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祝みのり誕生_2023.7.19

甥っ子誕生!かわいいうれしい!無事生まれてきてくれてありがとう。と心から思います。ちなみに名前はまだ仮名。あぁかわいい(何度もいう)赤ちゃんってなんでこんな心穏やかにさせてくれるんだろうねー。

今日はただの日記、、というか、日記以下のことを記しておこう。ゆりりん復活おめでとうということで生後2ヶ月に満たないゆりりん(入院歴あり)に会いに行く。心満たされる。一緒にお風呂に入る。さらに心満たされる。今日はゆりりん、私、ゆりりん父(衛星を打ち上げたりする人/プログラミングの日本代表みたいな人です)で3時間ほど過ごしました。謎にもりあがりまして、絵本のこと、心理学のこと、3Dプリンターのことなど話の幅が広く普通に素敵な時間だった。今思うと、この三人で盛り上がるってどういうことだろうと不思議なくらいである。絵本については、有意義な情報交換ができ私も大変大満足である。心理学については、私が教えてもらうことがほとんどなんだけれど、私は宝くじがあたったらもう一回大学に通う予定で、史学(歴史/日本史)か心理学を専攻するかを迷っているのだが、今日心理学にしようかなと思った次第(宝くじを買ったことはない。)そのゆりりん父は、私は心に余裕があると褒めて?くれて、今までそんなふうに言ってもらったことなどなく、単純に嬉しく思うのでこの嬉しさを記しておこうとここにかいている。心に余裕があるのは、これまでの積み重ねがあるからで、真似できないと言われました(私の何を知ってるのだろうーという気持ちもあるのだが言われていやな気持ちはしないからよろし)そして、そんな心にゆとりをもって暮らしている気は正直ない。全然ない。結構いつもパンパンなんだけど。毎日2時間くらい綺麗な湖とか緑とか山とかなんでも、ただただ眺めてぼけーってする時間あればなーって心から思ってるし、どうやったらできるだろうーわーできないわーこの性格だしなーとなっているが、心に余裕(余白)があると思われたことが嬉しいですねー。しかも、それは何らかの努力を積み上げたからということになっていて、私の大好きな「努力の積み重ね」が関与しているところがまた個人的にツボである。ただ、そんな努力した記憶は、、、ないねー。ちょと話はそれるが、最近、このノートに母校の剣道部のブログがあってそれをのぞいてからというもの、剣道にまつわる記事がすごい勢いであがってくる。試合の写真なんかもでてきて、秀逸な相面なんかには正直おぉ!うまいなーとなってしまっているが、剣道の試合に必要なのは気持ちの余裕だったなということを思い出してしまったではないか。あくまでも自分の中で、です。あんまり意気込んで試合にのぞんでも思うような結果がでなかったりする、逆にあーこの人こんな癖ありそーだなー、とか、きっとこの人小手狙ってんなーとか、何でこの人こんな焦ってんだろ?とか、なんならどんな顔だろうみたいな、どうでもいいことを考える余裕ともいう。先生にばれたら、これはさすがにばれようがないんだけど、集中しろ!と怒られそうな余裕。その余裕があれば、自分のペースにもちこめると自然に思っていて、あえて意気込まないように、冷静に集中するみたいな感覚です。言葉でいうのむずかしい。練習もものすごく嫌で仕方なかったし、剣道というスポーツ自体もはっきりいって大嫌いと言っても過言ではないくらい好きにはなれない、もう結構でございます、存在しなくていいですよて感じなのだけれど、自分の中に「心に余裕がある/ない」という感覚はこのスポーツを通して身に覚えがある、、ただ、それ試合中の話ね。今、生活そのものにそんな余裕の感覚があるなら呼び起こしたいくらいなのだけれど。あぁ心にゆとりほしいわー余白だらけで構わないわーよおおお。ていうか、心のゆとりってなんなんだーと今更のことを言ってみる。夏は深海へ。潜ります。

剣道関係でいうと、もう今生では二度といかない!と決めていた武道館へこの夏にヨガしに行くことになり、私は結構衝撃を受けているのである。ぜひ、道場は柔道の方であってほしいと心から願っている。

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