり非業の死を遂げた人々をお祀りして『御霊会』が催された。

神泉苑

【関連の史跡】

❶御霊神社

(奈良市薬師堂町)
800年、第50代 桓武天皇の命で創建。

御霊神社(奈良市)

❷祟道天皇社

(奈良市西紀寺町)
806年平城天皇の命で創建。諸国の国分寺に春と秋に7日間、読経を命じ、お彼岸の原型となった。

祟道天皇社

❸天王の森

(兵庫県淡路市仁井)
高瀬で亡くなった後、配流先だった淡路に埋葬された。

❹藤森神社

(京都市伏見区深草鳥居崎町)
西殿に早良親王、伊豫親王、井上内親王を祀る。早良親王が皇太子の時、蝦夷で反乱が起こったため征討将軍として神功皇后の由来がある藤森神社で戦勝祈願し、これを聞いた蝦夷軍は戦うことなく平定されたと伝わる。

❺御霊神社

(神奈川県藤沢市宮前)
坂東平氏の祖 平良文が、平将門の討伐祈願のために御霊神社より勧請した。その後、鎌倉を中心に御霊神社が分祀された。


『京都遠足』(P21)
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