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AIにとって変わられるという妄信


臨床実習で医師と将来のキャリア選択について話し合う際、最終的な議論はおおよそAIによる代替の有無と少子化問題に帰結される。
そこまでキャリア選択に、具体においてこの2論点が着目されるのはなぜか。
疑問を抱かずにはいられなかったので、少し考察してみた。
少子化問題に関しても言及したい話題は多いのだが、今回は「AIにとって変わられるのか」にフォーカスを当てる。


皆さんはどう思われるだろうか?
AIによって雇用機会は奪われるのだろうか。

なぜ現在、これほど雇用機会の減少への不安がこれまでかつてないほど高まっているのだろうか。
それは、「機械ではなく人間にしかできない」と半分思い込み、半分そうであって欲しいと願っていた領域まで機械による自動化が進んだからである。
つまり、高度な認知力を必要としない仕事が機械にとって変わられる中で、人間が優位性を保ってきた領域を侵されつつあるからである。
これまで大きく分けて3つの自動化のフェーズがあると考えた。
1. 19世紀の産業革命
危険で汚い仕事が機械に移行し、人間は辛い肉体労働から解放された時代
2. 20世紀のPCの発明
退屈な仕事が機械に移行し、ルーチンワークから解放された時代
3. 21世紀のAIの進歩
意思決定が機械に移行し、人間よりも速く確実により優れた選択を下す時代

かつて、傲慢な人間は思った。
めんどくさい仕事、やりたくない仕事。
そんなものなくなって、然るべきだ。
人間は賢い。自動化されようが、賢い我々には関係ない。
馬鹿な機械にはできず、賢い人間にしかできない仕事をやればいい。
そしてそんな仕事、つまり官僚、士業、コンサル業、商社などはかっこよくてスマートだ。

そして今、傲慢な人間は気づいた。
AIが賢くなってきている。やばい、今回は関係あるぞ。どうしよう。。

ざっと、こんなイメージだろう。

さて、本題に戻ろう。
結局、AIによって雇用機会は奪われるのだろうか。
HBRを片手にぼーっと考えていたら最終的にこの結論に至った。
答えは、「マインドの持ちようにより増えさえする」

確かに、予見可能なごく近い将来に、今ある仕事の多くは自動化されるだろう。
ただし、逆に言えば、自動化されるだけである。

この現状を違う枠組みで考えてみたらどうだろうか。
「現在している仕事のうち、近い将来にAIで速く安くできるようになるものは何か」を問うのではなく、
「もっと優れた思考機械が人間をサポートするようになったら、人間はどんな偉業を達成することが出来るのだろうか」を問う。
つまり、機械の取り分がどんどん増えていくゼロサムゲームとして
仕事を見るのではなく、雇用の新たな可能性を見出せないだろうか考える。
自動化の脅威に光を当てるのではなく、
自動化による機会の拡張に目を向ける。

これまでの効率性を重視した自動化戦略では、
既存のフローに機械を導入し、人間の作業を徹底的に減らすことに専念する。つまり、引き算の考え方である。
このような戦略下では、枠組みが既存を逸脱することはなく、
ゼロサムゲームとして仕事が捉えられ、雇用機会が減少すると考えられる。
そしてこれが今日、侃侃諤諤とAIについて議論される上での前提となっている。

ただし、上記のようなマインドを持ったらどうだろうか。
この考え方では、現行の人間による作業を基準とし、機械処理の拡大によっていかに人間の作業を深めることが出来るかを考えている。
作業の深みが増す。当然に雇用は今より増えるのではないか。

長々と書いてしまったが、まとめるとすると、
結局のところマインドセットで雇用機会は増えも減りもするということだ。
自分自身の現状と、自動化による機会の拡張が起こる将来を見据え、自分だけの専門性を持つ。
こうあり続ければ、雇用機会がAIに奪われることはないのではなかろうか。

専門性といっても、学問だけではない。
趣味も遊びも突き詰めて専門性を極める、自分にしかない体験を持つ。
具体で言うと、我々kyoto chillのメンバーは元来旅行好きの集合体であるが、これも突き詰めているからこそ趣味レベルから逸脱しつつある。
この趣味を通してメンバー全体で得られた知見、体験は、より一層の専門性をもち、今後更なる深みを増していくに違いない。

最後に、AIで仕事がなくなると騒いでいる皆様へ


遊びも全て真剣に全力で!
自分だけにしかない経験を積み上げていきましょう!!


𝑲𝒀𝑶𝑻𝑶 𝑪𝑯𝑰𝑳𝑳™️(東大生 • 医大生) Chief Director

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