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ジェンダー論権威の暴走がうんだ悲劇

Fuckology:
Critical Essays on John Money's Diagnostic Concepts

「ジョン・マネーの医学的概念に対する批評論文集」
by Lisa Downing, Iain Morland, and Nikki Sullivan
December 2014 (The University of Chicago Press)

ジョン・マネー、という名を聞いてピンとくる人は、ジェンダー研究を多少なりともかじったことのある人だろう。

マネーは、アメリカの著名な性科学者。「セックス」という生物学的性別とは別の「ジェンダー」という「社会的文化的性別」という概念をはじめて提唱したことで有名だ。おりしも1960年代は、ウーマン・リブ、すなわち女性解放運動がアメリカでさかんだった時期と重なる。フェミニストたちはこのジェンダーという概念に飛びついた。マネーは一躍、フェミニストの教祖のように扱われることになる。

マネーは、Intersex、日本語でいうところの「半陰陽」の研究から、「半陰陽の子どもの性自認(ジェンダー・アイデンティティー)を決定づけるのは、生物学的なものではなく、どう育てられたかだ」という結論を導きだす。

半陰陽の子どもであっても性自認は最終的には本人の意思であり、どう育てられたかという外的要因のみでは決定できないと思うが、まあそこまではなんとか理解できる。問題は、この理論はすべての子どもに当てはまる、と言い出したことで、そこからマネーの暴走は始まる。マネーの理論は、当時の精神医学会から絶賛される。今の感覚でいうと、あきらかにおかしいと思うのだが、当時の風潮では「あり」だったのか、それともすでにマネーが力を持っていて、だれも反論できなかったのか。

ところがそこに、ある若き研究者がはっきりとその理論を否定する論文をだした。そして、マネーの理論を裏づけるような症例は一つもない、と、マネーの痛いところをついたのだ。

マネーの理論に異議を唱える論文がでてからしばらくして、手術の過失で男性器を損傷した子供の親が、マネーに相談を持ちかけてきた。マネーは、「生まれもった性とは別の性にすることができる」とうけおい、男児に性転換手術をほどこす。この男児は「ブレンダ」と名づけられ、女の子として育てられることになる。

マネーは、これを「環境で性別が決まる」決定的な証拠として、あちこちの講演で話し、著書にも書いた。このブレンダの事例の発表は、性科学やジェンダー研究はもとより、より広い分野にも大きなインパクトを与えた。

ところが、それから20年以上もたった1997年、マネーの理論を否定した先述の若き科学者が、「ブレンダ」の消息を追い、「ブレンダ」が男性に戻っていたことをつきとめて発表したのだ。マネーは、ブレンダが女の子らしく成長していると言っていたが、じつはそれは真っ赤なウソで、ブレンダはずっと「なんだかしっくりこない」「なにかがまちがっている」という違和感を感じ続けていたというのだ。

ずっと女の子になれないブレンダに、両親が衝撃の真実を告げたのが14歳のとき。ブレンダはそこから「デイビット」と名前を変えて、男性として生きることにしたのだ。

このブレンダについては、ジョン・コラピントというライターが『ブレンダと呼ばれた少年』という本を2000年に著している(日本語版 扶桑社 2005年)。まちがった性自認を押しつけられたブレンダの苦悩はいかばかりだったろう。彼は結局は男性としての自分を取り戻し、女性と結婚もするのだが―なんということだろう―38歳のときに自殺してしまっている。

性科学の黎明期の悲劇、といってしまうには、あまりに残酷な話だ。

本書は、マネーの論文や実験を詳細にたどり、“hermaphroditism,” (雌雄同体)、“transsexualism,”(トランスセクシュアリズム)、 “paraphilia,”(性倒錯症)という3つの医学的概念について、彼の考えを探っている。

本書によって、ジェンダー研究や性科学においてマネーの業績の功罪が正しく理解され、今後の研究に活かされることを願ってやまない。


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