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「意志/興味をもてない」という生きづらさ -映画「正欲」をピボットしてみる

「趣味がない」
「他人に興味がない」
「結婚しようと思えない」
「仕事に手をつけようと思えない」
「予算を達成しようと思えない」
「やりたいことがない」

意志も興味も「自分の内から湧き上がるもの」であり、その反対にあるのが義務・マナー・指示・依頼といった「自分の外から降ってくるもの」だと思います。

これまで僕は「意志がないなんて/興味をもてないなんて”つまらない人だな”」と思ってしまう人間でした。裏を返せば、自分は何事にも意志があり、持論があり、ある程度なんでも興味をもてると思っていました。

なんなら、初めて会った女性が「趣味は寝ること」「趣味は美味しいものを食べること」と答えたら、この人は空っぽな人だな、と思ってしまうような節がありました。正直、少し見下していたと思います。

ところが、大学生から社会人にかけて色々な人に出会っていくと、そのような人は本当に多いなという実感をもち、同時に「それって悪いことなのか?」と考えるようになりました。

今日は自分の備忘録的に、そんな問いに向き合ってきた自分の思考と、実は自分自身も「意志/興味をもてない」人間であるという現実を文章にしてみようと思います。

1.「趣味は何?」という質問の難しさ

社会人になり自己紹介をする機会が増えるにつれ、「自分をどんな人間として語るか?」について考えることが増えました。
就活では、大学・ゼミ・バイト・インターンなどの「所属」とそこに紐づく自分の活動を語っていれば面接として成り立ちました。
一方で、会社に入ってからの自己紹介では、そんな堅苦しいことよりは「趣味」「休日何しているか」「何が好きなのか」といった、より平たい人となりを語ることが求められていた気がします。

これが意外に難しい,,,

自分はいつも何かにある程度打ち込んだり没頭していたりしたけれど、実際の時間の使い方は「友だちと飲む」「インターンで仕事をする」「授業を受ける」「バスケをする」「読書をする」くらいのもので、”自己紹介映え”するような趣味は意外とないことに気づいたのです。

一つ気づきとして得たのは、人が趣味として語りやすいものは、多くが「外出を伴う」ものだということです。
キャンプ・スノボ・釣り・服を買う・カフェ巡り,,,

おそらく、「休日は何しているの?」という質問と「趣味は?」という質問が近く感じる理由はここにあり、その奥には「プライベートな時間でこの人とさらに近づく余地はあるのか?」を探り「え、一緒!今度~~行こうよ!」という展開になればオチがつき都合がよい、という事情もあるのかなと邪推します。

一方、外出を伴わない趣味として「映画鑑賞」「読書」などが頻出です。もちろんこれも素敵な趣味ですが、一個人の感覚としては”インドアな話だけをしても繋がらないよな,,,”という感覚もあります。(みなさんはどうですか?)

ちなみに、このように「外出を伴う過ごし方」としての「趣味は何?」という質問はハードルが高いので、純粋に「あなたの好きなものは?興味のあることは?」を自然と引き出す質問として「YouTube何見ている?」をよく訊いています。
これもかなり実験してみて、一定の成果と限界を感じてきているのですが、今回は深掘りません。(別で書いてみようかな)

かなり脱線しましたが、自分自身も「趣味は何?」と聞かれた時の回答に詰まった経験から、「意志/興味をもつことって案外難しいのかも」と認識するようになりました。

2.本当の意味で他人を気遣えない

僕は某業界の営業職の2年目ですが、この職種、この年次では「気が利くこと」「配慮があること」「視野が広いこと」「他人のために身を粉にすること」が特に求められます。

これがいつまでたってもできない,,,

先輩たちに指摘されながら少しずつできるようになっているのかもしれませんが、根本的に他人思いで気の利く人間には近づけている気がしません。
それが自然とできる人がうらやましいし、なんで自分はこんなに自己中心的な人間なんだろうと恨みます。

ここまでわかっているなら、少しずつ自分を律して、変えていけばいい。
そう思うし言われてきて、頑張ろうとしてみたのですが、どこか頑張れない自分がいる。。
朝起きるのがつらいし、起きても動き出すのがつらいし、友だちとの待ち合わせ時間に向けて準備するのが心の底から辛いと思ってしまいます(その予定自体は楽しみなのに)。

ここまでくると、自分は「まわりの人を軽視している」「自分が何より大事なんだ」「相手のために動こうと思えないんだ」と考えざるをえません。

ここに「意志をもてない」という事象を自覚して、先が塞がれたような気がしました。そんな自分を認めたくないという気持ちと、そんな自分のままで逃げたい許してほしいという気持ちが平気な顔をして共存してしまっているのが恐ろしい。

まとめ

先日、朝井リョウさん原作小説を映画化した「正欲」を見てきました。
うわべな表現になってしまいますが、「”水”に性的興奮を覚える人たちのいきづらさ」を描いた作品です。

「水に興味をもっている」ことの方が一見深刻に聞こえてしまいますが、
「何事にも興味をもてない」「他人のために動く意志をもてない」こともなかなか重大かもしれません。
両者は生きづらさの種類違いで、三親等くらいの親戚で、
そして、どちらもそれ自体悪いことだとは思えない、思いたくない。

自分自身の話も混ぜたので自慰的になってしまってたら恐縮ですが、
一旦はこのへんで仮止めして、また思考が広がる、深まるのを待ちたいと思います。

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