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自分のためにポンコツに還る

 いつの間にか完璧主義者になっていた。特に人に対して。物分かりが良くてTPOをわきまえ、場の空気を読んで、人を不快にさせないように努めてきた。周りの人が心地よく過ごせるように、いかなる時も誰に対しても親切であるように。仲間外れにされず、嫌われないためにいつも「良い人」を演じてきた。

 除け者にされる悲しさを知ったのは小4の頃。何かのグループ分けで周りはどんどん決まっていくのに私ともう一人だけが残った。自分が残り物になった気分がして疎外感を覚えた。私っていらない存在なのかなと思った。

 それ以前から、自分は友達から浮いていると思っていた。母はたくさんおしゃれをさせてくれて、レースとか花柄のワンピース、いつも新品を着ていた。用意されたから着ているだけなのに、ある時友達から「いつも恭子ちゃんはかわいい服を着ている」と羨ましがられた。私はみんなと同じなのに、なんでそんなふうに言うの? と寂しくなったし、私って浮いてるのかもと思った。

 小学生の頃、自分に引け目を感じていた。運動神経が悪くて体育の時間は足を引っ張った記憶がある。背の低さと下半身デブを男子にからかわれて「短足デブ」と言われた。私っていけてないんだなぁと思った。
 いけてる女子、すなわち男子と仲良い女子はみんな大人びていて、自分のスタイルをもっていてかっこよかった。母の趣味の服を着せられている私には、彼女たちが自分の好きな服を着ているように見えて眩しかった。男子ともうまく話せるのに私はうまくできない。ますます自分をダサいと思うようになった。

 こんな具合にいろんなことが重なって、自分を不器用、ダサいと思い込むようになった。

 一念発起したのは中学だ。中高一貫の女子校に進学した。ダサい自分を変えたくて自己アピールがてら明るく振る舞ったら少しウザがられた。みんなと仲良くなりたい一心で歩み寄ってるのになんで引かれるのと悲しくなった。それと同時に、仲良くなるには控えめな振る舞いが鉄則だと思った。

 中3でコーラス部の部長になった。当時コーラス部は校内でも強い部活の一つで、部長になったことにプレッシャーを感じていた。歌は割と上手かった。でも、自信を持っている素振りをしたらみんなから嫌われそうと思い、自分はまだまだと思うようにした。すると徐々に自信がなくなり、歌の実力がないなら立派な部長になろうと努めた。部長に加え、ソプラノのソロパートを務めるようになったから目立つようになった。
 するとある時から、部活の一個下全員から陰口を叩かれるようになった。私にも分かるくらいあからさまになったので先生が彼女らと話す機会を用意してくれた。悲しい気持ちを泣きながら話した。無事仲直りし再発することはなかったけど、″出る杭は打たれる″で目立つことはダメだと思った。それでも歌うことは大好きだから頑張った。その結果、その年にNHK全国合唱コンクールの全国大会に初めて出場できた。辛いこともあったけど、頑張れば報われることを知った。

 自分を出さない。
 目立たない。
 辛くても努力する。

 この3つが「上手く生きるための処世術」となった。

 完璧主義になったのは中3の時。父が病死した。1年半会わないうちに亡くなった。両親は私が3歳の時に離婚していたが毎月一回は父と会っていた。しかし私が中学に入ると、部活が忙しいのと思春期で父と会いたくなくなり、1年半も会わずにいた。その間に父と母が電話で話すこともあったけど、2人が喧嘩したため父からの連絡が途絶えた。

 パパどうしてるのかねぇと話していた矢先、父の親戚から訃報が入った。会わないうちにガンになっていた。親戚からの電話を終えた後、母が一緒に暮らしていた祖母に「パパが死んじゃったぁ」と泣き叫んだ声を今も忘れられない。2階の自室からすぐに1階に向かい、泣き崩れる母の手を握ったことを今でも鮮明に覚えている。

 あの時、神様に誓ったんだ。「私がお母さんを守る。いい子になるから神様助けて」って。それを境に、弱音を吐かなくなった。母が悲しまないように強くあろうと背伸びするようになった。父の代わりになろうとしたのかもしれない。以降、天国の父と母にとって誇れる娘であるように完璧を目指した。心身ともに手を抜くことがなくなった。

 こうやって、自己肯定感が低い完璧主義者が出来上がった。

 みんなと上手くやるために、相手を不快にさせないように、飛び出ないように。周りから攻撃されないように自虐して、嫌味がないように振る舞った。それなのに、なんだかんだ前に出る機会やラッキーに見舞われることが多く、前の結婚は玉の輿。どんなに幸せでも妬みを回避するために謙虚に振る舞った。かつ自分をストイックに追い込んだ。やったらやっただけ成果が出るし、周りからも評価される。頑張らない自分を許すことなく常に努力した。

