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ブロマンスに見る、だんだん境界があいまいになっていく関係性

Reading the Bromance:
Homosocial Relationships in Film and Television

「ブロマンスを読む:映画やテレビに見るホモソーシャルな関係」
Edited by Michael DeAngelis
June 2014 (Wayne State University Press)

卵焼きは甘い派?甘くない派?

まだ20代だった若いころ、会社でランチを食べる場所があって、だいたい決まった何人かがそこでランチを食べていた。ランチでは、よくこういうことが話題になっていた。

ちなみに私は甘い卵焼きが好きだが、甘くない卵焼きもそれなりに好き。どちらかと言われれば、甘い派かなぁってかんじ。

でも、「ぜったいに甘くない派!」というAさんが、「甘い卵焼きなんてムリ~」「甘すぎて震えがくる」というのは、イヤだった。

自分の「好き」を主張するのに、「好きじゃないほう」をおとしめるのは、ちがうと思う。「好き」を持ち上げればいいだけじゃないのかなぁ? なんで「じゃないほう」を落とさないといけないの?

ということを、当時の私は考えつかなかったので、なんだかイヤな気持ちを抱えたままモヤモヤしていた。若いころ言語化できなかった感情を、年を重ねるとうまく言葉にできるようになってくるのは、年をとってよかったなと思うことのひとつだ。

でもまあ、「甘い派」か「甘くない派」か、なんて、しょせんは嗜好の問題だからね。そんなにムキになることでもない。

昔、まだLGBTQなんて言葉もなかったころ、たまたまつけたテレビの人生相談みたいなコーナーで、「親に自分が同性愛者であることをカミングアウトすべきか」ということが話題になっていて、そのときにあるタレントが、「自分が同性が好きか異性が好きかってことは、コーヒーが好きか紅茶が好きかってことといっしょのことであって、わざわざ覚悟を決めて親に言うことでもない。」って言ってて、なんだか衝撃だった。同性が好きか異性が好きかということと、コーヒーが好きか紅茶が好きかってことは、全然いっしょじゃない。同性愛者か異性愛者かということは、この世界ではけっこう人生を左右する大問題だと思ったし、それに比べたらコーヒー紅茶なんて、たかが嗜好の問題じゃないか。


でも、その好き嫌いは「理性ではどうにもならない」という点では、たしかにいっしょだとも言える。

今は、「性的指向」というらしいが、その当時は「性的嗜好」という言葉しかなかったのではないか。「嗜好」の問題ならいっしょでしょ、とそのタレントは言いたかったのかもしれない。

ちなみに「性的指向」は、「どのようなジェンダーの者に性的な要求や恋愛感情が向くかという方向性」のことをいうそうだ。同性愛者なのか異性愛者なのか両性愛者なのか、とかそういうことだ。一方、「性的嗜好」は、「さまざまな性の好み」を意味する。これはたぶん、SMとかフェティッシュとかのことだと思う。

そのタレントがどういうつもりで言ったのか、真意はよくわからないが、私は、「なにが好きか嫌いかなんてその人の勝手で、他人がとやかく言うことじゃない。本来、同性が好きか異性が好きかなんてことも、コーヒーが好きか紅茶が好きかという程度の問題でしかない。いや、将来的に、その程度の問題にならなきゃいけない」という意味だととらえて、ガーンとなったのだ。

性的マイノリティにたいして、考えをあらためなくてはいけない、と思ったのは、そのときだ。

で、今回紹介する本である。これは、Bromance =ブロマンスについての本だ。この言葉を初めてみたのがこの本の紹介文ではなかったかと思う。

BromanceはBrotherとRomanceをかけ合わせた言葉で、「2人もしくはそれ以上の人数の男性同士の近しい関係のこと。性的な関わりはないものの、ホモソーシャルな親密さの一種」(ウィキペディアより)という意味だ。「性的な関わりがない」というのが大事なところで、そこがGay=ゲイとは一線を画す。ホモソーシャルも、女性や同性愛者を排除した、男性同士の親密な関係のことだから、ほぼ同じような意味だろう。

でもまあ、ホモソーシャルとはちがうニュアンスが、Bromanceの、とくにRomanceの部分に感じられる。ゲイではないけど、あやういくらいに親密な関係といったところか。

じっさい本書では、ブロマンスが「ストレート」の男性による行動以上のものととらえられることが多い、と言っている。このわかりにくい「ブロマンス」の定義を、さまざまな映画やテレビ番組から考察していこうというのが、この本の趣旨のようだ。

この本によると、ブロマンスという言葉は、2000年代に生まれた言葉であるらしい。取りあげられる作品は、「40男のバージンロード」(2009年)「スーパーバッド 童貞ウォーズ」(2007年)「チャックとラリー おかしな偽装結婚!?」(2007年)など。

LGBTQにしても、最初はLGBTだったのが、クィア(Queer)もしくはクエスチョニング(Questioning)を表すQが加わり、間性(Intersex)、アセクシャル(Asexual)もふくめてLGBTQIA+(エルジービーティーキューアイエイプラス)などと、どんどん長くなっている。去年だったか、新刊カタログをみていたら、Pansexual パンセクシュアル、という言葉を見つけて、調べてみたら「男性・女性・どちらの性にも分類されない人、あらゆるすべての人たちに隔たりなく恋をするセクシュアリティのこと」とのこと。

セクシュアリティーについての分類が、どんどん細分化されているが、ブロマンスのように、境界線があいまいな概念もある。

こうして見てみると、セクシュアリティーはそれだけ多様で豊かな世界だったわけだ。いままで「異性愛」と「それ以外」に分けていたのが、いかに粗雑で野蛮な分類だったことか。

その多様な世界は、とうぜん尊重されるべきだと思うが、と同時に、それがいつの日か、食べものの嗜好のように気軽に話せるようになればいいと願う。


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