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フランス退屈日記♯7: 恋

日本に帰るまであと2ヶ月と少しとなった。ずっと更新しようと思っていたこの日記の存在も宇宙の向こうに置いてきてしまっていた。それでも書きたいことは山のように。

3ヶ月間仏語学習にのめり込んだ僕は疲れ切って、南へ行った。憧れの南仏。電車を乗り継いで意外と簡単に着いてしまったそこには、静けさと、嬉しさと、哀しさと、太陽と、大きな川に、海になんでもあった。

アルルのローヌ川、写真祭、大きな船なんかに泊まったりして。横のフランス人に安保をフランス語で説明しようとしかけど無理だった。日本語を話す1人の老婦人に話しかけられたのも印象的だった、丁度そう、震災の写真を見つめている時だった。僕が日本人だと分かったんだ。社会科見学に来ている小学生くらいの子供たち、こんなに鮮明に覚えているのにもう大人と呼ばれてしまうね。彼女がなんと言ったかをしっかりとは覚えていないんだけど、きっと大事なことを言おうとしていたと思う。言葉の中に隠れた震えが聞こえた気がしたから。そんなことの後に見た、見慣れたはずの写真たちは一層の何かを僕に投げた。

ローヌ川

ニースには大切な友達がいて、半年ぶりに会うものだから少しぎこちないお互いが最初はおかしく思えて、雨予報だった連日も結局は気持ちの良いほどに晴れた。海は日本海とは全く違う美しさを孕んでいて、本を読んだり、煙草を吸ったり、食べたり、英語で話したり。結局あまり泳がなかったけど、もう少し楽しめば良かったななんて今更に思ってる。交換した本の前半はもう読み終わった。と同時にサッと何かが引いた気がしてやりきれなかった。こんなに楽しいのがバカンスならずっと君とバカンスしてたい。でも無理だよと煙草の火が消える度に、小波の音が耳に届く度に肩を叩かれた。

コート・ダジュール

そこからの2週間はあっという間だった。すぐに燃え尽きそうなラテンな恋や、頭から離れない憂鬱なんて大袈裟には言えないほどの何か、初めて作ったボロネーゼだけが今手元にあります。

15歳の時、この場所を離れたいと思った。
18歳の時、もっと遠くに行きたいと思った。
20歳になって、戻ろうとしている。
人生なんてみんなが言うほど大袈裟なものじゃない。そんなことを英語も仏語も十分に話せない僕は、君と話している時に考えているんだ。それならこの温度をどこに返せばいいのか、、いまだに分からないから僕は写真を撮って、そこから意味を奪い取ってしまう。小さい頃母が歌ってくれた子守唄さえ覚えていないのに。

お前らアンチチャイニーズ、お前らアンチコリアン、お前らはアンチアメリカン、彼らは血で血を洗ってきて、あっちはアンチボクラ。そんでお前はアンチジンルイ、集団自殺にでも向かうつもりか?流動するだけだぞ。そんな俺も何も知らないアホずら引っ提げた豚。

恋っていい言葉だよな。変な形してる。彼女の肌は日曜日の朝の色。きれいな肌。

こういった物に全てに蓋をしてしまうのが今の僕にとっての仏語、語学学習。便利。便利。もうすぐパリフォトもあります。その時はもう少し真面目に書きます。

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