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本が楽しい、あぁ楽しくてしょうがない

自由にかきます。
最近、本が楽しい、楽しくてしょうがない。読み散らかしてる時間が愛おしいくらい。時間に対してこんなにも愛を感じることがあっただろうか。はてはて。先日まで超超超忙しく、忙しいというよりか、勝手に自分で自分を追い詰めて、インフルエンザにかかり、その後診断はしてもらっていないが、自称胃腸炎が1週間以上続き散々な3月末〜4月。忙しいがひと段落し(まだ終わってはいない)ようやく、読みたかった本が好きに読めて、読んだらまたかきたくなって、でもかきたいことはまとまってなくて。お風呂で1人あーでもないこーでもないと対話していた。うわ、これ、これをかいておかねば!と思うのだが、すぐかかないので忘れてしまう。くぅう。絵をかくことが好きだと自分に言い聞かせて生きてきたが、文章をかくことも好きだということが最近になってようやく自分の中で「納得」・「承諾」された。かくのがうまいとかへたとかどうでもよくて、記すという行為だけで満足。人に読まれなくて大丈夫。(あとから自分で読み返して恥ずかしがったり、笑ったりするので十分楽しめる)おそらく私の考えていることって、あまり人に理解されないことが多い気がしていて、それに対しては全然気にしてない、気にできない、ていうか、そこが私のいいところじゃね?くらいに思っているので、執筆活動(っていっていいの?)は自分の中の自分だけの部屋にある感じ。その部屋には誰も入ってほしくないこの感じ。でもあまりに放っておかれるとさみしくなるめんどくさいやーつ。まさに今の私。どこかに行こうよとか誘われたくないし、人と出歩きたくない。きっと人と歩幅を合わせられない。もし私と偶然出会ってもあいさつ程度でにっこり微笑んで、天気いいね〜、じゃ、また〜くらいまでにしてほしい。1人を1人だけで楽しみたい、慈しみたい。ただし、無視されたり、目そらされたり、仲間はずれ、陰口といった類のものはたいそう傷つきますのでみなさま、そこんとこよろしくおねがいします。

先日まで超超超忙しかった件、そう、それは幼稚園の卒園アルバム作りについてひとつかいておきたいと思う。(これまた未来への自分へ♡となるであろう。)今回も1ミリも譲ることなく、ストイックに仕上げられたと思う。こう思えるだけでそれでいいのだ。もう見なくてもいいくらい向き合って、完成した本が届いても「あ、これね」って、きっと全く興味はわかないけど、よくやったよ、あんた!あんたにしかできないよ!と自分で自分に言う。それでいいし、それがいい!ある人から(全く悪気なしね)「これはみんなから1万ずつもらわなきゃだね」と言われ、「は?ナニイッテンノ?みんなからもらうとしたら1人10万だろ」と心の中でつっこむ。200万の仕事をしたのだと胸をはって(心の中で)言う。お金じゃない、知ってる、だからこれが無償の仕事だろうと200万の仕事だろうと仮に1億の仕事だとしても、このアルバムは今の完成形に着地しているということは言うまでもない。だから、内輪での仕事はお金には換算しないと決めている。これからも。(包んでくれる場合はそのまま受け取るが笑)ただ、たいていいつでも心は200万の仕事だと自信満々に言ってる。200万じゃなくともきっと相手が想像もしない高額設定なのだ。そして世の中のデザインや執筆といった創造する技術を生業としておられる方々の仕事の価値をお金に置き換えるとき、ぜーーーーったいに安くしてはならないのだ。これは自分の中で決めているひとつというだけで、だから何?って話です。何年後かに読んだらこの価値観みたいなもんはかわってるんだろーか?はてはて・・・本当に、この足元みられがちな仕事/作業は時に魂がどうしようもなく傷つくような、精神的に辛い思いをすることがある・・・よ・・・ね?もうそんな思いしてないから大丈夫ですけどね〜〜。

本は楽しいという最初の文章はいずこへ・・・そう、読むことって楽しい。寝そべって、開いたり閉じたり、思い出してまた開いて。こんな時間がずっとそばにいてほしい。読んでるとき、また読み終わったとき「かいておきたいこの気持ち」となる割りには、語彙力も足らず、その思いを言葉にできなくて、ちょっと悲しくなるけれど、言葉にしようと努力しても、言葉にできないもどかしさをわかってやれるのは自分だけだというのもまたおもしろい。あーわかって自分、わかってるよ自分という謎の会話は続く。他者からは理解されにくいこの文章ですら残しておきたいと思うのだから、私はそうとう私が好きだと言える。そんなことが言いたかったんだろうか?はてはて。

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