 こんなふうにずーっとずっと周りの目を気にして生きてきた。周りを優先して振る舞うことが正解で、自分を抑えることが当たり前と思っていた。

 そうやって生きること39年。遂に違和感を覚える。気がつくと、いつも他者から心無い事を言われた時をシミュレーションしていた。攻撃された時はどう言い返そうかと考えている。常に周りから攻撃される前提で、自分を守る策を練っていると気がついた。なぜこんなふうになったのかと振り返ると、これまでの悲しい記憶がドボドボと溢れてきた。

 こんなふうになってしまった原因を決定づけるために、誰かの言葉が欲しくなった。分かりやすく言うとスピリチュアルな力をもつ友人がいて、この違和感の正体を知りたくて視てもらった。

 「恭ちゃんは″ありのままでいると嫌われる″、なんでも″悪いのは自分″と思ってるよね」

 その通りだった。

 私はずっとずっと、ありのままの自分じゃダメと思っていた。だから自分を抑えこんでいた。

 本当は周りには興味がなくて自分の世界に没頭したい。団体行動が嫌いで縛られたくないし、気分のまま動きたい。難しい話が苦手で小難しく語るのは大人の良くないところだと思う。不器用で要領が悪く、めんどくさがりだから本当は努力したくない。もっとぼーっとしたいし人に甘えたいし、計画性もない。いくつになっても稚拙と感じる部分がたくさんある。
 けれど、そのまま生きていたら仲間外れにされる。馬鹿にされる。世間から除け者にされる。父と母にとっても誇れる娘になれない。ありのままじゃ人として欠けているから、自分に鞭打って立派な人になろうとしていた。過去の苦い経験もあって、叩かれないように″できる人″を演じてきた。

 「何もしてないのに仲間外れしたり攻撃する人、いじめる人が絶対に悪い。だから恭子ちゃんはそのままでいいの。自分を責めなくていいよ」

 泣きそうになったけどぐっとこらえた。誰かにずっと言ってほしい言葉だった。本当はずっとそう思いたかった。けれど、自分は悪くないと思うのはおこがましく思えて、いつも自分のせいにしていた。だけどそんな生き方はもう限界。

 限界を感じるようになったきっかけは酒癖だ。ここ数年、酔うとたがが外れてはちゃめちゃになる。心許せる彼にもすごく攻撃してしまう。なぜそうなるのかが分からずにいたが、その理由がようやく分かった。普段自分を抑え込んでるから酒が入ると解放的になる。その結果、はちゃめちゃになっていた。

 「恭ちゃんを視ると″ポンコツ″って言葉がすごい出てくるの。自分はポンコツ。それを隠すために無理してる。でもポンコツでいいじゃん!それが恭ちゃん。良いも悪いもない。周りの空気を読まなくてもいいんだよ」

 笑ってしまった。そうだ、私はずっとポンコツと思っていたのだ。出来が悪く世間に馴染めない不足人間。そんな自分に薄々気づいていたけど認めるのが嫌でひた隠して努力してきた。だけど、私は正真正銘ポンコツだ。

 そんな私でも愛してくれる彼がいる。親友がいる。いつも応援してくれる人もいる。親切にしてくれる人に囲まれている。特別何かできるわけじゃなくても、いつも誰かに支えられてきた。生きているだけで母は喜んでくれる。

 それに、ポンコツだからこそ一生懸命生きてきた。これだけは胸を張って言える。そんな自分を許したらすごく気持ちが軽くなった。今まで頑張ってきた自分を愛しく大切に思えたし、いつも減点方式で自分を評価していたのが少しずつ無くなってきた。もちろん、すぐに自分の全てを受け入れるなんてできない。すぐに受け入れられない自分を″ダメな奴″とも思ってしまう。けれど、それさえも″まぁいっか″と思えるようになってきて、ここ最近は自分に優しくなれてきた。少しずつ、あるがままの自分を受け入れられるようになっている。

 これからは世間に染まるために、周りに馴染むために自分を偽らない。立派な人間になろうとも、全てを上手くやろうとも思わない。どうしようもないと思われてもいい。自分が自分であることのほうが私にとっては大切。それが私にとっては一番の幸せだ。私はまるごと自分を許し、受け入れ、愛せるようになりたい。

 だから私はポンコツに還る。私が私を生きるために。

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